南相馬 NPOフロンティアの活動
今回は、前回に続いて南相馬のゴーヤの販売を中心に活動しているNPOフロンティア南相馬の代表大宮篤史さんをご紹介します。NPOフロンティア南相馬は前回紹介した、苗業者の代表只野さんを支援して、全国のイベントなどへの参加の企画を立てたり、ネットでの広告活動をしたり、販売の窓口となっています。今のところ、まだまだ軌道に載っている訳ではなく、その活動は彼ら4人の活動メンバーはボランティアとして動いています。それでもなんとか軌道に早くのせて、農家の方々に可能性を見せてあげたい、自力でこの南相馬に残って生きていく道をみいだしてあげたいと必死で活動をしています。彼らの熱い思いは、ゴーヤの販売に留まらず、地域の子供達への支援や、他のNPOのネットワークと連携しながら様々な企画運営に取り組んでいます。
3.11の出来事とNPOの立ち上げ
大宮さんは震災前、地元の3つの体育館を管理する職員でした。地域の産業の活性化のためのNPOをつくろうと準備していた矢先の今回の震災だったとのことです。消防団に属する氏は日頃から地域の災害予防活動にも熱心に打ち込み、震災当日も津波警報直後、すぐに車で海側へ、住人に避難を呼びかけに向かったとのことです。海の近くまで来て、第一波が引いていく様を見ながら、次の大きな第二波の大きさに固唾をのんだそうです、急いで車を反対方向にもどし、避難へ、後ろから波が押し寄せるのを見ながら、それでも途中何人かを乗せながら避難をしていきました。多くの人が目の前でなくなり、街が波に飲まれていくのを背中で感じながら走り抜けたとのことです。波がおさまり、変わり果てた村の状況を目の当たりにし、その後すぐに救助活動に加わります。村で津波の時の避難場所としていた、グランドに駆けつけますが、そこは海抜6メートルほど、そこも波に飲まれていました。岩に挟まれていた方やまだ生存していた方達をなんとか救助したものの、水にぬれた衣類や毛布は、体温をうばい、目の前で、たくさんの方が「助けてくれてありがとう」といいながら息を引き取っていったそうです。救助活動はつづき、家に帰る事もままならない日が続いたそうですが、1週間ほどたち、状況が少し落ち着くと、他の県のNPOやボランティア活動をしている人たちと連携が始まり、自主的に食料支援なども進んでいたそうです。そうした活動の中、なんとかこの村の復興を早くしなければと思い始め、準備していたNPO申請の手続きを早め、苗農家の只野さんと出会い今の活動が始まります。この活動はPlant to Plant(発電所の電気から緑の苗へ)と名付けています。
目標は1500個の販売。
今年のゴーヤの販売は、いろいろな課題を解決して開始できたのが、6月でした。販売期間の7月中旬まででは700個ぐらいの販売が見込まれています。ただプランターなどの資材を購入したり、計画的な運営をするためには1500個ぐらいが活動の目標との事です。
ゴーヤが終わって次は、パンジーなどの花の栽培、そのあとはハロウィンに向けて小さな「カボチャの苗」、冬には「いちごの苗」などの計画もしているとの事です。苗ごとに1500個ほどの販売があれば農家の人たちの前向きな動機付けになるのではと考えているとのことです。
いちごのように口に入れる物は、風評被害もあって現在は発売にとりかかるか迷いもあるそうですが、試験結果では苗には問題がないとのことです、今までの苗農家の技術を活かした、産業復興に全力で立ち向かっています。
彼らの活動を東京でも多くのNPOや商店街などが応援してくれていて、その活動の輪が広がっているそうです。
まだ間に合うゴーヤの栽培
ゴーヤの苗セット、プランター、ネットや土、肥料と育て方のDVDがついて4200円(正確に調べます)、ゴーヤの栽培が終わってもプランターを残してもらう事で、南相馬の活動を忘れないでほしいという彼らの熱いメッセージが印象的でした。7月末まではまだ栽培も間に合うとの事、梅雨の後の苗上は繁殖もよく、また夏のあとまで長く茂っているといいます、残暑にむけてまだまだ間に合うとの事です。
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フロンティアという精神
彼に案内してもらった、港の姿は、船も一艘もなくなっていました。どこか港だったのかその痕跡はまったくわからなくなっていました。港沿いに隣町まで案内してもらいました、再開準備のために復旧活動を休みなく行っている原町の火力発電所、そして20キロ圏内立ち入り禁止地域近くの人のいない町の姿、震災と同時に、原発汚染という大きな課題を背負った彼らの複雑な思いと、なんとかそれでも立ち上がっていこうという前向きな彼らの想い、まさにそれは「フロンティア」という組織の名前に宿った彼らの精神そのものと言えます。彼らは今、苗の販売だけでなく、地元の子供達を秋田県田沢湖に連れて行って思い切り運動をさせてあげたいという計画をたてています。そこでも応援してくれるのが、高校時代の生徒会の他県の仲間達だとか。多くの若い人たちの連携がこの町を早く元気にしてほしいと思うばかりの取材でした。
(訪問したのは、前回の只野さんの取材と同じ日、6月19日でした)
大宮篤史さんプロフィール
大宮さんは1980年生まれ、31歳の若者です。地元相馬高校の出身で高校時代に生徒会の仕事をしていて、東北6県の生徒会のネットワークづくりに力を入れていたとか、そのときの仲間が今回の支援活動でも協力して動いてくれているそうです。卒業後、九州の薬科大学へ進むもののその後家庭の事情で中退、大阪の専門学校でやはり薬のことを学んですぐに家業の薬局を継いだそうです。残念ながら量販店におされ、家業は撤退、量販店で働いたものの、もっと丁寧な販売をしたいという葛藤で退職、その後地元の3つの体育館を管理する職員になりながら、地域の産業の活性化のためのNPOをつくろうと準備していた矢先の今回の震災。4月1日に震災後発の支援のためのNPOとして申請しました。
全国の支援の輪
彼らの活動を多くの方が支援しています。NPO法人農商工連携サポートセンターの大塚洋一郎氏http://www.npo-noshokorenkei.jpや農業コンサルで俳優の永島敏行氏、また行政でも杉並区が全面的に協力して、高円寺の商店街でも積極的に販売を支援してくれています。活動にご協力いただける方は是非連絡をとってみてください
twitter:plant2plant
mail:frontier.minamisoma.001@gmail.com