各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

目抜き通りのテーラーメイド

2013年11月27日

カタカタカタカタ…

タンザニアの街々を歩くと、こんな音が聞こえてきます。
聞き覚えのある音。
けれど長い時間忘れていた音。

音の出元を探してみると、それは通りに面した軒先でいくつかのミシンが並び、
男たちが真剣な眼差しで生地を仕立てている音でした。

今どき珍しい足踏み式のミシンですが、停電が頻繁に発生するアフリカでは
このような電力に頼らないミシンは非常にポピュラーなようです。
ミシン台を携えた仕立屋の背中には、大抵、生地屋があり
兼業している場合がほとんどです。

生地屋で販売されている生地はとてもカラフルで、
鮮やかな模様がプリントされています。

もともと東アフリカ地域では、カンガという一枚布を
様々に着こなすスタイルが伝統的に見られます。
巻きスカートのように腰に巻いたり、ケープのように羽織ったり。
重いものを頭に載せて運ぶ習慣のあるこちらの地域では、
カンガを畳んで頭と運搬物の間に挟むクッションとしての使い方も出来ます。
砂塵が舞えば口元を覆うことも出来、使い方は自由自在なのです。

今どき、アフリカにおいても安価な中国製衣料品が広く出回っていますが、
(といっても製造業に乏しいアフリカにおいて船来品は高級品です)
それでも伝統的なカンガの布を仕立てて、
着用するのはアフリカ人としてのアイデンティティの表れなのでしょうか。

ただし、それらを現代的なシャツやチュニック、
ワンピースといった型に仕立てているのを見ると、
彼らの伝統と近代化に揺れる心のうちを垣間見るような気もします。

ところで、ケニアやタンザニアといった東アフリカの国々は
意外かもしれませんが、少なからずインド文化圏の影響を受けています。

地図を見返してみてください。
インド洋を挟んで、両地域は思いのほか近い距離にあるのです。
インド洋に流れる季節風海流は中東のアラブ諸国を経由し、
船で両地域を容易に行き来できたそう。
更にかつての大英帝国による植民時代の背景もあるため
インド伝来と思しきものが東アフリカ各地でところどころに見られます。

食事ではピラフの発音が訛ったピラウという米料理がポピュラーで、
サモサという揚げスナックも町の軽食スタンドでよく売られています。
薄焼きパンのチャパティと香辛料を加えたスパイシーなチャイは
僕のお気に入りの朝食です。

インドの携帯電話会社もこちらでは最大手の一つですし、
インド製の自動車も日本車ほどではありませんがよく見かけます。

そんなインドの伝統的な民族衣装はサリーですが、
このサリーもまた東アフリカのカンガのように、
長い布を体に巻きつけて包みこむのが着こなしのスタイルです。
サリーとカンガに因果関係は、直接はないと思いますが
それでも同じように一枚の布を自在に着装する発想は
僅かながらアジアが近くなってきたことを僕に感じさせます。

西洋と東洋の発想軸について故・田中一光氏はこう言及しています。
「ヨーロッパのシンプル・デザインはまず物の機能をカタチで捉えようとする。
例えばセンヌキやゼムクリップのように形態が優先される。
ところが日本では独特の発想がデザインに展開される。
その典型が風呂敷であり、大小問わずどんなカタチの物でも
うまく包み込んでしまう自在さは、西と東の発想軸の違いを知る好素材でもある」
(「無印の本」より要約)

この風呂敷の話のようにアジア圏では、一つの物に対し、
様々な役割を与える発想があります。
刺すフォーク、すくうスプーンといったように役割が決まったカトラリーでなく、
全ての動作を一つでこなすお箸なんかもそうですよね。
田中氏は目的に応じた効き目を目指す近代医薬品と、
体の調子を整えることで病気を治していく漢方薬の違いについても言及しています。

自在さを含むアジアの発想軸ですが、言い換えるとそれは曖昧さです。
曖昧さと言うと聞こえは、ネガティヴな印象を含むように感じますが、
実はこのようにポジティヴな効用を含むものでもあります。
むしろ、曖昧さに自在さを見出す以前に、
ネガティヴな響きを覚えてしまうことは
僕達がいかに普段、西洋的な発想軸に囲まれて暮らしているかを痛感させます。
東洋的な発想軸では、(とりわけ簡素さを基調とした)物ほど、
使い手に使い方を委ねる自由度をその曖昧さに含んでいます。

少し話は逸れてしまいましたが、
タンザニアの地方都市のメインストリートで営む仕立て屋から
海を越えて、ちょっぴりアジアが見えたのでした。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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