研究テーマ

杉本貴志氏トークイベント採録(2/4)

2009年12月9日

無印良品は、いつも悩んでいる。皆で悩み、議論し、そこから生まれてくる商品です。

このレポートは、2009年9月25日に池袋西武店で行われたトークイベントを採録しています。

「なぜ無印良品なのか」を店の中で伝えつづけてきた

これは、青山1号店が生まれてから10年くらい経った1990年ごろに、横浜につくった無印良品の店です。横浜に昔からある、洋服屋さんなんかが並んでいる石畳の通りのはずれにありました。

今は移転して変わっていますが、これはつくった当初の写真です。僕らにも少し経験ができ、無印良品もだいぶ認知されてきた頃でした。そこで、無印良品に関する情報をもう少し出していこうと、店舗内でも、なぜ無印良品なのかということを一生懸命パネルにして説明していました。

じつは、この「なぜ無印良品なのか」という問いが店舗の中にあることが、"気分"に続く2番目の、無印良品の秘密とでもいいましょうか。意外と皆さんは気がついていないけれど、これが無印良品と他の店舗のだいぶ違うところなんですね。たとえばユニクロは最近、大変好調で僕らも尊敬していますが、ユニクロはユニクロであり、明快なんです。非常に合理性が高くて統制がとれた、はっきりとした意志を持つユニクロという団体があって、それが商品企画を生み、うまくいっている。

無印良品というのは、こんな言い方は怒られるかもしれませんが、いつも悩んでいるんです。矛盾みたいなものをいつも抱えながら、何が無印良品かということを、常にみんなで話し合っている。これは無印良品ができたときからはじまって、今もずっと続いています。誰かが鉄のような意志を持っていて、「これが無印良品だ!」と言ったものを変わらず維持している、といった組織ではない。いつも、無印良品とは何かということを議論しているんです。

ですから、今もって、これが正解だということには、たぶんたどり着いていないでしょう。そして、これからもずっと何が無印良品かということを、議論し続けていかなくてはならない。でも、無印良品というのは、そこから生まれてくる商品なんです。

だから、ずっと残る商品もある一方、試行錯誤しながら何年か経ってみると、いつのまにか消えちゃったなというモノもたくさんありますよ。今は無印良品の商品もアイテムが増え、売り上げもかつての何百倍になっていますが、どの商品をとっても悩んだ結果のもので、そこには生まれ出る苦しみに似たようなものがある。今年はこれとこれでいこうとか、この流行でいこうとか、そう簡単にやっている会社ではないんですね。本当にかなり激論みたいなものがあって、その結果、失敗するモノもあるかもしれないし、あるいは成功するモノもある。そして、その成功したモノが残っていくんだけれど、それも何年かすると、別のモノに替わっていくということもある。このことが、僕は無印良品の一番大事なところだと思うんです。

こんなことを言うのは申し訳ないんですが、かつて無印良品は西武百貨店の、ある意味ではお荷物みたいなものだったんです。僕が西武百貨店に行くと「無印良品やってるんだって?」とか、「手をひいといたほうがいいよ」なんて、軽く言われたこともありました。でも、今はそうではありません。若い人に聞いても、無印良品を知らないという答えは、まずない。僕は大学でデザインを教えているので、学生を相手に無印良品の店舗設計を課題として出すこともありますが、皆、無印良品のことをよく知っているので、おもしろい設計がたくさん出てくるんです。

最近、ユニクロの店舗設計も課題にして出してみました。そこでわかったんですが、学生にとってはユニクロの設計ほうがやりづらいみたいなんですね。無印良品の設計をするときは無印良品の思想みたいなところから入っていきますが、ユニクロのときはその思想がよく見えない。だから、何を頼りにしたらいいのか、学生にはなかなか見えてこない。

そのかわり、おもしろい店を考えたりはするんです。この間も、店の中に回転板をいくつもつくり、その上で商品がグルグル回っているという案を提出した学生がいました。今、ユニクロでデザインをやっている片山(正通)君なんかの影響かなと思うんですが、まあ、ユニクロといえばユニクロかもしれないけれど、無印良品だったら却下となるわけです。無印良品で商品を回しても、しょうがないですから。
無印良品だったら「だめだ!」ですが、ユニクロだとだめとは言い切れずに、それも手だなあ、となる。その違いなんですね。

木の持つ強い印象で仕上げた、青山3丁目店

この写真は、青山3丁目店。今もありますけど、つくったのは1993年で、当時はこれが最大の広さを持つ店舗でした。

会議室まで入れて300坪くらいでしたから、実際の売り場は200坪ちょっとくらいでしょうか。今から見たらそれほど大きな店ではないんですが、当時は最大の店舗ということで、皆、とても心配したんです。果たして商品で埋まるかなとか、外苑前の駅から少し歩きますから、店内がいっぱいになるくらいにお客さんが来てくれるかなとか。でも、この店もおかげさまで順調にいきました。

設計的には、従来の考え方とそのバリエーションであり、仲間なんですが、民家を解体したときの梁や柱も使って、強い印象をつくってみました。木の持っている素材の力をインスタレーションとして使ったものです。こういう造りは、たとえば呑み屋や蕎麦屋、レストランなどではわりと見るんですが、小売店ではまずないんですね。今はブティックなどで時々見かけますけれど、無印良品のような商品群でそういうことをやろうと考えたのは、これがはじめてだったのではないでしょうか。自分でも、ちょっとやりすぎかなあと思いながら、やってみたんですけどね。でも、結果としては、うまく受け入れられたというわけです。

サッポロファクトリーでは、きれいな店を目指した

それから3年くらいして、札幌にサッポロファクトリーという新しい施設ができ、無印良品が入ることになりました。駅からはちょっと歩くんですが、昔の工場跡地を開発して大型のショッピングセンターにしようと、札幌市がかなり肩入れをしてつくったものです。

最初に現地を見せてもらったときには、跡とはいいながら、まだ古い工場が残っていましてね。その工場を壊して新しいビルをつくるエリアと、改造しながら店を入れていくエリアとがあって、無印良品はそちらのゾーンだった。
見ると、これがけっこういいんですよ。この写真にある壁などがそうで、これも工場の壁をそのまま活かしたものです。

こういうところが、要所要所に残っています。昔の壁のままですから、当然、あまり合理的ではないですし、本当はここを通路にしたいんだけれど、壁があるからできないとか、いろいろと問題はあったんですが、何とかこの建物はそのまま、利用したいと思ったんです。

札幌で何十年も風雪をあびてきた建物ですから、味がある。今はほとんどなくなってしまいましたけど、僕らが若い頃は、札幌にもまだそういう建物がいっぱい残っていました。有名な時計台のような、古い木造の建物がたくさんありまして、札幌の冬はやはり厳しいですから、木造の建物でも頑丈につくってある。木が厚いとか、柱がしっかりしてるとか、がっしりした屋根がかかってるとか。

そういうもののひとつひとつが、大きな自然の力に耐えてきた歴史を語るわけです。だから、工場の壁を目の当たりにして、これはやっぱり残したいと思った。それで、煉瓦の壁などを、店の一部として取り入れました。

その頃はもう、無印良品もだいぶ大きくなっていましたが、無印良品というのは元々、商品群としては乱雑なんです。せんべいもあればシイタケもあるし、洋服もあれば自転車もある。デザイナーにとってこれは大変なことで、設計する者はいつも泣かされますよ。さまざまな商品が揃っていて、サイズも小さいものから大きなものまで、いろいろある。それを何とかきれいに、というより、きちんと見せたいと思うわけです。
そうすると、店舗のデザインにあらゆる要素を入れていかなくちゃならない。結構、苦労するんです。

ただ、僕はこのサッポロファクトリーを手掛けたとき、従来の無印良品の中で、一番きれいな店をつくろうと考えたんです。若気の至りっていうのかな、あとになってからは、きれいな店なんてそんなに必要かなと思うようになったんですが、この頃は美しい無印良品をめざそうと、一生懸命やりました。たとえば棚板だとか、棚を保たせる小柱だとか、そういうものまでいろいろ計画してつくっています。

この店は、かなりきれいにできています。きれいにというのは、意味がちょっと違うかもしれないけど、それなりによく収まっているな、と。だから、サッポロファクトリーは、きれいな無印良品の代表みたいな店です。