開店に向けて―「レストランに入ったか?」
「どんな人が道を歩いているのか?近くのレストランやバーに入って、お客を調べたか?
店の奥の方には、どんな人が住んでいるのか?」──社長(堤清二さん)の矢継ぎ早の質問に、目を白黒させた。大まかな市場調査はしたものの、確かに、実地調査は足りていなかった。
「でも青山のレストランやバーに入るには、予算も給料も...」と言いたいのを、じっとこらえた。
要は、その地域や人に合わせて商品構成をしなければいけない、ということである。
お客様によって、当然、品揃えも、展開方法も、ボリュームのつけかたも変わる。
急いで物づくりをしたものの、それは品揃えではなくて、単なる品集めだったのかもしれない。
「とにかく開店までに数多く並べたい」という安易な頭を見透かされて、ガツンと叩かれた気がした。
31坪にかける社長の情熱を感じた。すぐ、周辺を中心に実地調査をやり直した。
青山の裏側は、イメージとはずいぶん違っていた。青山通りから細い路地を入っていくと、ビルの後ろにたくさんの住宅がある。そしてそこには、昔から住んでいるたくさんの人たちがいた。通行する人、働いたり学んだりする人、そこで生活している人...現場が教科書であることを、改めて教えられる。近所の、よく来てくれる人たちを、大切にしなければならない。
出典元:無印良品[白書](発行 株式会社スミス)
開店前に、無印良品は418アイテムにまで広がった。しかし、地元のお客様に必要とされる商品が足りないと思った。当時の西友は、オリジナルブランド隆盛の時代で、無印良品をはじめユニークなブランドが次々と開発されていた。その中の2つのブランド、食品の「故郷銘品」と家庭用品の「主婦の目」を、無印と一緒に展開することにした。
出典元:無印良品[白書](発行 株式会社スミス)
この助っ人商品たちは、品揃えを補完しお客様の層を拡げてくれた。そして、その後の無印の商品開発に大きな影響を与えることにもなった。日本の各地に古くから伝えられてきた、つくり手の温もりのある「故郷銘品」は、現在も「FOUND」の食品として有楽町や大型店で展開されている。「主婦の目」は、主婦のモニター調査から生まれた商品で、「つかう人が、つくる人」の発想は今も生きている。
その後に発売された、白いシンプルな家電「シアーズN-10」も、素材や製法にこだわった「食の幸」も、都市の女性のための「Clothing衣服群」も、その発想や手法が無印に生かされた。商品開発のDNAは受け継がれていった。
こうして商品構成も決まり、あとは開店を待つばかり。「不安と期待」のカウントダウンが始まる。