人生をかけてつくられたものを、当たり前のよういただくこと
第15回 手仕事屋 山田久さんインタビュー
プロフィール
山田久さん:有限会社 手仕事屋「ばんまい・やさいの広場」代表
1992年に池田に生まれた「有機農産物と自然食品のお店 やさいの広場」と「オーガニックレストラン ばんまい」。大きな山小屋の1階には全国から集められた有機野菜や無添加の食料品が並び、2階ではその食材を使った家庭料理がいただけます。オーナーの山田さんは、今から約25年前にしいたけ栽培農家をやめ、このお店を開いたそう。なぜここ池田に? そして、そもそもどうして、有機野菜や自然食へ興味を持つようになったのでしょうか?
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- お店を始める前はしいたけ農家をされていたとお聞きしたのですが、農業はどのくらいされていたんですか?
- 山田さん:
- だいたい20年くらいですね。能勢で専業農家として、無農薬・有機農法のしいたけをつくっていました。大学を出てすぐに農業を始めたわけではないんですけどね。
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- そうだったんですね。農業を始める前は、どのようなことをされていたんですか?
- 山田さん:
- サラリーマンです。大学で化学を学んでいたんで、食品香料をつくる会社で技術職に就きました。食品香料というのは、例えばいちごのにおいとか松茸のにおいとか、バナナのにおいとか。食品に何かのにおいを付けるために使うものですね。そこで2年働いました。
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- 退職されたのはどうしてですか?
- 山田さん:
- まぁかっこよくいうと、本物がつくりたかったというか。しいたけのにおいではなく、しいたけをつくりたいと思った。においをつくること自体に疑問があったとか、そういうわけではないんです。ある意味で、それは必要悪だと思うんですね。でも技術職としてつくっているうちに、本当に必要なことなのだろうか?と、疑問を持つこともあって。そのうち、自分はずっとは続けられへんなって思うようになった。
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- その経験がきっかけとなって、食べものに対して考えるようになったのですか?
- 山田さん:
- というよりは、その前からですね。実は私は農家の三男坊でして。だから畑や田んぼで作物をつくるという環境で高校を卒業するまで育ってきたわけですし、食べものへの興味はもともとあったように思いますね。あと、ものをつくることの大切さのようなものは、それまで18年生きてきたなかで養われてきたかな。けど、じゃぁ自分が18歳の時に農業をやるか?と言われたら、嫌で仕方なかった。それに農家というものは、一番上の兄が農業を継ぐと、ある意味決まっている部分があって、そこに居座るというのは無理なんです。だから外へ出て自分で生活をしていくことが求められている。で、たまたま私は勉強が好きやったんで、大学に行きたかった。
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- それで、進学されたんですね。
- 山田さん:
- そうですね。でも56年前にね、百姓の息子が大学へ行かせてもらえるなんていうのは、よっぽどのことがないと無理なんですよ。裕福な家庭でもなかったですしね。それを無理言って、認めてくれた両親や兄たちには非常に感謝してます。工学部へ入学したんですが、卒業後は池田にあった通産省(当時)の研究所で研修を続け、その流れで食品香料の道に入ったんです。
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- いくつかある農業の中から、しいたけを選んだのはなぜなんですか?
- 山田さん:
- 儲かるかなって思って(笑)。まぁ偶然そうなったというのもあります。3月に会社を辞めたあと、4月に能勢に行ったんですね。で、役場の門を叩いて、どこか農業を教えてくれるところはないか?と相談したんです。そしたら能勢町の森林組合を紹介されて。そこがしいたけづくりをやっていたので、研修生として雇ってもらったわけです。
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- 能勢を選んだのはなぜですか?
- 山田さん:
- 特に、能勢でなくちゃならんという大きな動機があったわけでないんです。池田の研究所にいた頃、能勢は近かったので、よく植物採集で山を歩いたりしていて。身近な場所であったし、一度住んでみたい土地でもあったんですね。森林組合で研修生として雇ってもらったあと、6ヵ月くらいで独立しました。その頃能勢は里山だったので、近くの山にクヌギとかコナラとか、まだ原木になる木が生えていたんです。そういうところの山を紹介してもらって、入手した木を手のこで切る。当時はチェーンソーなんか買うことができなかったので、一本ずつ1mの長さに玉切りにして。そこに菌を植えていくんです。非常に原始的な作業ですよね、今から考えれば。
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- その後、「オーガニックレストラン ばんまい」と「有機農産物と自然食品のお店 やさいの広場」オープンされたんですね。
- 山田さん:
- そうです。妻が池田の出身ということもあり、家庭の事情もあって、池田へ引っ越すことになったんですね。私は通い農業になったわけですが、やはり往復2時間くらいかかると、物理的に無理が生じてきて。農家として生産することについて、改めて考えるようになって。今まで培ってきた流れの中で、このお店へ行き着いたんです。
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- 次のステップというか、同じ流れのなかで、違う分野へ進まれたんですね。
- 山田さん:
- はい、だから何のためらいもなかった。自分がつくっていたしいたけや野菜は、豊中のビオマーケットという会社へ卸していたんですが、今度はそこから仕入れをすることにしたんです。小売りだけではおもしろくないから、食堂も一緒に開いちゃおうという。
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- この場所はどのように見つけたんですか?
- 山田さん:
- ここは家内の実家が持っていた土地でした。それを借りて担保にして、建物を建てたんですね。大きな借金を背負って。
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- 駅から歩いて10分ちょっとの場所に、大きな山小屋があると、別世界のように感じます。
- 山田さん:
- ええ、都会にいても山小屋のような空間をつくりたくて。自分が店をやるのであれば、自分がいても気持ちがいい、天井が高くて広い空間をつくりたかったわけです。木材もね、すべて国産のものを使って。池田に引っ越してきてから知り合った近所の大工さんにつくってもらったんですが、曲がっている木材を使ってみたり、大工さんじゃないとできない家づくりですよ。テーブルや椅子も、友人に家具職人がいたのでつくってもらって。一緒に河内長野のほうまで、木材を買いに行って、トラックに積んで、ここで加工し仕上げるというように進んでいきました。いわゆる既製品は、一つもないんです。すべて、手仕事。
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- 会社名を手仕事屋にしたのは、どのような理由があったのでしょうか?
- 山田さん:
- 例えばうちの食堂で出すものは、加工したものはほとんど使用しないし、全部素材から一つひとつ下処理をしてつくっていくわけです。販売している有機農業の野菜も最小限の機械は使っていますが、基本的には自分の能力というか肉体を使ってつくったもの。それが有機農業だと僕は思っていて。化学肥料を使わずに、できるだけ自然の肥料を使い、自然界にある農薬として利用できるものを使う。そういう、一つずつ手間ひまをかけてつくったものを、提供する場として、手仕事屋としたんですね。
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- 農家という生産者側から、お客さんへ直接提供する側になって、何か変化はありますか?
- 山田さん:
- そうですねぇ、食べものに対しての考え方や有機野菜について、どう発信していくかというのは非常に難しく感じています。よく有機野菜を使っているお店などへいくと、素材について一つひとつ説明されることが多いですよね。僕、それはあんまり好きじゃないんです。有機野菜や無添加のものを使うということ、それは当たり前なことだと思うわけです。もったいつけてやるものではなくね。安くで原材料を仕入れて添加物を使い、おいしそうにデコレートして食べさせるほうが、僕は普通じゃないと感じます。だから無農薬であることや有機野菜であることを、そこまで強調せず、出していくことが普通だと思うんです。安心で安全な食材であるということさえ担保できれば、それ以上説明することっていらないんじゃないか?って。
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- 特別ではなく、当たり前のこととしてやっていく。
- 山田さん:
- そうそう。だからその食材を、ごちゃごちゃと調理するのでなく、できるだけシンプルに素材の味を活かす。盛り付けのセンスとか僕には無いから、いろんな意味で“家庭料理”だと思って、普段の食事と同じように食べていただきたいと思うんですね。
池田へ住む人、訪れる人のために、からだに優しい食材を使った一皿を出す山田さん。実は2016年1月から、ここ池田で新たな活動を始めたそう。それは「池田 こども食堂 いろは」。次回は池田の街で始まったこの活動について、お話を聞いていきます。
手仕事屋 山田久さん
有機野菜や無添加の加工品の販売をする「有機農産物と自然食品のお店 やさいの広場」と、「オーガニックレストラン ばんまい」のほかに、「ぎゃらりぃ 手しごとや」や貸しスペース「すぺーす・くるみ堂」を併設する、池田の大きなログハウス。2階の「ばんまい」では、旬の移り変わりに合わせて、その日の食材でつくられる日替わりの「ばんまい定食」がいただける。