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もう一つの大陸の「果て」

2013年11月20日

目的地を定める時に、「果て」ほど分かりやすいところはありません。
大抵、○○岬と呼ばれる場所です。
大地が終わり、道が途切れるその場所は、
明確に旅路の終わりを自身に感じさせます。
そんな場所に立つ度に、視覚が訴えかける感覚というのは、
改めて大きなものだと実感します。

ここアフリカ大陸でも果てに立つべく
南アフリカ共和国の喜望峰(南西端)や
アグラス岬(最南端)を目指す毎日が続きます。
でもつい先日、アフリカに入ったばかりなのに、
なぜ早くも果ての話なのかといえば…

僕の現在地、北部タンザニアに位置するモシの街は
キリマンジャロ山のお膝元。
キリマンジャロといえば言わずと知れたアフリカ第一の高峰です。
これでピンと来た人もいるでしょう。
そう、アフリカ大陸を立体的に捉えた場合、
この5895mの独立峰もまた、立派な一つの大陸の果てなのです。

僕自身、実は歪で真ん丸でない地球の凹凸を体感することを
旅の一つのテーマにしているからには、是非登っておきたい山です。

キリマンジャロは大きく4つのセクションに分かれています。

まずはじめに、鬱蒼とした森のどこかで
猿の鳴き声が轟くジャングル地帯を抜けていきます。

次に視界が開け木立の背丈が徐々に低くなる灌木帯を歩き、
森林限界を越えた先に岩と砂のみが存在する土漠地帯を進みます。

そして山頂付近に広がる氷河地帯。
実に多様な変化を体感しながらのハイクアップとなります。
ただ、残念ながら地球環境の変動の影響で山頂付近の氷河地帯は年々後退し、
あと数年で完全に消滅してしまうと言われています。

キリマンジャロはアイゼンやピッケルを使うような特別な装備を必要としません。
世界各地の5000m峰の中では比較的難易度が低く、
アフリカ最高峰というネームヴァリューも加わって
年間を通じてたくさんの登山客で賑わっています。

ただ、氷河の後退が登頂の難易度を下げているという事実は、
なんとも皮肉で残念なことです。

難易度が低いと言っても、やはり高所になるので相応の体力は求められます。
キリマンジャロ登山で最大のポイントは高度順化です。
起点になる麓のモシタウンは800mの低地のため、
5000m以上の気圧変化を克服しなければなりません。
少しずつ、体を高所に慣らしながら高度を上げなければならず、
メインルートのマラングルートでは通常4泊か5泊の行程で登ります。

僕の場合は結果から言うと、3泊4日の強行軍で登ることとなりましたが、
その際も100回以上登頂を経験したという歴戦のガイドが
3日目の午後に体調を崩し、最後は僕一人で登ることになるなど、
いかに体力に自信がある人間でも、油断すれば命に関わることすらあります。
途中で引き返す人、高山病で身動きが取れなくなる人も
少なからず見かけました。

さて、ちょうど4300mあたりを越えると、
周囲は極めて殺風景な土漠風景が広がっているにも関わらず、
心持ちは、「また、この世界に帰ってきたのだ」、
そんな懐かしさと高揚感の混じった気持ちを覚えました。
生を寄せ付けないこれだけの高地だというのになんともおかしな気分です。

この日は風が凪ぎ、あらゆるものを省いた虚空の世界が目の前に展開されました。
聞こえてくるのは、羽織ったジャケットのナイロン生地が歩く度に擦れる音と
ハァハァという荒れた自分の呼吸だけ。
ふと足を止めると、音のない世界に耳が反動を起こし、キーンという音が脳内に響きます。

思い出すのはちょうど一年前、
アンデスの山々を自転車で駆け巡っていたあの頃です。

道とは呼べないただの砂の轍を進んだ一週間のうちの、半分近くを
自転車を押すほかに前進する手段はなく突破したボリビア南東部。
凄まじい西風の中、唯一見つけた岩の影にテントを張り、
「朝になればきっと止む」と祈るように眠り耐えたアルゼンチン国境。

どちらも、今の場所と同じように5000mに近い高地で、
同じような土漠が続いていました。

そんなかつての情景を心で反芻させながら呼吸を整え、
一口の水を含み、再び歩き出します。

薄い空気に呼吸はすぐに荒れますが、苦しくはありません。
たくさん酸素を取り込むために音が出るほどに息を吸い、吐く。
顔はひたすらに上を向け、呼吸に合わせて一歩一歩。
自転車でも登山でもこのリズムは変わりありません。
一歩ごとに濃度を増す空の彼方へと進んでいくのです。

やがて、キリマンジャロの山頂部に広がる火口に出ました。
アフリカの果ては、この火口をぐるりと回り込んだこの先です。
さぁ、あとひと踏ん張り。

空にしても、海にしても果てに広がるのは、いつだって「青」です。
ふと、どうして僕は果てを目指すのだろう、と考えた時、
少なからずこの青を求めているような気がします。

見渡すかぎりの広い青、どこまでも手の届かない深い青。

寒色の青の持つ、生に対する拒絶感のようなもの。
果てほどにその濃さや密度が詰まっているように感じます。
そこは普段過ごしている日常とのコントラストが
くっきりと感じられる場所のように思えてならないのです。
だから、青が色濃く残るところに行くほどに、
これからの日常を大切に出来る、
そんな願いを持って僕は歩いているのかもしれません。

名も知らぬいつかの誰かが積んだケルンを道標に火口を歩くこと1時間。

山頂のウフルピークを示す看板の下へやって来ました。
大きく息を吸い込んでぐるりと辺りを見渡すと。

果てに広がるのはいつだって「青」なのでした。

【おまけ】
その日の夜は美しい星々が頭上に瞬き、登頂の疲れすら忘れ、
ただただ見入ってしまいました。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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