半島から、半島へ
土曜日の朝。自転車を抱えて電車で郊外の街へ。
サイクリングしながら観光......と思いきや、
僕らは街を飛び出し、半島をひとまたぎ。
海の交通を見守る灯台からは、
湾の向こうにある半島の影が見える。
目指すのは、あの半島の先っぽにある灯台だ。
いつも椅子に座りっぱなしの身体を
自転車に乗せて、ペダルをこぐ。
山を越え、街を抜け、海を渡って、
半島から半島へ、自転車で巡る週末旅。
みんなで「その先」を
眺めるために
あそんだ人、代表/佐伯英範
自転車で二日間、旅をした。やってみようと思いついたものの、最初、地図で確認したその距離にビビってしまったのは、悲しいかな大人になってしまったからだろうか。
子どものころは、自転車に乗ればどこまででも行けると思っていた。五歳の頃には友達と補助輪付きの自転車で隣町まで行って、親に心配をかけたこともあったっけ。小学生や中学生の頃は、自転車で海まで通っていた。片道十五キロくらいの道のりが当たり前だった。
ビビってる場合ではないぞ、と気持ちを奮い立たせ、スタートの駅で待ち合わせた旅の友二人と一緒に、持ってきた自転車を輪行バックから取り出して組み立てた (実は、この時点では二人も相当不安だったらしい、ということを旅が終わってから知った) 。そして、「ゴールまで行けなかったら、それはそれでいいじゃないか!」と、大人の余裕ってやつを引っ張り出して、三人でペダルをこぎ始めた。
今回のルートは、海にほど近い駅から海沿いを走り、半島を横切って反対側の海に至り、さらに海岸沿いを走って港からフェリーに乗り、湾の向こうの半島へたどり着く一日目と、二日目は向こうの半島を南下し、先端の灯台を目指す、というものだ。
走り出すと、実にさまざまな情報が飛び込んでくることに驚いた。目に映る景色の変化はもちろんのこと、海が近づけばまだその姿が見えなくても磯の匂いがしてくるし、農道を走ればどこからか家畜の匂いが鼻をかすめる。波の音や鳥の鳴き声もいいBGMだったな。山道に入ると街より気温が下がったのが感じられたし、日差しが強く暑い午後でも、日陰に入るだけでぐっと涼しさを感じられるのには感動した。ただ自転車をこいでいるだけなのに、常に周囲がリズミカルに語りかけてくるから、気分はどんどん上がっていった。
知らない街を走って、知らない人と出会う。それだけで大冒険だ。
並んでしゃべりながら歩くのとは違って、自転車は走っているときは基本一人なのだけど、時折声をかけあう仲間がいるのはやっぱりうれしい。半島を横切るアップダウンの多いエリアでは、「坂だー! がんばるぞー!」「よーし、イーチニー! イーチニー!」と、部活のように三人で声を出した。道端にユニークな看板を見つければ、「あれ、見て!」と誰かが声をあげ、笑って疲れも吹き飛んだ。僕たちは、ペダルをこげばこぐほどに無邪気になっていって、出発時に抱いていた不安は、いつの間にかどこかへ消え去ってしまったように思う。
思い返せば、走ってきたのはなんてことのない道ばかりだったけれど、住宅街でも商店街でも農道でも海沿いでも、初めて走る道だからいつもわくわくしていた。曲がったら何があるのか、トンネルを抜けたらどんな景色が広がっているのか、〝その先を知らない道〟を進んで行く、というのがたまらなく面白かった。事前に細かく調べていなかったのもよかったのだろう。知らない街を走って、知らない人と出会って言葉を交わす。それだけで気分は大冒険だ。「どこから来たの?」「半島の向こう側から、海の向こうの半島から、自転車で来ました」「ええっ! 本当!」というやりとりを何度したかなあ......!
そして二日目の昼過ぎに、僕らは無事、目標の灯台にゴールした。三人揃って「ゴール!」と灯台の敷地に立ち、ぐるり自分たちを囲む海を眺めていると、果てまで来たなぁという思いと共に、ものすごい達成感に包まれた。それは、二日間走りきった達成感でも、目的地に辿り着いた達成感でもなく、この旅を三人で思い切り満喫した! という達成感。体力は完全に奪われ、くたくたに疲れたけれど、どこか満たされた感覚があった。それは、一緒に旅した二人も同じはず。そういえば、子どもの頃に友達と自転車で遠くに出かけて帰ってきた時も、こんな気分だったっけ。
あの頃の僕に今改めて伝えたくなった。「自転車があればどこまでもいけるってその考え、あながち間違ってないぞ!」ってね。