丹波立杭焼を後世へつなぐ
800年以上にわたって受け継がれてきた
「丹波立杭焼(たんばたちくいやき)」は、
以前、岡山県でご紹介した「備前焼」とともに、
日本古来の陶磁器窯である"日本六古窯"のひとつに数えられています。
兵庫県中東部にある篠山市(ささやまし)は緑豊かな自然に恵まれた地で、
現在、約60の窯元が軒を連ねています。
そのうちのひとつ、「雅峰窯(がほうがま)」の市野秀之さんに
会いに出掛けると、「まぁ、上がってください!」
と、2階のギャラリー奥にある部屋に案内されました。
窯が開かれてから今日まで、丹波立杭焼は一貫して
主に日用雑器を焼き続けてきたということを事前に聞いていたのですが、
まず驚いたのが、その技法や表現の幅が広いこと!
市野さんにそう伝えるとこんな答えが返ってきました。
「例えば、備前のように伝統的な作風を継承されている産地もありますが、
丹波の場合、全国の窯元に修行に行って、
いろんな技法や釉薬を自由に発表できる産地なんですよ」
もともとは備前焼と同じように、釉薬を使わずに、
登り窯での焼成時につく薪の灰が自然な表情を生み出していましたが、
時代の変化とともに、「墨流し」(写真左下)や「しのぎ」(写真右下)
のような、新たな装飾技法が用いられてきました。
さらに市野さんいわく、作家と職人を同時にこなす人も多いといいます。
市野さんご自身も、"窯もの"と呼ばれる、
丹波立杭焼の伝統に沿ったものづくりをおよそ6割、
"作家もの"と呼ばれる、市野秀之さん個人の表現を踏襲したものづくりを
およそ4割の割合で仕事をされています。
一見、別の人が作ったようにも思える、作風の全く違うこの2つの花瓶ですが、
"窯もの"(写真左下)と、"作家もの"(写真右下)で、
どちらも市野さんが手掛けたもの。
また、問屋制度がないのも顧客の要望を直接反映でき、
丹波立杭焼の作風が広がった要因かもしれません。
立ち寄りやすい1階にギャラリーを置くのが一般的ですが、
雅峰窯では靴を脱いで上がる2階にギャラリーを置き、
さらにコタツに入ってじっくりと打ち合わせをするスタイルを昔からとっています。
「僕の場合、人との出会いが多いからそれだけアイデアが増える。
作陶においては、どれだけ感性を磨けるかだと思っています」
そう話す市野さんは、自身の作陶だけならず、
「丹波立杭焼を後世にどう伝えていくか」
という"橋渡し"の役回りを自ら買って出ています。
今年の11月には大阪でイベントを企画中。
産地の説明や職人のトークショー、飲食とコラボレーションをして、
丹波立杭焼のネームバリューを上げる取り組みを行う予定です。
最後に、「この辺りを案内させてください」
と連れて行ってもらったのが、47mの登り窯。
山麓の傾斜地に作られた登り窯は、その見た目から「蛇窯(じゃがま)」
とも呼ばれてきたそう。
「この窯が地域の共有財産として後世に受け継がれれば良いのですが」
市野さんのような"伝える職人"がいたからこそ、
今の丹波立杭焼があるように感じました。
そんな職人は今日も丹波立杭焼の未来を考えながら、
丹波の土と向き合っています。