各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

国境線上の攻防

2013年12月25日

「チェンジ? チェンジ?」
札束を抱えた両替商が、僕を見かけるやいなや大挙して押し寄せてきます。

ここはマラウィとザンビア間に跨る国境地帯。
並み居る両替商の波状攻撃をくぐり抜け、
国境オフィスで出国スタンプを貰った先に、ザンビアが始まります。

簡単にくぐり抜けることが出来てしまうくたびれたゲートの向こうに渡れば、
人々の言葉も変わり(共通言語として英語もありますが)、
流通する商品もガラリと変わり、街々の風景も少しずつ、しかし確かに移ろいゆくのです。

国を跨ぐ度に、地図の入手や道路の走り方など、またレベル1からの再スタート。
商店に立ち寄って物価をチェックし、食堂に入りその国の国民食を試し、
少しずつ、その国の経験値を高めていきます。
国境越えほど旅のエッセンスが満ちた場所はなかなかないように思います。

一口に国境と言っても多くのカタチでそれらは存在しています。
かれこれ50回以上、国境を行き来しましたが、その形態は様々です。

パナマからコロンビア間は、セーリングヨットでカリブの島々を巡りながら越えましたが、
パナマの田舎町で出国手続きをした後、コロンビアに着くまでの5日間は、
どこの国にも属していない状態でした。
パタゴニア地方では途中から獣道のようなトレイルを、自転車を押したり担いだり、
さながら密入国者気分で森を抜けた先に入国管理事務所があったこともありました。

また、スペインの飛び地セウタはアフリカ大陸の北端に位置し、
ここだけはアフリカにあって人種が変わり、モノに溢れ、
ヨーロッパの瀟洒な空気感が華やかな街並みに立ち込めていました。

これらはとりわけ特別な国境地帯ですが、
多くの場合、国と国を隔てるものは川や山といった地理的要因のものが多いです。
昔の時代ほど、川に橋を掛けることは大変な作業であり、
山を越えて向こうの土地に行くことは相当な労力を要したでしょうから、
互いのコミュニティの垣根が現在もそのまま国境として残っていることには、
納得がいきます。

アフリカは列強諸国のアフリカ分割による
真っ直ぐな国境線というイメージが自分にはありましたが、
少なくとも地図上に直線で描かれていない国境線は、
やはり川や山で国土が隔てられていました。

空路と海路でしか国境を持たない日本人にとって、
地続きで国が変わる、ということはなかなか理解し難いことの一つに思います。

アフリカの国境というと、悪人顔の役人があれこれ難癖をつけて
賄賂を求める跳梁跋扈の世界、そんなイメージがあるかもしれませんが、
少なくともこれまでに僕が訪れた国々はどこもそんなことはありませんでした。
ただ運が良かっただけかもしれませんし、
悪い噂が尾ヒレをつけて広がっていただけだったのかもしれません。

それよりも、「おぉ、こんな暑い中よく来たなぁ。なに、日本から!」なんて
目を丸くして驚いてくれる係員が多いのです。
中にはお茶を出してくれる国境、なんてところもありました。
国境は言ってみれば国の顔ですから、ここでのやり取りがスムーズな国ほど、
その国の印象も良いように思います。

僕が無印良品の現場にいた頃、
お客様に接客する際、どうしても上手くコミュニケーションが出来ないことがありました。
人間と人間なので相性の問題があるのかもしれません。
しかし、それ以上に感じたのが、
店員はサービスを提供する立場、お客様はサービスを享受する立場、
その関係性が明確になってしまっている接客のときほど
話は一方通行で上手くいかないものでした。

反対に、こちらのアプローチにきちんと耳を傾けてくれるお客様、
あるいは自分の希望をきちんとこちらに伝えてくださろうとするお客様とは
潤滑な接客関係が築けたように思います。
お互いのイメージが共有できるからこそ、的確な提案をすることも出来、
お客様からの難しいご要望にも、どうにか応えたいと思うことも心情です。

お客様からのお話を受身的に聴聞する「きく」だけでなく、
お客様がどうしたいのかこちらから訊き訊ねる「きく」ことをして、
お互いのイメージをすりあわせしていくことが、良い接客を生む秘訣のような気がします。
つまり、お互いが向き合わなければ潤滑なコミュニケーションは図れないものなのです。

それは入国管理局の係員とのやり取りも一緒で、
にっこりと笑って、その国の言葉で「こんにちは」と言いながら
パスポートを差し出せば、いわれのない難癖もつけられないですし、
滞在許可もこちらが必要とする日数を与えてくれます。

何事においても仏頂面で対面すれば、相手も何かと仏頂面で対抗してきがちで、
それらはただ悪い方向に転がっていくだけですし、その逆もまた然り。
笑顔で出向いていきなり悪態をついてくるような輩は、まずそうはいません。
それならば、物事がプラスに転じる可能性の高い笑顔で最初から
出向いたほうが何事においても事態の好転を促すことでしょう。

無事入国スタンプを貰い、次なる国へ入国すると入国側でも
新たな両替商が手を揉んで待ち構えています。
近くにATMがない場合は彼らから現地通貨を仕入れることになりますが、
国境上での両替の場合、様々なリスクもつきまといます。
喫緊の現金が必要なことを見越して足下を見たレートを提示してくる輩、
渡したお金をマジシャンのように抜き去る輩、
集団で取り囲み、その隙に自転車から物を盗む輩…
挙げだしたらきりがありません。

ただ、レートが悪いことは、自分自身は卑怯とは思いません。
なぜなら、安いところで仕入れたものをなるだけ高く売るということは
かつての商売の基本原則であったからと思うから。
世界中で同じ物を、同じ価格でという考えは、ここ数十年の間で出来上がった概念です。
それよりも遥か昔、それこそ物々交換の時代からある商売の概念としては、
その場でお互いが交換するものに対し、各々が価値を見出し納得したのなら、
それらがどんなものであっても等価の価値なのだと思うのです。
だから、僕は事前にレートを調べ、
銀行がある街までの距離と、その間に使うであろう予定のお金を計算し、
それにちょっとだけ多めに上乗せした金額が、
この国境の両替商に見出すお金の価値なのです。

問題はあの手この手でお金を騙しとってくる輩たちです。
こうした輩は、そもそもの商売の原則からすら外れているので、
毅然とした態度で立ち向かうべきです。
お金の計算を誤魔化したり、渡したお金を抜きとろうとするならば、
返せ!とはっきり意志を表示する。
集団で取り囲んで、こちらの心理的不安を煽ろうとしてきたら、
もう両替は必要ないよと素早く立ち去る。
あたふたしていると相手は一気に畳み掛けてくるので、
入国スタンプを手に入れたからといって油断はまだまだ出来ないのです。
偽札が多い国では、偽札が混じっていないか、一枚一枚チェックも必要です。

ようやく胸を撫で下ろすことができるのは、喧騒の国境から数㎞走った頃。
落ち着きを取り戻した道路の上で、
改めてパスポートに押されたスタンプに見入り、フフフと薄ら笑いを浮かべるのです。

さて、ちなみに次の国はジンバブエの予定。
この国はひと時凄まじいハイパーインフレに陥り、
手にしたお金が翌日には紙くず同然になるという状況でした。
最高紙幣は100兆ジンバブエドル。
そんな国での両替商との戦いはいったいどうなることやら…
と思っていたら、現在はUSドルと南アフリカランドが
公式な紙幣として流通しているそうです。
下手に騙される心配がなくなったとはいえ、
それもまた少し寂しい気も…。

国境越えは旅のエッセンスが満ちた場所。
であり旅のスリルが詰まったエキサイティングな場所でもあるのですから。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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