特集 | 2017 SUMMER
山菜を集めて作るみんなのご馳走

食べる支度

あそんだ人◯遠藤千恵

採る、植える、調理する。
食べる支度をしに、里山へ。
山で山菜や野草を採り、
里で田植えをしたら、
集めた食材を持って、外で料理を作る。
食材が芽吹いていた野山の風景を思いながら、
その風味を新しいおいしさに仕立てていく。
そんなふうに、外での食材集めから、
ご馳走を準備した料理家は、
どんなことを感じ、
どんな発見をしただろう。

ケータリングや出張料理で活躍している、料理家の遠藤千恵さんが訪れたのは、無印良品津南キャンプ場。遅い春が訪れたばかりの雪国の野山は一斉に芽吹き、一面やわらかそうな緑に包まれている。
食べられるもの、食べられないもの、おいしいもの、苦いもの、すっぱいもの......教えてもらい、風味を確かめながら採る。タラの芽はウルシと似ている。茎も芽も真っ赤なのはウルシ。食べちゃダメ。
足元にはヨモギの新芽や茎を伸ばして花を咲かせたフキノトウなど。竹やぶを分け入ると、根曲がり竹が顔を出す。教えてもらっているうちに、どんどん見えてくる。春の野山はまさに山菜・野草の宝庫。
山を下りて、田植えに合流。ひと株ひと株、泥の中にしっかりと植えこむ。このひと株で、お茶碗一杯分のお米になるという。
苗が植えられたばかりの田んぼに、空が映る。曇っていた空が明るくなって、雲の切れ間から青空がのぞいてきていた。
左上、愛らしい姿のニラの花の蕾。右上、採ってきた山菜たちを水に放つ。手前にあるのはハンゴンソウ。

野山で食材を集めている時に浮かんだイメージを、フライパンの中で鍋の中で、他の食材や調味料と組み合わせ、料理に仕上げていく。
津南の春のごちそう「ブルスケッタ ワラビとアンチョビ、ニンニクのディップ」「山菜の標本 ウワバミソウのサルサヴェルデソース」「ポテトサラダ 蕗の茎マヨネーズで」「初夏の山の参鶏湯(丸鶏、押麦、アケビの新芽、根曲竹、山ウド、ワラビ、フキ)」「津南のアスパラガスのミモザ仕立て」「根曲がり竹とニラ坊主(ニラの花の蕾)のソテー」「山ウドと鶏ハムのカルパッチョ 山椒のオイル」「津南のアスパラガス、押麦、新玉ねぎのサラダ カルダモンとクミンのソースで」(以下、これ以外に用意した料理)「ハンゴンソウのバターソテー」「塩麹漬け津南ポーク 杉の新芽スモーク/山ウドの葉包み焼き」「山のハーブご飯(よもぎ、津南ポークベーコン、木の芽のオイル)」

食べる支度は、すべて
「ごちそうさま」のために

食べる支度をした人/遠藤千恵

料理家である私が、ケータリングや出張料理にと日々料理を作るとき、最初に思い描くのは、食材のある景色だ。畑ではどんな野菜が食べ頃だろう、森にはどんなものが生え、実っているだろうか。そんなことを思い浮かべることが、私の「食べる支度」のはじまりになる。

今回も、最初に思い浮かべたのは山の風景。新潟のキャンプ場に田植えに行こうと誘われ、集まったみんなを労う夕飯を作ることになったときのことだ。私は山の風景に思いを馳せ、山菜料理にしようと決めた。


野性も目覚める「収穫」という支度

雨の朝、キャンプ場に到着した私は、早速キャンプ場支配人の案内で、食材を探しに散策に出た。山菜や野草に詳しい支配人は、山菜や野草を見つけては、ひょいとその一部を「食べてごらん」と、手渡してくれる。茎をチュッと吸うと、目が覚めるほどのすっぱさが飛び込んでくるイタドリ。採りたてのウドの皮を剥いてかじると、シャキッとみずみずしくて梨のよう。草むらにすっと伸びるのはフキノトウの花。フキノトウと同じ香りがして、絶妙な苦みもそのまま。それぞれの味はくっきりと、色彩豊かだった。

そうやって歩いていると、さっきまで「ただの草むら」にしか見えていなかった風景が、「食材の宝庫」だったことに気がつく。ウド、フキノトウの花茎、タラの芽、ヨモギ、アケビの新芽、根曲り竹......と、収穫していると、地面に這いつくばる前屈姿勢や、ぐいっと手を伸ばす動作も板について、気づけば、その姿はまるで猿のよう。「山の中で食べる物を集める」という原始的な行為のおかげで、私の中の野生が目覚めたみたい。

いつも私は、食べる支度の中でも、自分の手で食材を採る/獲るときに、最もわくわくする。それは「生きるための営み」として、自分の中の本能が刺激されるからだったからなのかもしれない、と、なんだか腑に落ちた。

食材に触れながら感覚が研ぎすまされる

山菜は、食べる前の下準備に手間がかかる。

タラの芽は、やわらかいながら鋭いトゲを、爪で取り除く。根曲がり竹は、包丁で皮に切り込み入れ、そこから親指の指先を使って剥く。剥いたら、節の部分に包丁を入れ、刃が入りにくい固い根元を取り除く。そうすると、元の三分の一程度の量に。水煮でも売っているが、改めて手間のかかった贅沢品だと実感する。採りたては生でもフルーティだったウドは、アクがまわって、水煮しても顔をしかめる苦さ。さてどうしようかと考え、コンフィにした。コンフィとは、低温でオイル煮すること。じっくり火を通してみると、程よい苦味をそのままに、しっとりと甘みが引き出せた。これは、スライスして鳥のハムとカルパッチョにしよう、と決めた。

メニューは、事前に想定してあったけれど、結局いろいろ変更して、ライブ感たっぷりのメニューになった。野山で山菜を採りながら味見をしているときに、その味が私の中の「食の記憶」と結びついて、料理の構想として膨らんだり、調理を進めながら組み合わせる食材を変更したり。たとえば、ウドの葉。コリアンダーのような強い香りが印象的だったから、サラダにアクセントとして加え、風味づけに参鶏湯にも加えた。フキノトウの花茎で作ったフキ味噌は、じゃがいもと合わせて風味を楽しむポテトサラダにした。たっぷり採れたヨモギは、去年の秋に収穫したお米と炊き上げ、秋の豊作を願って田植えを祝す一品に。

日が暮れた頃、朝から野山を馳せ走り、手に入れた食材で作った「ご馳走」ができあがった。テーブルには、さまざまに姿を変えた山の幸が並んだ。そこへ、田植えを終えたみんなが、お腹をすかせて登場。「すごい!」とびっくりしながら、テーブルいっぱいの料理を、気持ち良いくらいあっという間に平らげてくれた。

翌朝、みんなが「おはよう」の代わりにかけてくれたのは、「昨日はおいしかったよ、ごちそうさま!」という言葉。「食べる支度」は、このためにあったんだなぁ。そんなふうに思いながら、なんとも言えない幸福感が身体の中いっぱいに広がるのを感じた。そして、帰り際、山に、心の中で声をかけた。

ごちそうさまでした。

えんどうちえ|1974年東京都生まれ。料理家。国際線客室乗務員として勤務したのち料理の道へ。武蔵小山「ties」のシェフを経て、現在は自然豊かな土地に暮らし、畑で野菜を育てながら、四季折々のおいしさ、美しさを活かした出張料理、メニュー制作を行っている。

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