小久慈焼
7月下旬の岩手はまだ梅雨の中。
満開のあじさいが私たちを迎えてくれました。
久慈市を車で走っていると、ふと窯元の看板を発見。
中に入ってみると、少し厚みのあるぽってりとした、
白と茶色のとてもシンプルな器が並んでいました。
「小久慈焼(こくじやき)」
来年でちょうど200年の歴史を持つ焼き物です。
初代熊谷甚右衛門が福島県の相馬焼の技術者を招いて作陶を学び、
地元、久慈で採れる粘土と釉薬で作り上げたのが始まりだそう。
「土地が痩せていてお米が穫れなかったこの地域で、
年貢に納めるものとして焼き物に目をつけたんじゃないかと思うんです。
ここで暮らしていくための方法だったんでしょうね」
ご案内いただいた、8代目となる下嶽(しもだけ)知美さんは、
そう話してくださいました。
やがて小久慈焼は、八戸藩に納める御用釜へと成長したのですが、
6代目で世襲が途絶えてしまいます。
一時は存続をあきらめかけたものの、久慈市が後継者育成に乗り出し、
智美さんのお父様を含む数名が修業をして、
後にお父様が7代目を襲名されたんだそうです。
そして現在は、智美さんと弟さんが協力し合って工房を支えています。
今使っている材料はかつてと同じ、地元の鉄分が少ない白い土。
これを粉砕して、長石と水を混ぜて精製し、陶土を作るのですが、
12~3月の真冬の時期は置いておくと凍ってしまうので
電気毛布をかけて保管しておくといいます。
冬場の仕事のコツ、北国ならではですね。
また、デザインも伝統のものにアレンジを加えながら引き継いでいます。
初代の頃から作っていたという「片口」
昔は液体を移し替えるための道具として
計量カップの代わりに使っていたそうですが、
今であればお酒を入れたり、
麺類に注ぐおつゆやサラダのドレッシング入れなどに使い勝手がよさそう!
それから、冬に熱々のホットワインを入れてテーブルに並べてもいいかも♪
白くて温かみがありシンプル、でもドシリと構えているこの器は、
どんな使い道も受け止めてくれそうです。
それから、「すり鉢」も昔ながらの定番商品。
この地域ではお正月にくるみをすって、牛乳と砂糖・お醤油を加えた
"くるみもち"を食べるそうなのですが、
安定感抜群のすり鉢が活躍する時です。
「最近はフードプロセッサーが出てきて、簡単に材料を砕くことができるのですが
熱を加えないすり鉢の方が素材の香りが損なわれなくていいんですよ」
と智美さん。
工房を見せていただいているとこんなものが目にとまりました。
左から、成形する際に器を粘土の塊から切り離す時に使用する「切り糸」、
表面を滑らかに整えたり、口縁を締めたりする「なめし皮」、
それから
真ん中のものは、しゃもじ!?
しゃもじのようなこの道具は、先っぽに細かい刻みが入っており、
それを使って器に細かい線を入れると、すり鉢が出来上がるのです。
こちらは足で蹴って回す「蹴りろくろ」
「震災で停電していた時に、物置から引っ張り出してきて使ったんですよ。
昔の人はこれで作っていたんですもんね」
道具もすべて自然素材でできていて、なんだかとっても温かみがあります。
工房の隣には、これまで7代にわたって作られてきた
代々の小久慈焼が展示されていました。
決して派手ではなく、素朴な味わいの小久慈焼ですが、
だからこそ使い手に様々な使い方の選択肢を与えてくれる。
200年続いてきた小久慈焼は、今もこうして久慈の地で
守り続けられています。