開店前―「自転車が走る」
青山が開店する前年の1982年、雑誌「an an」に1枚の写真が掲載された。
若い女性が自転車に乗って、青山を颯爽と走っている。乗っているのは、発売して間もない無印良品自転車22型。ドロよけがはずされ、籐の篭がつけられ、篭からはフランスパンが顔を出している。
そして「今、最もファッショナブル...」というキャプションが添えられていた。
商品開発の過程で製造段階のムダを考えていくうち、セットアップのムダに気づいた。
その代表的なものが自転車。人それぞれ、使い方も好みも違うはず。雨の日に乗らなければドロよけはいらないだろうし、篭だって自分の好みのものをつけたいだろう。
そこで、本体とパーツに分けてコストを下げ、「組み合わせ自由」で販売することにした。「安さ、自由さ、ファッショナブル」──大岡裁きのようなこの自転車は、1機種で年間4万台を売るほどの大ヒット商品に。 '82年度日経年間優秀製品賞を受賞するという、オマケまでついた。
一方、セットで使われる時のムダもあった。調べてみると、布団は90%以上の人がカバーやシーツをつけて使っている。布団の側生地の柄は、使う時点では隠されてしまうわけだ。それならと、プリントしていない無地の側生地で布団をつくってみた。初めは「ヌード布団」と言われ、お客様にも産地にも驚かれたが、そのシンプルさが徐々に受け入れられていった。そして綿の自然な質感への共感は、生成りファッションへと受け継がれていった。
こうして青山開店前には、核となる商品が徐々に生まれ始めていた。
マスコミにもしばしば登場するようになり、ブランドとしても認知されるようになっていた。
しかし'82年末の時点で、商品はまだ220アイテム。とても専門店の売り場を構成できる数ではない。社長(堤清二氏)からは「ショールームで良い」と言われたが、そうはいかない。
アンチの虫がムクムクとわきあがる。半年間でなんとかアイテムを倍増したい。衣料品を中心に、商品開発に拍車がかかった。