ひとつの時代と出合う、町の元ガレージ
第12回 Sparrow House 細谷洋介さん インタビュー
プロフィール
細谷洋介さん:アンティーク&カフェ「Sparrow House」オーナー
大阪・池田駅から五月山の方向へ歩いていく途中、通りを横道に一歩入ると、アンティーク家具の姿が。お店のドアを開いて中へ踏み入れば、レトロな食器や雑貨が並んでいます。お店の名前はSparrow House。4年前にアンティーク家具や雑貨の販売・カフェとして、池田の町へ生まれました。オーナーの細谷さんは、幼少期から池田在住。雑誌の編集の仕事を経て、お店を開店させたそうなんです。
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- そもそもなぜ、お店を開くことになったんですか?
- 細谷さん:
- ちょうど雑誌が売れなくなり始めた時期に入ったというのが一つですね。当時はiモードがちょうど始まった頃で、有料コンテンツの制作もやっていたんですが、そっちは右肩上がりで、どんどん伸びていました。ある時、上司から雑誌の部門ごとリストラすると言われて。だから会社を辞めて、当時の部下何人かと新たに編集プロダクションをつくりました。お店のオープンは、さらにそのあとです。
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- そうだったんですね。どのような編集を手がけていたんですか?
- 細谷さん:
- MOOK本の編集やライターの仕事のほかに、WEBや携帯のコンテンツなど。でもしばらくしてスマホが発売されて、これでもう情報でお金を取る時代は終わるな…と思ったんです。今なら社員全員に退職金もきちんと払えるという状態だったので、解散することにしたんですよね。そんな時、両親が相次いで亡くなったこともあり、実家の整理をしていると、いろんな古いものが出てきました。そういったものが思いのほか世間では需要があるんじゃないか?と思うようになり、この商売を始めたんです。
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- 今までのお仕事とは全然違うお仕事ですよね。
- 細谷さん:
- やはり50歳を過ぎていると、今から再就職というのはあんまり考えられなくて。自分で何かせなしゃあないと思ったんですよね。たまたま家内が何年も、洋菓子店などで製菓を習っていたということもあって。カフェとアンティーク・レトロ雑貨を一緒にするのがいいんじゃないかと。家内はカフェで働いていた経験もあったので。
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- お二人でできることが、この場だったんですね。レトロ雑貨などの知識はもともとお持ちだったんですか?
- 細谷さん:
- 今は古物商の免許を持っていますが、初めからすごく詳しかったわけではありません。ただ、僕自身は昭和34年生まれで、ちょうど高度経済成長期に差しかかった頃。東京オリンピックがあって、大阪万博があって…という時代の移り変わりを実際に見てきましたんでね。そのくらいの時代のものであれば、何がどのように使われていたものなのか、自分で見てわかる。そのため置いてあるレトロ雑貨も、自分で見て、体験としてわかる範囲のものが中心ですね。
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- 背景がわかる、と。仕入れもすべてご自身で?
- 細谷さん:
- そうです。7割くらいが池田にある個人の方の家から引き取ったものです。さまざまな理由で家を解体したり、出て行かれたりするときに、連絡が来るんですね。お店の案内をポスティングしているので、それでお電話をいただいたり、人づてに連絡が来たり。思い入れのあるものは、ゴミで捨てるのは忍びないから、誰かが使ってくれたらということで。残り3割は、お店の倉庫からの買い付けです。関西だけでなく北陸や四国など、いろいろなところへ。現在も営業されてるお店へは、もちろん他の同業者も目がけてくるので、閉業したところを探すんですよ。看板も全部おろしちゃっていて、普通の民家のようになっているような。
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- どうやって見つけるんですか?
- 細谷さん:
- 例えば地方に行くと街道に行けば、その道に沿って店の跡がありますよね。で、ところどころでぽつんと八百屋さんやタバコ屋さんが営業していたり。そういうところで、「この近所に、こういうお店なかったですか?」と聞いていくうちに辿り着く。そこで「物置か倉庫に、昔の商品って残っていませんか?」と聞くんです。そういう、ものを発見するおもしろさがある仕事かな。
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- 池田に長年お住まいとお聞きしましたが、初めから池田で開店させようと思っていたんですか?
- 細谷さん:
- いや、他にも中津とか中崎町や空掘などで探していました。でも通勤時間を考えて、最終的に池田に。
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- ここはもともと何の建物だったんでしょう?
- 細谷さん:
- 最初はガレージだったんです。築45年くらいになりますかね。誰も借り手がいなくて、10年以上ほったらかしになっていたようで。雨漏りはするし、ひどい状態でしたよ。でも自由に改装していいということやったんで、経費も安く抑えられると思って。改装に4ヶ月くらいかかりました。
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- ガレージだったとは、言われるまで気づかなかったです。
- 細谷さん:
- 最初はね、壁がお座敷の壁みたいな感じだったんですよ。ぶつぶつのあるような。で、ところどころはげ落ちてて、天井に蛍光灯がざーっとついてて。入り口もシャッターだけで、今あるガラス戸は工務店の人に発注しました。水道もガスも通ってなかったので、そこは業者に頼んで。建物自体もグレーのひび割れ状態だったんで塗装して、今とは全然違う様子でしたね。
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- リノベーションをされていく中で、とくに大変だったところはありますか?
- 細谷さん:
- これは素人だからなんですけどね、天井をまず落とさないといけなくて、それが大変でしたね。で、なかでも一番しんどかったのは天井を塗る作業。ずっと上を向いてやりますから。そうすると塗料はぼたぼた落ちてきますし、高い脚立に乗って、ずっと上を向いてやるというのは首とか肩とかがものすごく凝るんです。ちょっとやっては休憩して。だからヨーロッパの天井壁画なんか見るとね、あれは大変だったろうな〜って思いますよね(笑)。
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- しかも天井壁画の場合は、模様も細かいですもんね。
- 細谷さん:
- そうそう(笑)。そういえばちょうど天井を塗っている最中、近所で工事をしていた塗装屋さんがたまたま覗きにきはって。何やってるんだろうって。で、「白の塗料には黒を少し入れるとええよ」ってアドバイスくれたんです。そうするとパリッとした白になるんですね。白の塗料をそのまま塗るとアイボリーみたく仕上がるんですって。
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- 職人さんならではのアドバイスですね。
- 細谷さん:
- それからしばらくしたら、その塗装屋さんが職人を何人か連れてこられて、また覗きに来て。「おまえら、よう見とけよ。これはプロのやった仕事じゃない。でもちょっと素人っぽいこの程度が今の流行りだからな」って(笑)。
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- プロが見学に…! 店内の色は白が基調になっていますが、どんなイメージを思い描いていたんですか?
- 細谷さん:
- 具体的には考えていなかったんです。でも色の数を減らしたかったっていうのはありますね。白と茶以外をあまり使いたくなかった。これは雑誌をやっている時の影響もあるんです。ページカラーというのがあって、ページのレイアウトを作る時に色数をあまり入れないんですよ。たくさん入れてしまうと、読者の目が一点に定まらないんです。
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- 見せたいものが、埋もれてしまうんですね。
- 細谷さん:
- その反対に、あちこちに目を向けたいときは、色をたくさん使うんですけどね。これはスーパーのチラシなんかもそうですよ。たくさん使えば使うほど、ものの存在感が薄くなってしまうので、色数を絞るという雑誌の基本だけは意識していたように思います。
細谷さんにとって、仕事場でありながら住まいでもある池田との付き合いは、現在55年を迎えるそう。「昔とはだいぶ変わった」と話す細谷さんですが、いったい以前はどのような町だったのでしょうか? 次回は五月山やその周辺を歩きながら、細谷さんにとっての「昔の池田」を覗いていきます。
Sparrow House 細谷洋介さん
ホーローやブリキ製品、未使用のデッドストックの雑貨など、昭和の時代に生まれたアンティーク&レトロ雑貨を販売。カフェスペースでは、シフォンケーキやチーズケーキなど自家製スイーツがいただける。