開店―2「不安そして前進」
計画当初は、出店を危ぶむ声が大きかった。
まず、青山という土地にノーブランド品が適合するのか、という疑問。青山といえば、有数の高級ブランドの街である。実用品中心で低単価の無印が受け入れられるのだろうか?
また、店舗の候補物件は、青山にしては賃料が安かったものの、何をやっても長続きしないと言われた「曰く付き」のビルである。実際に、その前に営業していたアイスクリームショップは閉店していた。そして、周辺に集客力のある店が少なく、向かい側は青山学院大学で商店街が寸断されていた。
内部的な問題もある。小さな店とはいえ、品揃えの絶対量が足りない。ファッションの街に出店するというのに、特に衣料品が足りなかった。また、いくら賃料が安いと言っても、それに見合う収益の見込みがなかなか立たない。専門店運営の経験もスキームも持っていない。ナイナイづくしであった。
最終的には経営トップ(堤清二氏)の一声で出店が決まった。
「専門店の一号店を、通常の出店のように考えてはいけない。専門店の情報発信は、都心の好適地でしかできない。発信できれば、次の展開がある。青山は常にマスコミがウォッチしている街。ブランドの街でノーブランドを展開すれば、彼らは放っておかないだろう。店はまずショールームや実験店として機能すれば良い」・・・そして、その通りになった。
開店初日から、狭い店が人で埋まった。人が人を呼び、狭い入口に行列ができる。警察官が駆けつける。商品が足りず、担当者は慌てて他店へ走った。
お客様が今までとは全く違う。オシャレなOLやアーティスト風の男性が来る。すし屋のおやじさんが覗く。サラリーマンが立ち寄る。和服を着た奥様が、ダンボールくず入れやトイレットペーパーを山のように抱えて行く。女子大生が大騒ぎして、ノートやファイルを買っていく。31坪の小さなスペースは、賑やかで楽しい声で溢れていた。
固唾を呑んで開店応援をしていたスタッフはビックリした。そして嬉しかった。連日の疲れも吹っ飛んだ。ガッツポーズにハイタッチ、ハグに体当たり・・・何でもありだった。
お客様一人一人にお礼を言って、何かご馳走したいくらいの気分である。サラリーマンでも、鳥肌が立つような、アドレナリンが駆け巡るような、そんな瞬間があることを知る。
一緒に仕事をし、応援してくれた多くのクリエーターの方々も三々五々、駆けつけてくれた。「ホオ!」と目を丸くしてたたずむ。そして仲間を見つけては、遠巻きに舗道会議が始まっていた。みんな楽しそうだった。
3年目に入った無印良品は、こうして青山で新たなステップを踏むことができた。
ブランドの街・青山に生まれたこのノーブランド店は、連日マスコミに大きく取り上げられた。パブリシティの効果は、すごいものがあった。情報が情報を生み、人が人を呼んだ。広告費に換算したら、一体どのくらいになったのだろうか?青山の情報発信力の高さに改めて驚いたのは、私だけではないだろう。