研究テーマ

心地よい寸法 ─身度尺─

ピンと張ったネコのひげは、幅がそのネコの腰幅と全く同じになるといいます。逃げるネズミを追いかけて狭いところを通るとき、ひげがアンテナとなって、そのすき間を通れるかどうかを瞬時に測るのだとか。身体の一部が、そのままモノサシになっているんですね。人間界にも、こんな風に身体に聞いて編み出された寸法があり、「身度尺(しんどじゃく)」と呼ばれます。

身体から生まれた寸法

ひげの幅の意味をネコ自身が理解しているかどうかはともかくとして、人間は永い歴史の中で、身体のサイズを元にして尺度を決め、そのまま寸法の単位として使ってきました。よく知られているのは、親指の先から第一関節までの長さを基準にした「インチ」や、足のつま先からかかとまでの長さを基準にした「フィート」などです。
日本にも、こうした基準がありました。小さいほうの基準のひとつは、親指と人差し指を広げたときの両指先の間の長さ、「あた」。ほぼ5寸(=15センチ)で、尺取り虫の動きを二回すれば1尺となります。大きいほうの基準は、頭のてっぺんからかかとまでの長さ、「つえ」。これは「あた」の10倍(5尺)で、かつての日本人のほぼ平均的な身長であり、両手を左右に伸ばした長さ「ひろ」とも一致していました。だから、大の字に寝ると5尺×5尺。そして、それぞれに1尺ずつ余裕を持たせた6尺×6尺(=1坪)が、住空間の単位だったのです。

器も箸も身度尺で

食事の作法は国や地域によってさまざまですが、大きくは食器を持つか持たないかに分かれます。西欧の人々の食事は、食器をテーブルに置いたまま食べる「皿料理」。これに対して日本人の食事は、食器を手に持って食べる「椀料理」です。手に持って食べるのに、日本の食器には取っ手が付いていません。湯呑みも、汁椀も、めし碗も、取っ手なし。熱々のものでも、器の縁と高台に指をかけて持てば熱くないことを知っているから、取っ手がなくても不便を感じないのです。それを可能にしているのは、日本の食器の絶妙な寸法。取っ手なしでも具合よく持てるように、大きさを整えてあるのです。
身度尺による日本のものづくりの知恵を再認識させてくれたのは、工業デザイナーの秋岡芳夫さんでした。その秋岡さんが全国に散在する昔からの漆器産地の汁椀を集めてみたところ、まるでJISで規制したようにすべて寸法が揃っていた、という話があります。大きめのお椀と小ぶりのものとを測り比べてみても、その差はわずか数ミリ。径4寸(120ミリ)を超えるお椀は、ひとつも見当たらなかったそうです。その理由は、日本人の手の大きさ。両方の手の親指と中指で輪をつくると、その径は男性の指でほぼ4寸になり、お椀の径と等しい円になります。つまり、お椀の径が4寸以内にとどめてあるのは、これよりも大きくなると片手では持てなくなるから。日本のお椀は、日本人の手に合わせてつくられたものだったんですね。
箸についても同様でした。「箸は、ひとあた半」。ひと昔前まで、おばあちゃんはこう言って子どもたちに手頃な箸の長さを教えたものです。「あた」は人差し指と親指を開いたときの幅で、身長のおよそ10分の1。つまり「ひとあた半」は身長の15パーセントの長さで、上背が160センチの人なら24センチぐらいの箸が使いやすいというわけです。フォークやナイフを使う国にはない、尺度に対する細やかな思いやりですね。

1反の幅は、織り姫の肩幅

使う人にやさしい身度尺は、つくる人にとってもやさしい寸法でした。着物地のことを反物(たんもの)と呼びますが、それは着物1枚分に要する布地が1反だから。1反の幅は時代によってまちまちですが、江戸中期以降は男もので1尺(約38センチ)、女もので9寸5分(約36センチ)とされています。この幅は、実は織り姫の肩幅。女性が無理なく織れる幅が反物の幅になり、それが仕立てやすく着やすい着物の幅になったのです。そして現代、1反の幅は男もので1尺5分(約40センチ)、女もので9寸8分(約37センチ)とひとまわり大きくなり、丈も昔と比べて3尺ほど伸びたとか。日本人の体格が大きくなったのがその理由で、身度尺は人の身体に合わせて変化していくものだということがわかります。

現代の私たちは、メートルという全世界に通用するモノサシを持った一方で、自分の身体に合った心地よい寸法を手放してしまったのかもしれません。時代が進んでも、尺度が人の心地よさのためにあることに変わりはないはずです。
みなさんにとって「心地よい寸法」とは何ですか?

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生活雑貨

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