2012年1月31日(火)、無印良品 青山3丁目が閉店し、1993年に開店して以来、約20年間の歴史に幕を閉じます。
開店当時、無印良品最初の大型店であったために、「本店」とも呼ばれ親しまれました。
北は東北、南は沖縄から、ペン1本、2本の電話注文が頻繁にあった時代で、
みなさまからの熱烈な支持を受け、今日の無印良品の礎となっています。
青山1号店の改装(2011年11月)に引き続き、当時の面影を残す店舗がなくなりますが、
これからもこの無印良品発祥の地では、Found MUJI 青山、東京ミッドタウン、Café&Meal MUJI青山を通じ、
みなさまと対話をしながら、感じ良いくらしを提案していきたいと思います。
2009年9月25日のトークイベントを採録した「くらしの良品研究所 活動レポート 杉本貴志氏トークイベント採録」より抜粋
青山3丁目店。今もありますけど、つくったのは1993年で、当時はこれが最大の広さを持つ店舗でした。
会議室まで入れて300坪くらいでしたから、実際の売り場は200坪ちょっとくらいでしょうか。今から見たらそれほど大きな店ではないんですが、当時は最大の店舗ということで、皆、とても心配したんです。果たして商品で埋まるかなとか、外苑前の駅から少し歩きますから、店内がいっぱいになるくらいにお客さんが来てくれるかなとか。でも、この店もおかげさまで順調にいきました。
設計的には、従来の考え方とそのバリエーションであり、仲間なんですが、民家を解体したときの梁や柱も使って、強い印象をつくってみました。木の持っている素材の力をインスタレーションとして使ったものです。こういう造りは、たとえば呑み屋や蕎麦屋、レストランなどではわりと見るんですが、小売店ではまずないんですね。今はブティックなどで時々見かけますけれど、無印良品のような商品群でそういうことをやろうと考えたのは、これがはじめてだったのではないでしょうか。自分でも、ちょっとやりすぎかなあと思いながら、やってみたんですけどね。でも、結果としては、うまく受け入れられたというわけです。
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森 仁一郎店長 1993 - 1995初代店長
現・衣服雑貨部青山3丁目の店舗スローガンは「グローバルな無印良品」でした。標準店舗の大型化へのトライアルや、地元商店街や企業、クリエイターなどとの「地域密着」も進めました。
また、人のひろがりも増え、自分の幅も大きくなりました。
青山3丁目の経験は貴重なものでした。ありがとうございます。 -
田中 信孝店長 1998 - 1999現・販売部
青山3丁目で、はじめて店長を経験しました(98年)。
入社前からあこがれの店舗でしたが、一番辛く、一番成長したときだと思います。
育てていただいた、青山3丁目のお客様に感謝いたします。
これからも、「くりかえし原点、くりかえし未来」を合言葉に、無印良品にご期待ください。 -
荻原 朗子店長 2000 - 2002現・企画室
店長として2年半を過ごしました。スタッフ時代を含め、9店舗を経験しましたが、最も思い出に残る店舗が青山3丁目です。当時は有楽町オープン前で、様々な面で実験的な試みが多く苦労もありましたが、接客、売場作り、店長としての仕事の進め方など、青山3丁目で学んだ全てのことが今でも役に立っています。そして働くスタッフにとって無印良品のアイデンティティを心の底から感じられる店舗であったこと・・・、それが青山3丁目の素晴しさだったと思います。創業時の無印良品から、現代~未来の無印良品への架け橋となる非常に大きな存在でした。
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中澤 英美店長 2002 窶錀 2003現・販売部
私は2002年から1年間店長をやらせていただきました。当時から『無印の中の無印』といった感じの店舗で、お客様とのやりとりや売場作りの楽しさを再認識できた場所でした。お客様からいろいろなお声をいただきましたが、皆様口を揃えておっしゃるのは、「この店の雰囲気や応対が好きだからここまで来ている。」この言葉を励みにして頑張ってきました。店舗がなくなっても、青山3丁目を感じさせるあの什器や柱がどこかの店で生まれ変わって生き続ければうれしいですね。今までご愛顧いただいたお客様、青山3丁目にかかわったすべての人に心より感謝致します。
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今村 浩一郎店長 2006現・販売部
店長になって、はじめて勤務したのが、青山3丁目でした。
都会的な土地柄とはうらはらに、地域に愛される人情味のある店舗で、外国人のお客様のご利用も多くありました。印象に残っているのは、外国人のお客様が母国のMUJIをきっかけに来店してくださり、日本の無印良品を褒めてくださったことです。無印良品が世界に広がっていく様子を体感し、鳥肌が立ったのを今でも覚えています。
青山で、日本で、『MUJI FUN』になった方々が、これからも全世界で、『MUJI LIFE』を楽しんでいただけることを心から願っています。20年間お疲れ様でした。 -
森川 伸二店長 2006 窶錀 2007現・海外事業部
本社員になり始めての店長をやらせてもらいました。
歴史のある青山3丁目の店舗をやらせてもらえる喜びとプレッシャーが交じり合いながら過ごした1年間でした。
お客様からMUJIに期待することが大きくその分より多くのコミニケーションをとる大切を学ばせてもらいました。
歴史ある店舗がなくなってしまうことは非常に残念ですが青山3丁目に携わった経験を今後も自分の誇りにしていきます。
青山3丁目に携わったお客様・スタッフ・業者の方に感謝いたします。ありがとうございました。
I LOVE 青山3丁目!! -
河村 昭彦店長 2007 窶錀 2008現・販売部
創成期からの無印良品に携わっていた私が河原町、アメリカ村の名残のある青山3丁目に赴任し、最初に感じた事は木の温もりと人の温かさでした。近代的な町並みの中にあってオアシス的な存在でした。そんな店舗がまた、ひとつ無くなるのは非常に寂しく残念でなりません。初心に返れた唯一の店舗でした。激しく変る時代の中、「愛は飾らない。」を忘れず、お客様とのつながりを大切にしていきたいと思い返しています。
青山3丁目、本当にありがとう。そして、お疲れ様。 -
賀曽利 進店長 2008 窶錀 2009現・販売部
青山3丁目に店長として着任したのは2008年26歳の時でした。
『BOSSA AOYAMA』に協力しブラジル大使館からお礼の手紙を頂いたり、ワタリウム美術館のイベントと連動して店頭にプランターをたくさん設置して枝豆やミニトマト、唐辛子を栽培しました。
地域の方と関わり外苑地区を盛り上げようといった取り組みに多く参加した思い出があります。都会にありながら地域の方に愛されたお店でした。そんなお店が閉店してしまうことを大変残念に思います。20年間支えてくださった地域の皆様ありがとうございました。 -
多田 麻美子店長 2009 窶錀 2010現・販売部
店長代行と、店長と二回経験させて頂きました。
とにかく青山3丁目店が好きです。
あのお店の持つ独特の空気間、時間の流れは他のお店にはない、私にとって特別な店舗です。
土地柄、顔なじみのお客様もたくさんいらっしゃり、販売の楽しさを強く体感できるお店でもあります。
個人的には3回目を狙っていたのですが・・・残念です。
20年間お疲れ様でした! -
山本 晶子店長 2010 窶錀 2011現・販売部
青山3丁目は店舗内装、街並み、その全てが無印良品の商品の良さを引き立てる雰囲気のある環境でした。
先日、生まれ変わった“Found MUJI 青山”同様、お客様からも『ここは良いお店ですね』と声をかけていただける店舗でした。昔からご利用いただいている方が多く、無印良品は長年多くのお客様にご愛顧いただいていると感じる毎日でした。歴史ある店舗で店長として勤務出来たことは、自身の経験として大変貴重で楽しい時間でした。
これまで青山3丁目をご利用いただいたお客様、商店会の皆様、近隣の方々、店舗で勤務されたスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
いつまでも皆様の記憶に残る店舗でありますように・・・。 -
池田 結子店長 2011 窶錀 2012
私は昨年(2011年)の9月に、新任店長として着任いたしました。このたびは閉店を任されることとなり、責任とプレッシャーを感じておりますが、同時に無印良品の礎となった青山3丁目の最後に立ち会えることを、とても光栄に思っております。
閉店を迎える日まで、ご来店いただいたお客様が「青山3丁目があってよかった」「これからも無印良品を使い続けたい」と思っていただけるよう、スタッフ一丸となって頑張ります。