KENGO KUMA
アメリカ シカゴの隈研吾展で窓の家が紹介されました。
期間:2008年10月10日(金)〜11月15日(土)

「窓の家」を監修をしてくださいました隈研吾氏の展覧会で「窓の家」が紹介されます。
この展覧会は、隈研吾氏が1年間のイリノイ大学建築学部の客員教授をつとめられたことを記念して行われるものです。
世界で活躍する隈氏ですが、アメリカでは初の展覧会となります。
「窓の家」を含む6つの箱と題して、代表作のディティールを集めた展示です。
ギャラリーはシカゴ市内のI SPACE GALLERY。
展覧会に先立ち、10月10日(金)にシカゴで講演会が開催されました。
隈研吾氏よりコメントをいただきましたのでご紹介します。
アメリカでの初めての個展を、シカゴのI-Spaceというギャラリーで開きました。
イリノイ大学でこの度まで一年間、プリムプロフェッサーという名の客員教授を務めたので、その締めくくりとして大学側が展覧会と、シカゴ美術館(アート・インスティテュート)での講演会を企画してくれたわけです。
展覧会にはわれわれが新たにデザインした1つの茶室と6つの大きな箱の形をした模型とが展示されました。
われわれがかつて建築に用いた竹、和紙、杉、土、藁という5つの素材でできた5つの箱はヨーロッパの各都市の展覧会をまわってきたなつかしいものですが、今回新たにわれわれが中心になってデザインした無印良品の「窓の家」を縮小した6つめの箱を製作しました。
この「窓の家」はシンプルな白い箱のような家なのですが、木製の窓や、雨樋などに、日本の普通の家には決してないような特別なこだわりをこめた家で、そのこだわりの実物をアメリカ人に見てもらいたかったわけです。
窓も雨樋も、今、日本以外では実現しにくいような精度で、この家は作られています。
しかもそれが決して高額とはいえないプレハブ住宅で実現しているということを知ってアメリカの建築関係者は一様に驚いていました。
実物を見せることでしか伝わらない文化のクオリティーのようなものをこの展覧会で伝えられるのではないかと思っています。

(隈 研吾)
隈研吾氏7つの代表作
隈 研吾氏のプロフィールはこちら
1 高柳町 陽の楽家 2 那須歴史探訪館 3 那珂川町馬頭広重美術館
   
4 Great(Bamboo)Wall 5 安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施 6 窓の家
   
無印良品のライフスタイルをコンセプトに、無印良品の商品と「窓の家」のディティールがともにパッケージングされたボックス。
展示物は手に取ってみることもでき、無印のアイコンとなるような商品も棚から取り出してみることができます。
無印良品の家リーフレットに掲載されているコラムをご紹介します。
「窓の家」と名付けられた無印良品の家。なぜ「窓」だったのでしょうか。
この住宅の監修を務めた建築家の隈研吾さんが「窓の家」誕生のきっかけを綴ります。家族にとって窓とは何か。
世界にひとつ、かけがえのない景色をつくる 隈 研吾
家というのは、結局のところ一つの窓ではないか。 そんな「大発見」から「窓の家」のプロジェクトははじまった。
窓であるとは、世界を切り取る装置だという事である。 ご存知のように世界は乱雑に無限に拡がっている。 しかし、どんな乱雑で無限なものでも、うまく切り取ってやりさえすれば、そこには乱雑でも無限でもないものが出現する。 美しいものは出現しないかもしれないが、いとおしくかけがえのない景色、世界にひとつしかない景色が出現する。 その出現、その景色の誕生を可能にするのが窓という装置ではないか。 その景色は本来家の外側にあるはずのものであるが、その外側のものが逆にその家という器のなかで一緒に暮らす人々を規定する。
そのひとつの景色を共有することをきっかけとして人々がひとつにまとまり、家族というかたまりができる。 そのように家を再定義してみた。
すなわち家族とは、ひとつの景色を共有する共同体であり、そのひとつの景色は窓によって創造される。 窓は景色の創造主であり、家族の創造主である。 だからこそ、窓は大事に、丁寧にデザインされなければならない。
逆説的ではあるが、窓を大事にするならば、窓自身は消えてなくならなければならない。 窓がしっかりと消えて、その後に景色だけが残らなくてはならない。 そんな訳で窓に対する期待ばかりが過剰に高まっていき、はたしてそのような理想的な窓がこの地上に存在するのだろうかと。
しかしあったのである。そんな窓が。 木でサッシを作るところはたくさんあるが、往々にして木のサッシである事を主張しすぎるきらいがある。 しかしこのサッシは木である事を主張しない。 うっかりすると、それが木でできたサッシであることすら見落としてしまうほどである。 しかし、にもかかわらず、木のサッシ固有の断熱性能、ぬくもり、その全てを充分なほどに持っている。
その結果、この窓という額縁でふちどられた世界は、無性にいとおしいものとなる。 乱雑な、ボロボロであったはずの世界がこの額縁の中で、突如として聖なる景色へと昇華する。 そんな奇跡を可能にするのが、この「窓の家」である。 その奇跡的瞬間のために、家を構成するすべてのエレメントは、ひたすらに沈黙を守りかたずをのむ。 その沈黙のはてに奇跡が訪れる。 景色が出現し、家族が出現し、愛が出現する。 その一瞬のために「家」が必要なのである。