各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

当たり前に感謝する

2013年12月18日

灼熱の空の下、緩く長い上り坂の向こうに小さな集落が見えてきました。
こんな田舎でも有り難いことに、雑貨屋があったので、
コーラを買って一休みすることにしましょう。
優しい風の流れる庇の下で、グビリと喉を鳴らして一気に飲み干すと、
思わず「くぅぅ~」と声が出てしまいます。

自転車中の休憩はコーラに限らず、水でも二度揚げしたポテトでも、
あるいはカチコチのチキンでも、
口にする食べ物がなんでも「ウマい!」に変わる最良のスパイスです。

もし、この瞬間に贅沢を言うとすればただ一点。
このコーラが冷えていれば、なお良かったのですが。

アフリカにいると、日本の日常がいかに恵まれているかを実感する毎日です。
当たり前のことが当たり前でないことは日常茶飯事。
飲み物が冷えていないこともそうなのです。
血眼になって冷蔵庫のある商店を探し、
「冷たいやつね」と念を押して注文しても
常温だったりすることも多々で、冷えていればラッキーなのです。

クタクタになって辿り着いた宿の蛇口をひねっても水が出なかったり、
夕暮れが近づいて来たので、部屋の明かりをつけようとスイッチを押しても
電球に明かりは灯らなかったり。

宿のおばさんは、
「明日には使えるようになるんじゃないかな」
とあっけらかんと言い、
うっすら濁ったバケツ一杯の水とロウソクが手渡されました。

日本にいると信じられないことかもしれませんが、
これがアフリカの日常なのです。
むしろ、このあたりは電化率が10%前後と低い地域であるため、
電気を使える「可能性」があること、
蛇口を捻れば水が使える「可能性」があること、
それだけで僕は彼らの日常からは贅沢なことを求めているのかもしれません。

このような状況はいわゆる先進国と呼ばれる僕たちも、
両親の子供時代頃には、日常に経験していであろうにも関わらず、
今のアフリカの現状を圧倒的に不便と感じてしまうことに
隔世の感を感じざるを得ません。

しかし、郷に入っては郷に従え、彼の地で数日も過ごせば
あっという間にアフリカンスタンダードに馴染む自分もいます。

アフリカのそれは様々なことを改めて教えてくれます。
体の汗を流すために、頭を洗うために
いったいどれだけの水が必要になるのか、ということ。
食堂で供される牛肉はところどころ骨が混じっていて、
軒先に吊るされた肉塊から切り出されたものだということを。

アフリカの道端では井戸水を汲んだバケツを運ぶ子どもたちの姿をよく見かけます。
地域によって全くミネラルウォーターを売っていないこともあるので、
そんな時は子どもたちと一緒に井戸で水を汲むのですが、
一杯のバケツを満たすためには大人の僕ですら
相当な労力でポンピングをしなければならないのです。
自分の体重の半分はありそうなバケツの水を重たそうに運ぶ姿に胸が痛む思いでした。
そしてその水はうっすら赤茶け、強烈な鉄分のにおいがする水でした。

通貨を交換軸として、
モノやサービスが専業化、分業化が進んだ社会に僕たちは暮らしています。
あらゆるモノ・コトが必要なタイミングや量で提供される便利な世の中。
しかし、高次に複雑化するほどにそれは貨幣の交換によって得られる結果のみ
享受されがちで、その過程やプロセスはブラックボックスの中に隠されてしまい、
僕たちの想像力を奪う一因にもなっているように思います。

例えば、身につけている衣類がどれだけ一日に汚れているか知っていますか。
洗面器に水をつけ、洗剤を混ぜて擦るとみるみる真っ黒な汚れが滲み出てきます。
洗濯機に投げ入れて、スイッチを押しただけでは知り得ない自分の"一日分の汚れ"です。
洗濯機を回すことは、汚れが落ちるということに限りなく結縁づいていますが、
実はそれは結果がもたらす思い込みであって、
果たして洗濯機を回すことで本当にその服は汗や汚れが落ちているのか、
多少の猜疑心は持つことも必要かもしれません。

例えばアイスコーヒーというものは海外ではツーリスティックな場所や
大都会を除けば、ほとんど見かけません。
豆を焙煎し、熱湯で抽出したコーヒーを再び冷たく冷やす。
一杯に相当な手間が掛かっていることを知ります。
これって究極に贅沢な飲み物に思えてきませんか。
そうしてコーヒー豆自体も、このアフリカや中米諸国などから
膨大なフットプリントをかけて届けられています。

この日も水もなく、電気も停電している宿でした。
そういえば町の入口に川が流れていたな、と思い出し川で水浴びすることにしました。

すっきりと汗を流して宿に戻ると、
まもなく闇夜が辺りを包む時間になっていました。
てきぱきと夕食を作って食べ、後片付けを終える頃には真っ暗です。
それでも闇夜の向こうから変わらず子どもたちのはしゃぎ声が聞こえます。
一方の僕はというと、この暗闇ではなにも出来ないので、
もうこのまま寝てしまおうかとベッドでうとうとしていると…
パッ!と電気が復旧しました。
同時にあたりから、わぁぁっと歓声が聞こえてきます。
窓から外に目をやると、つつましいながらも裸電球が家庭を照らし、
テレビのノイジーな騒音すら有り難く聞き入ってしまうほど。

僕もカメラの電池が切れそうだったことを思い出し、
慌ててカバンから充電器を取り出しました。

このような状況にいると、電気が通じている時間や水が通っている時間に
やれることをやりきろうとする意識が芽生えます。
それらが安定的に使うことの出来ない彼らの一日は実に太陽に忠実です。
朝6時には町が眠りから覚めだし、夕方6時にもなると商店は続々と店じまいをします。
食事の時間に食堂に入らないと、温かいご飯はもちろんのこと
それこそ食いっぱぐれてしまうのです。

後でやるはこの土地では通用せず、やれる時にやらなくてはいけません。
24時間営業のコンビニエンスストアも、なんでも揃うショッピングセンターも、
クリック一つで欲しいものを届けてくれる配送業者もここにはいないのです。

でもそれって僕たちが手放して久しい暮らしの営みの流れです。
ここでは、遥か昔から永劫変わらぬ時間の流れで毎日が繰り返されています。

2時間ほどでカメラの充電は完了しました。
まだ時間は午後の9時。
それでも子供たちの声はすっかり遠退き、町はそろそろ眠る時間です。
僕も彼らのリズムに従って、眠ることにしましょう。
今日も5時起き、明日も5時起きなのです。

当たり前のことが当たり前に使えることに感謝をしながら、
今日も一日が過ぎてゆくのです。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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