病気と向き合うこと
僕は「クローン病」という消化器官の持病を持っています。
消火器全般に渡って潰瘍が発生し、
腹痛、下痢、発熱、嘔吐などを引き起こすものです。
時に下痢は1日に数十回に及ぶこともあります。
そうした理由から外出が困難になる場合があり、
QOL(生活の質)と呼ばれる指標は極めて低い病気と言われています。
この病気は、発生因子が特定されておらず、現代医療では完治が難しいため、
日々の生活の中で上手く付き合って行かなければなりません。
この病気が判明したとき、僕は3ヶ月間の入院を経験し、
その間は絶食生活を強いられました。
胸元に取り付けられたチューブから流れる栄養液だけが僕を生かし、
栄養は与えられるといっても、体は少しずつ弱っていき、
2日ごとにちょうど500gずつ体重が減っていきました。
体重は40kg前半まで落ち、手すりなしでは歩けず、
日々、病院のベッドから見えるくすんだ天井を眺めるだけの日々が続いたのです。
いま思い返しただけでもつらく暗い時間だけが流れ、
呆然とした時間の流れの中で、それでもいつか広い空をと心に夢見たものでした。
この日は朝から南の向かい風が強く吹く一日でした。
朝、4時半にもなれば空が白みだすマラウィ。
初夏とはいえ、日中は40℃近くまで上がる炎天下の走行を少しでも避けるために、
この日も朝5時半には走り出していました。
ところが、熱帯夜と蚊の羽音でほとんど寝付けなかった前夜。
寝不足の体と、ここ数日病気の状態が良くないお腹で走りだすと、
1時間もしないうちに、どうにもこうにもならない悶々とした痛みを下腹部から感じ、
たまらず坂の途中にあった村の集会所のような東屋に倒れこんでしまいました。
横になって休んでいると、心配した村のおばさんが「病院に行こうか?」とか
「村長に許可を取ってきたからここで泊まっていってもいいよ」
と色々と気を取り計らってくれました。
そんな心遣いは嬉しかったのですが、時刻はまだ朝の7時。
何もないこの村で一日を過ごすよりも、
早いうちに首都のリロングウェに着いて、
しっかりした設備の宿でゆっくり静養したい気持ちが先行していました。
今日の目的地である100㎞先の街まで走れれば、
明日には首都に到着できる位置にいるのです。
それに1時間ほど東屋の日陰で横になったら、
だいぶ痛みも和らいだので走り出すことにしたのです。
しかし、痛みはすぐに復活してしまい、再び顔を歪ませての走行が繰り返されます。
僕の病気は油物の食べ過ぎは厳禁です。
けれども、マラウィは揚げ物ばかりしか売っていないような田舎道が続きます。
かろうじてバナナとゆで卵は売っていたのでそれを頬張るしかなく、
体調をごまかしながら走りました。
マラウィ人たちはそんな僕の体調のことなど知らないので相変わらず
「ハロッ、ハロッ、ハロッ」と合唱のようなハロー口撃や、
「ギブミーマネー」の声が絶えず、もはや僕はひたすらに彼らを無視していました。
いつになく1時間1時間が、1㎞1㎞が長く感じられ、風は変わらず強いままです。
それでもなんとか90㎞を走り、
目的の街まであと20㎞のサインが出ているところを過ぎた頃でした。
突然、ペダルを踏む力がまるで出なくなってしまったのです。
自転車を降りて押そうにも、押すこともろくに出来ませんでした。
一日中向かい風に煽られ、いつの間にか体力を使い果たしてしまっていたよう。
風が強くて進まないと思っていましたが、
いつからか体力を使い切ったために力が入らなかったようです。
自転車を支えることすら困難になり、しまいには路上に倒れ込んでしまいました。
もうこの体で自転車を漕ぐことは不可能、
かといってこの辺にキャンプをして一日をやり過ごす体力すら残っていませんでした。
車を捕まえて、街まで連れていってもらうしかない。
初めて、自ら車に助けを求めた瞬間でした。
幸いにも5分もしないうちにピックアップトラックが止まってくれ、
僕のところまでバックで戻ってくるのを見て
「あぁ、助かった」という気持ちが心の底から湧くのを遠い意識の中で感じました。
抱えられるように車の助手席に乗せられ車が走り出すと、不意に涙が出てきます。
走りきれなかった、ということよりも、
今朝の村のおばさんの親切を断って走り出し、苦しさでマラウィ人を無視した日中、
そして自分が限界に達した途端に助けを請うという自分の都合の良さに、
情けないや浅ましいといった様々な感情が頭の中で錯綜したのです。
つばも汗ももうカラカラで一滴も出ないのに、
涙だけは不思議とボロボロ溢れるのでした。
街の宿に送り届けられると、そのままロビーに倒れこみ、
低血糖状態になっているのか、
首から下が痙攣し動かすことが出来なくなってしまいました。
カロリーを補給しようとコーラを買ってきてもらうも、
吐いてしまってどうにもこうにもなりません。
なんとか塩を舐め、ベッドに横になると今度は熱がぐんぐん上がり、
あぁマラリアまで併発してしまったのだろうか、と朦朧としたのを覚えています。
一晩、そんな状態が続きました。
その間、宿のスタッフは扇風機を用意してくれたり
定期的に様子を見に来てくれたり何かと気にかけてくれました。
2日目の昼には歩けるまで回復し、食事もとれるようになり、
3日目には、腹痛もほとんどなくなり安定してきたので
リハビリがてら、リタイアしてしまったところまで
空荷で行ってみることにしました。
あの日走りきれなかった20㎞には、
何か特別変わった景色があるわけでもなく
いつもの乾季の殺風景なマラウィの風景が続いていました。
時代に取り残されたようなくたびれた住居の影から、
子どもたちがいつもどおり手を振ってくる。
あの日あんなにも辛くて仕方なかった彼らのその仕草が、
この日はすんなりと受け入れる事が出来ました。
そしてリタイア地点の僅か50m先には
小さいながらも雑貨屋と水の汲める井戸がありました。
あの日の僕はそんな目の前のことすら気づけないほど疲弊していたようです。
病気の症状が出ているにも関わらず先を急いだ結果の失敗。
改めて自身の体と相談しながら旅行をしていかなければならないと痛感した次第です。
自身が推進力である自転車だからこそ、一層自分の体調と向き合わなければなりません。
それはこんなにもにこやかに笑えるマラウィの人々を
悪い印象で終わらせないためにも、です。
ただ僕自身、特段この病気を大きなハンディとは捉えていません。
むしろ人よりも敏感に体調の変化を知らせてくれる存在だと思っています。
お腹の調子が悪ければ、出来るだけ自炊して油物を避ける、
それでも良くならなければ、一日食事を空けてお腹を休めることに専念すると
大抵は元の調子を取り戻すことが出来ます。
そうして上手く病気と付き合うことが出来れば長期海外旅行も出来るということは、
僕自身、病気に対するささやかな抵抗であるとともに、
同じように病気に悩みを持つ人への僕なりの希望の示し方です。
(今回のような例があると、少し信憑性は薄いかもしれませんが)
僕の普段の病状は日本で暮らしていた時よりもすこぶる良いのです。
ちょっとの外出すら困難になってしまう病気ですが、
腹をくくって飛び出せば、これほどに効く劇薬はないのかもしれません。
病み上がりのこの日は、薄曇りの雨雲が空にかかり残念な空模様でした。
それでもこの空は、病院のくすんだ天井を眺めていたあの時、
切望してやまなかった空、です。