大自然の真ん中でドラム缶風呂につかる
絶景を眺めながらドラム缶風呂に入るなんて、この上ない贅沢なひととき。
しかし、その時間を手に入れるまでは大変な作業の連続です。
冬の澄んだ青空の下、汗水たらして、やっと、
この幸せにたどり着いたのでした。
薪でわかしたお湯は、やわらかい。大自然の真ん中で、ポツンと小さなドラム缶に体を沈めると、毎度こんなことを思いながら、ひとり悦に入ってしまいます。このやさしいお湯の感触は、バーナーでわかしたものとも、家で入るお風呂ともまったく違う。普段、当たり前のように触れている「水」という物質が、こんなにも格別なものに姿を変えるなんて......。
足を伸ばすこともままならない小さな空間で体を温めながら、美しい景色に浸ることができるこの瞬間は、日頃の疲れもちょっとした悩みもやわらかなお湯に流され、自分が最もシンプルになれる極上の時間です。
幼い頃の夢を実現させようと、友人と初めてドラム缶風呂を体験したのは約五年前。星空の下で体験したあの感動を忘れられず、今でも年に数回、こうしてドラム缶風呂に入っています。今回は今年の締めくくりに、嬬恋の絶景ポイントを選んで、ドラム缶と水と薪を荷台に積み込み、トラックを走らせました。
ドラム缶に水を流し入れ、薪を割り、火をくべてお湯の温度を調整する。この一連の作業は手慣れたものですが、お湯につかるという一瞬のためにしなくてはならない作業は膨大です。毎度のごとく挫けそうになりながら、それでも、諦めずにじっくりとわかすこと二時間。待ちに待ったドラム缶風呂につかると、あまりの気持ちよさに、それまでの苦労はどこへやら。周りの景色や空を独占してしまったような快感は、場所や時間によっても違い、毎回新鮮な感動に包まれるのです。
なぜ、そこまでドラム缶風呂に魅せられてしまったのか。それは、頭や体や時間を使って、一瞬のために試行錯誤し、作り上げて行く大変さがあるからかもしれません。蛇口をひねれば水が出たり、スイッチを入れればお湯がわく、という当たり前が一切通用しない過酷な環境こそ、自然の醍醐味というわけです。
ドラム缶風呂に入ることは、「お湯につかる」ということと同時に「大自然につかる」ということでもあります。大きな木や青々とした空、キラキラした水辺、そして、瞬く星空。大昔から生き続けている大自然という大きな存在につかって、そのパワーを得る贅沢な時間。自然は何にも代え難い力強くやさしいパワーを感じさせてくれます。だからこそ、薪でわかしたお湯は独特のやわらさを持っているのかもしれません。
次にドラム缶風呂をやってみたい場所は、山頂。いつも以上に覚悟と対策が必要になりそうです。