特集 | 2022 SPRING
気球に乗って雲越えて

空から見れば

あそんだ人◯渡瀬達生、志保、心実

たとえば、いつも電車で通り過ぎる街を歩いてみたら、
意外と起伏に富んでいることに気がつく。
たとえば、遠くから見ると鏡のように光る海に
身を委ねてみると、その絶え間ない動きを感じることができる。
そんなふうに、いつもの世界を違った見方で見てみれば、
そこには思いがけない発見があり、
新しい感覚があり、ワクワクに溢れている。
だから今日は、日が昇る前の薄暗い時間に集合して、
熱気球でふわり風に乗り、空を散歩してみることに。
梢すれすれの高さから、
街がミニチュアみたいに見える高さから、
そしてもっと高い空から見れば、
どんな景色を体験できるだろう?

夜明けの冷たい空気の中、スタッフと一緒に準備に参加しているのは、今回のあそぶ人、渡瀬一家(達生、志保、心実)。広げているのはバルーン。その生地はさらりと滑らかな触り心地だが、学校のプールくらいの大きさなので、広げるのはちょっとした重労働。
「気球はこのバルーン部分にためた空気を温めて、外気との温度差で浮上します。だから寒い季節の方が上がりやすいんです」と説明してくれたのは、今回のパイロット水上孝雄さん。国内外の大会に数多く出場し何度も優勝を経験しているベテランだ。
最初にバルーンを送風機でふくらませたら、バーナーを点火して空気を温める。横たわっていた気球が立ち上がる様は、何か生き物が起き上がったかのよう。バーナーの「ゴーッ」という音はかなりの音量で、点火中は会話も聞こえないほど。
気球は風に乗って進む。それゆえパイロットは高さによって異なる風向きと風のスピードを読み、気球の高度を調整して行きたい方向の風に乗り換えながら、目的地を目指す。「水上さんには、僕らには見えていない風が見えているみたいでした」(達生)
バーナーを点火するとその大きな音に遮られて会話はぴたりと止まる。そして、バーナーを止めた瞬間の静寂。「まったくの無音で、耳が壊れたのかと思いました。自分の心臓の音だけが妙に大きく聞こえるような気がしたのが印象的でした」(達生)
地上約800mの雲の中へ。冷気も湿気も感じず、ただ真っ白な世界。「飛行機に乗った時に窓の外に見える雲って、一体どんな感じなんだろうってずっと思っていたから、その答え合わせができた気分。雲の中に行ってみたいっていう夢が叶った!」(心実)
気球は下降しながら風を乗り換え、着陸地点に向かう。フライト時間は約50分。「乗っている時は風を感じないし時間の感覚もなくなってふわりと浮かんでいる気分でしたが、実は自分が風になって空を翔けていたのだと思ったら感動してしまいました」(志保)

気球という生き物と風にのって、
あの雲の向こうまで旅をした

あそんだ人◯渡瀬達生/志保/心実

気球での移動は、乗り物ではなくまるで何かの生き物に乗っているみたいでした。自動車や飛行機のように人の意志で行き先を決めて移動するのではなく、気球自身が行き先を決めているように感じたから、そして、雲の向こうまで連れて行ってもらったような印象が残ったからだと思います。もちろん気球は意志など持っていませんし、行き先を決めているのは風と風を読んで高度を調整するパイロットなんですけどね。山登りのように自分で足を動かしたわけではありせんが、気球に乗った五〇分間は、僕ら家族にとっては短編小説のような小旅行であり、想像以上の大冒険でした。

集合時間は朝六時。まだ薄暗い空はブルーグレーのグラデーションで、残念ながら空を雲が覆っていることがわかりました。その空に向かってパイロットの水上さんがゴム風船を飛ばして風の流れを読む、その静かなひとときは、登山家がアタックするタイミングを今か今かと待っているようで、緊張感と高揚感が入り混じったなんともいえない気分でした。

空全体が明るくなった頃には出発地点と到着地点が決まり、いざ出発です。とはいっても、飛行機のように「飛び立つぞ!」という感じではなく、言われなければ浮いているとは気づかないくらい穏やかに離陸していました。はじめは木々の上や川の水面の上をゆっくり滑るように移動して鳥の目線を味わっていたはずが、やがて遠くの山や大きな貯水池の全貌が見えてきて、ずいぶん高く上がったことに気が付きました。下を見ると、家々や通勤の車がミニチュアのように小さい! どのくらい高いところにいるのかわからなくなってしまって、まるでカメラのピントを合わせ直すように、はるか下に見える景色と、足元や娘の頭を交互に見ていたのを覚えています。距離感覚が狂いそうな自分を落ち着けたかったのかもしれません。

「今、地上から六〇〇メートルくらいですね」

パイロットの水上さんの言葉に、自分が東京スカイツリーとほぼ同じ高さにいると気づいて、急に足がすくみました。


真っ白い雲を通り抜けて、見上げていた雲の向こう側へ

やがて「あれ、視界が白っぽくなってきたな」と思うやいなや、吹雪でホワイトアウトした時のような真っ白の世界に。雲の中です。水上さんに聞けば、雲の厚さは約百メートル。気球が一分で八〇メートルほど上昇するそうですから、滞在時間は一分ちょっとのはずですが、何も見えない不安があったからか、もっとずっと長く感じられました。

そして急に辺りが明るくなったかと思ったら、目の前には澄んだ青空と神々しい朝日。曇りの地上にいた時よりも気温が上がったのを感じました。雲の上の景色は飛行機の窓から何度も見ているはずなのに、ガラスを挟まずそこに身を置きながら見た景色は別物で、雲を抜けた時は、ファンタジーの世界に迷い込んじゃったのか!? という気分でしたね。

眼下に広がる雲海には気球が小さく影を落とし、その周りには虹。これはブロッケン現象という、ベテランパイロットでも年に数回しか見られない現象だそうで、水上さんも「今日はラッキーですよ!」とうれしそうでした。妻も身じろぎもせず景色を見つめ、乗り込む時には怖そうにしていた娘もキラキラと目を輝かせていて、家族三人一緒にこの雲の上の景色を見れたこと、この時間を過ごせたことは、本当によかったと思います。とはいえ、気球が降下し始め再び雲を抜け、人の営みを感じる街並みが見えてきた時には、どこかほっとした自分もいました。

この日以来、空が曇ったり雨が降ったりしている時ほど、あの雲の向こうは晴れているんだな、と気球から見た雲の上の青空を思い出します。目をつぶればすぐに雲の上の景色を思い描けるのは、空の中に身体ごと飛び込んだ冒険者だけの特権だと密かに得意な気持ちになります。

妻と娘とは、「また乗りたいね」と話しています。僕としてはいつか自分で風を読み気球を操縦して、再び家族で空を旅してみたい。空の散歩は壮大な夢とワクワクを与えてくれました。

わたせたつき(右)|1977年茨城県生まれ。無印良品カンパーニャ嬬恋キャンプ場勤務。20代の時は自転車でユーラシア大陸・北米を旅したこともある冒険好き。現在は、妻の志保(左)と娘の心実(中)と自宅の庭をフィールドに家庭菜園から焚き火、雪あそびまで堪能する他、夏には各地の海でシュノーケリングも。年間を通して、家族で外あそびを満喫している。

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