アフリカの流儀
「アフリカに行くんです」
そう言うと、十中八九、「危なくないの?」
こう尋ねられたものです。
日本から見るアフリカ大陸は、
距離的な遠さや経済力の低さに由来する脆弱なインフラ、
民族対立や突如ぼっ発する政変、あるいは未知の伝染病
どれもあまりよいニュースは日本に入ってきにくいものです。
事実、僕がケニアに入り、東アフリカの中心地ナイロビに到着すると、
市内北部のショッピングモールを襲撃するテロが発生しました。
このテロの恐怖は現地のみならず世界中に衝撃を持って波及し、
ニュースで報道された記憶を皆さん持っていることでしょう。
そうしてこうしたニュースを見聞きする機会が積み重なって
冒頭の「危なくないの?」に繋がるのではないかと思います。
この問いに対し僕自身、実際にアフリカを自転車で走り、
ナイロビまでやってきているのだから
「危なくないよ」と答えていいのかもしれません。
けれど、アフリカはこれまでの旅の中でも最も乱暴な車の運転に
いつか轢かれてしまうんじゃないかと毎日ヒヤヒヤし、
夕食に食べたピラフに食あたりを起こし、一晩中吐き続けたりと
少なからず大変な思いはしたので「危ないよ」と言うことも出来てしまいます。
要するに、そんな問いを受ける度に
結果としての安全や苦しんだ体験を両方しているので、
いつも答えに窮してしまうのです。
ただ、それらの体験は実際に行ってみたことで感じ得たことですし、
皆さんがもしかして抱いているかもしれないアフリカへの不安は
情報が少ないが故の漠然とした不安のような気がします。
だからぼんやり感じる不安と、実際に感じる危機感では少し捉え方が違ってきます。
運転が悪ければ、絶対に路肩をはみ出さないように走る、
食中毒を避けるために自前の水で手を洗い、綺麗な食堂を選ぶ、
街の治安が悪ければ、夕方までに行動を終了し、夜は出歩かないなど
現地に行ってみた上でその土地の空気を感じ、
そこから対策を取ればある程度、危機への回避が出来ると思います。
その土地の空気とは、例えば商店の物やりとりは鉄格子越しだったり、
建物の前に銃を構えた警備員がいる、
路上に捨てられたゴミの量などたくさんの要素から感じ取ることが出来ます。
アフリカ旅行にありがちなホットシャワーがない、そもそも水が出ないや
食事が口に合わない、道路の状態が悪い、通信環境が良くない
それらの事柄は不安というよりは、
僕ら先進国と呼ばれる立場から捉えた不満だと思います。
不満は取り立てて、命に危機を及ぼすものではありませんから、
「ここはアフリカなんだ」と思ってしまえば不思議と割りきれてしまうものです。
それに、知らないが故の不安は言い換えれば、未知への好奇心です。
好奇心は旅の原動力そのものですから、
そうやって筋道を立てて考えてみると
アフリカを避ける理由は自分にとってありませんでした。
そして自転車で旅をすることは、その土地を信じることと同義な気がします。
辿り着いた小さな集落の食堂で現地の人と同じものを食べる。
彼らがカトラリーも使わず手ですくって食べていたら、同じ作法で食べてみる。
固唾を飲んで僕の食事を見守る周囲に向かって、
ニッと笑顔を作って、美味いを示す親指を立てると
ドッと周りも安堵の表情を浮かべます。
アフリカではよく挨拶の後に「Give me money」と言われることがありますが、
これもお金を無心されていると捉えるのではなく
挨拶の一つと思って、
僕も「Give me money too!!」と返すと彼らも笑ってくれます。
生き馬の目を抜くような悪擦れた客引きも観光地を除けば、
(ほとんど)どこにもいません。
誤解をおそれずに言えば、世界各国「田舎は優しい」のです。
地べたに座って休憩をしているとき、
何も言わずそっと椅子を差し出してくれたり、
長い坂道を登っているとき、向かいから来るトラックの窓から
水の入ったペットボトルが差し出されたり。
そんな風にこれまでも多くの優しさや歓待を溢れるほどに受けてきました。
疑ったり、訝しく思ってしまうことはキリがないのです。
そう思ってしまうと、せっかくの旅先に来ても宿に塞ぎ込み、
それこそどこにも出かける事ができません。
考えてみれば、途上国と呼ばれる国ほど皆で力を寄せあっていかなければ
暮らしていけない世界です。
そんな世界だから、個人と他人に対しての境界線は低いのかもしれません。
ましてや僕は彼らと肌の色も違う僕が興味の対象になるのは当たり前で、
そんな彼らとのコミュニケーションを避けては、この土地を知ることなど到底出来ません。
今日も自転車を漕いで走っていると、道端の商店から手招きして僕を呼び止めます。
商店にたむろする男たちが「まぁ飲みなよ」と一杯のコップを差し出します。
少し、舐めてみるとアルコールのよう。
『お酒かい?』
「そうだよ」
一瞬たじろいだ後、覚悟を決めて一息でぐいっと飲み干す。
味はともかく『うまい!』そう言うと彼らは本当に嬉しそうに笑います。
そんな彼らを見ていると、僕もなんだか可笑しな気分になってきます。
大都市に限れば、こんなエピソードはなかなか見られないのかもしれませんが、
田舎を走っているとよく出会う光景です。
冒頭に出たナイロビは300万人の市域人口を持つ大都市ですが、
それでも4000万人を抱えるケニア全体で見れば10%にも満たない比率です。
ナイロビはケニアを象徴するような大都市であっても、
ここがケニアの全てではありません。
それこそ、僕が通ってきた名も無き村や街道沿いの小さな街々が重なって
残りの3700万人のケニアを形作っています。
そこに僕はその国の本当の素顔があると思いたい。
アフリカは危ないとも危なくないとも、結論はでませんが
最低限の警戒心を持ちながらも
いつだってその土地を信じて旅していたい、
心根はそうありたいのです。