「なぜ無印良品なのか」を店の中で伝えつづけてきた
これは、青山1号店が生まれてから10年くらい経った1990年ごろに、横浜につくった無印良品の店です。横浜に昔からある、洋服屋さんなんかが並んでいる石畳の通りのはずれにありました。
今は移転して変わっていますが、これはつくった当初の写真です。僕らにも少し経験ができ、無印良品もだいぶ認知されてきた頃でした。そこで、無印良品に関する情報をもう少し出していこうと、店舗内でも、なぜ無印良品なのかということを一生懸命パネルにして説明していました。
じつは、この「なぜ無印良品なのか」という問いが店舗の中にあることが、"気分"に続く2番目の、無印良品の秘密とでもいいましょうか。意外と皆さんは気がついていないけれど、これが無印良品と他の店舗のだいぶ違うところなんですね。たとえばユニクロは最近、大変好調で僕らも尊敬していますが、ユニクロはユニクロであり、明快なんです。非常に合理性が高くて統制がとれた、はっきりとした意志を持つユニクロという団体があって、それが商品企画を生み、うまくいっている。
無印良品というのは、こんな言い方は怒られるかもしれませんが、いつも悩んでいるんです。矛盾みたいなものをいつも抱えながら、何が無印良品かということを、常にみんなで話し合っている。これは無印良品ができたときからはじまって、今もずっと続いています。誰かが鉄のような意志を持っていて、「これが無印良品だ!」と言ったものを変わらず維持している、といった組織ではない。いつも、無印良品とは何かということを議論しているんです。
ですから、今もって、これが正解だということには、たぶんたどり着いていないでしょう。そして、これからもずっと何が無印良品かということを、議論し続けていかなくてはならない。でも、無印良品というのは、そこから生まれてくる商品なんです。
だから、ずっと残る商品もある一方、試行錯誤しながら何年か経ってみると、いつのまにか消えちゃったなというモノもたくさんありますよ。今は無印良品の商品もアイテムが増え、売り上げもかつての何百倍になっていますが、どの商品をとっても悩んだ結果のもので、そこには生まれ出る苦しみに似たようなものがある。今年はこれとこれでいこうとか、この流行でいこうとか、そう簡単にやっている会社ではないんですね。本当にかなり激論みたいなものがあって、その結果、失敗するモノもあるかもしれないし、あるいは成功するモノもある。そして、その成功したモノが残っていくんだけれど、それも何年かすると、別のモノに替わっていくということもある。このことが、僕は無印良品の一番大事なところだと思うんです。
こんなことを言うのは申し訳ないんですが、かつて無印良品は西武百貨店の、ある意味ではお荷物みたいなものだったんです。僕が西武百貨店に行くと「無印良品やってるんだって?」とか、「手をひいといたほうがいいよ」なんて、軽く言われたこともありました。でも、今はそうではありません。若い人に聞いても、無印良品を知らないという答えは、まずない。僕は大学でデザインを教えているので、学生を相手に無印良品の店舗設計を課題として出すこともありますが、皆、無印良品のことをよく知っているので、おもしろい設計がたくさん出てくるんです。
最近、ユニクロの店舗設計も課題にして出してみました。そこでわかったんですが、学生にとってはユニクロの設計ほうがやりづらいみたいなんですね。無印良品の設計をするときは無印良品の思想みたいなところから入っていきますが、ユニクロのときはその思想がよく見えない。だから、何を頼りにしたらいいのか、学生にはなかなか見えてこない。
そのかわり、おもしろい店を考えたりはするんです。この間も、店の中に回転板をいくつもつくり、その上で商品がグルグル回っているという案を提出した学生がいました。今、ユニクロでデザインをやっている片山(正通)君なんかの影響かなと思うんですが、まあ、ユニクロといえばユニクロかもしれないけれど、無印良品だったら却下となるわけです。無印良品で商品を回しても、しょうがないですから。
無印良品だったら「だめだ!」ですが、ユニクロだとだめとは言い切れずに、それも手だなあ、となる。その違いなんですね。