各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

自転車というバックパッキング 前編

2014年01月07日

本連載もおかげさまで半年を迎えることが出来ました。
今回はここで過去の旅を振り返りつつ、
旅と自転車、無印良品についての僕なりの関係性を改めて考えてみたいと思います。
少し長くなりますので、今週と来週2回に分けさせていただきました。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。

初めて一人で海外旅行に出た8年前の夏。
その時の手段もまた、自転車でした。

行き先は北京経由ニューヨークのマンハッタン。
ここから対岸のカリフォルニアを目指します。

かつての開拓民が西海岸へとアメリカンドリームを求め西漸運動を加速していったように、
あるいはシカゴからロサンゼルスを結ぶルート66が
世界恐慌下のアメリカ国民の希望の道であったように
旅立つ前の僕の心は待ち受ける冒険へのロマンで張り裂けんばかりでした。

けれど実際の自転車旅は困難の連続でした。
出発初日に跨った自転車の絶望的なペダルの重さは今でもはっきりと感覚があります。
慣れない野宿が続き、全身に経験したことのない疲労がのしかかり、
真夏の太陽を一日中浴びていると肌はあっという間にやけどになりました。
それでも、寝る前に地図にマーカーで記すアメリカ大陸横断の軌跡は一日一日と伸び、
一月半後には太平洋を望むサンタモニカのビーチに辿り着きました。

道中は本当に多くの人に助けられました。
疲れ果てた僕に食事と寝床を与えてくれたいくつもの家庭、
お茶をご馳走してくれたホームレス、
砂嵐に飲まれかけた時に車で助けてくれたドイツからの旅行者…
道を教えてくれた名も知らぬ人も含めて、
本当に多くの人に助けられ成し遂げられた旅でした。

そして、毎日が驚きと発見の連続でした。
ある日迷い込んだアーミッシュ(カトリックの教えにならって
現代文明から距離を置くドイツ・スイス系移民)の村では、
黒のスラックスにサスペンダー、黒のハットを着用した男たちが
馬車をガタガタと走らせていて、
それを目にした時は、一瞬、不思議の国に迷い込んだかのようでした。

印象的だったのはニューメキシコ北部にある街でアメリカインディアンである
ナバホ族の家でキャンプをさせてもらったときのことです。
彼らの伝統的な住居である土壁で覆われたホーガンは
本で見た通り、入口は太陽の昇る東の方向を向いていました。
ところが夕食に招かれて中に入ると、室内は見事に電化され、
テーブルにはファストフードのチキンが並びました。
彼らは飲酒を戒律で禁じている、それは本当なのか訊ねると
笑ってイスの下からビールのケースを取り出して見せました。

(西洋的な豊かさに傾倒していくナバホの人々の暮らしの実態は別問題として)
これらの体験は実際に現地に行って、
その様子を、五感を使って感じることの面白さを感じたものです。

例えばアメリカの象徴ともいえる自由の女神。
正面からの出で立ちを思い浮かべることは出来ても、
後ろ姿はどうなっているか想像できますか?
彼女の右足の踵は地面から浮いていたのです。

リアルなアメリカが想像通り広がっている面白さと、想像を裏切るリアルのアメリカ。
この両面を体感出来る自転車旅は、自分にとって最高の旅行手段でした。

自転車旅は当初感じていた冒険やロマンといった気持ちの高ぶりよりも、
その日その日の走行計画を立てる段階からその土地を見つめ、
実際に走ることで、平面的であった自身の見聞やその土地の現実を、
立体感をもって自分の経験として獲得することであり、何事に勝るものでした。

それから数年の会社員生活を経て、再び僕は自転車と共に道の上で暮らしています。
出来うる限りの物事を自分の感覚で捉えたい、
この思いはいつまで経って色褪せない旅の原動力です。

ところで今日において、現地の生活者と出来る限り目線を合わせて旅をしていく
バックパッキングは旅行のスタイルの一つとして広く認知されています。
バックパッカーと呼ばれる彼らは両肩で背負うカバンに最低限の衣服と寝具を詰め、
相部屋の経済的なホステルに泊まり、その土地の食堂で食事し、
移動もバスや列車といった市民の足を利用します。
最近ではカメラやパソコンを持ち歩くバックパッカーも多いですが、
基本的には背負える荷物の中でやりくりをします。

僕自身は、バックパックを用いたスタイルではありませんが、
バックパッキッング旅が目指す部分においては、自転車旅も通ずる部分が多くあり、
個人的にはバックパッキングの一つの派生系ではないかと思っています。

バックパッキングは貧乏旅行や長期旅行と連想されがちではありますが、
本来の目的は土地々々の真正なる生活観や価値観を獲得していこうとすることです。
だから必然的に「素」が感じられる大衆食堂やローカルな移動手段を好むのです。
そしてそれらの獲得のためには、ある一定の期間、
腰を据えなければ見えてこないものも時としてあり、
結果的に節制や長期の旅となるのです。

もちろんその道程の中の道標として、観光地化された場所も訪れる事も多いですが、
その中でもどんな手段で行くのか、そこに着くまでどんな街を巡っていくのかなど
過程に対して比重を置く傾向があります。

元々、バックパッキングのルーツは1960年代のヒッピーに遡ると言われます。
彼らはベトナム戦争への徴兵や派兵に反対し、伝統や制度にとらわれず
愛や自由、平和を叫び、思想や人間としての自由を求めて世界各地を旅しました。
主だったルートはヒッピートレイルと呼ばれ、
イスタンブールやテヘラン、デリーやカトマンズといった
西アジアの主要な都市を繋ぐものでした。
バックパックは毎日のように移動を繰り返し、時にヒッチハイクをしたり、
時に安宿を求め街を彷徨い歩く彼らにとって、軽快性の理に適った旅の友でありました。

また、アメリカにおいてこの時代はルート66が近代アメリカ文化の象徴でありました。
ロードサイドには名物モーテル、個性的なファストフードや
ガソリンスタンドが次々に生まれ、
この道を題材にしたテレビドラマや音楽はポップカルチャーとして世間を賑わせました。
ルート66の隆盛はそのままアメリカにおける消費社会の隆盛と呼べるものでした。

成熟した消費社会はモノの単純消費からコトの消費への転換点でもあり、
その中でモノに囲まれた暮らしに疑問を覚え、自分らしいライフスタイルを求め、
必要最低限のモノをバックパックに詰めて、自然回帰を唱えた人たちがいます。
登山は登頂を目的として、いかに効率よく登っていくかに主眼が置かれますが、
バックパッキングでは必ずしもピークハントが目的ではなく
いかに自然の中へ長く身を寄せることが出来るか、という点に重点を置いたものでした。

これは、1964年の東京オリンピックで名実ともに先進国へと仲間入りした日本でも
少し遅れて同様にモノの消費からコトの消費へと移って行きます。
1970年代に横長のキスリング型バックパックを背負った人々は「カニ族」とも呼ばれ、
彼らの多くは北海道を放浪しました。
旅を続けるために牧場で働き、
今では考えられないことですが駅で寝泊まりすることも多かったそうです。
けれど、これらはそれだけ土地の人間たちから
信頼を持たれていたことの証明かもしれません。

いずれの例も、バックパックはその時代に対して、
自身の意志を示すためのシンボリックアイコンとして存在しました。

コトの消費は、言い換えればライフスタイルの消費です。
モノが不自由なく手に入るようになると、
旅行や美容など目に見えないコトの消費に、所得が費やされていくようになります。

マズローは欲求段階説で、
自己実現の欲求こそが人間の欲求の中で最も高次なものと示しましたが、
ライフスタイルの消費というのは、
まさに世界でも限られた人たちだけが享受できるものでした。

分かりやすい例として、アフリカを走り、地元の人々と話していると、
必ず「どうして自転車なんだ?どうやってお金を手に入れているんだ?」
という話になります。
『ただの観光だよ』と答えても彼らの多くは納得しません。
少し踏み込んで
『自転車だからこそ訪れる事のできる街や人を見てみたい、例えばここのようにね』
と言っても変わらず解せない表情を浮かべます。
彼らにしてみれば観光ならバスや飛行機を使えばいい、
どうしてお金にならないことを、苦労してやる必要があるんだ? というところでしょうか。
このことはやはり、ライフスタイルの充足というのは、
モノが不自由なく手に入るようになった次の段階のものである表れでしょう。

発展途上国においてバックパッキング旅というものは、
大なり小なりの経済的な傲慢さを含むものでもあるということも
少なからず意識しておかなければならないものだと思います。

少し話が逸れましたが、
自由やライフスタイルを掲げたバックパッキングも、
その理念とは裏腹に徐々に消費社会に組み込まれていくようになります。

それは消費社会が一方的にバックパッキングを取り込んだというよりも、
バックパッカー自身が旅を続けていく上で、安価で快適な宿や食事などを求め、
社会がそれに応えていくという形で展開されて行きました。

旅の目的として、他者との交流や土地々々の真正性の獲得を掲げていても
全てをローカルな手段で賄うことは、安全性などの問題から不可能であったり、
時にストレスフルであったためです。
こうした消費社会への迎合はバックパッキングの本質への矛盾を孕むこととなりました。

また、消費社会そのものの更なる成熟も、バックパッキングの目的を朧へと遠ざけました。
かつては秘境と呼ばれていたような場所を商業化させ、
宿泊施設、土産物屋など観光のためのファシリティが不足なく用意され、
演出された土地は、非日常を楽しむ観光旅行としては有りかもしれませんが、
バックパッキングの求めているところかというと、少し違う気がします。

また、会社や学校、地域社会など消費社会が進行するほどに
所属する組織やコミュニティが増え、それらに対する自分の役割をこなしていると、
なかなか外に飛び出すきっかけを掴みづらくなります。
とりわけ日本の会社組織においては終身雇用制度といった独自の慣行も、
バックパッキングの世界に飛び込む際の大きな枷になっています。

そして決定的なのがインターネットの登場により、
旅というものがオーガナイズされてしまっている点です。
インターネットで交通機関や宿泊施設を下調べし予約する。
誰かが立てたモデルプランを辿って、同じレストランで食事し、
決まった時間の決まった構図でその土地を写真に収める。
現地ではトラブルなく予定調和で物事が進むことがスマートだ、
極端に言いましたが、けれどそんな気配を漂わせているのは確かです。

僕が昨夏に旅したヨーロッパなどでは、それは非常に顕著で
インターネットで宿を押さえておかなければ泊まることも困難で、
仮に泊まれたとしても高額な値段を請求されました。

インターネットのおかげで旅先の情報はいつでも簡単に手に入るようになり、
極端に言えば、その土地に出向かなくても視覚的な旅行体験は可能になりました。

けれど、僕は思うのです。
旅の原点は好奇心からくるものだ、と。
未知の物事に触れて、その体験を自分の感覚でもって取り込んでいく。
時には失敗することもありますが、その失敗すら旅の大事なスパイスです。

とある国でとある旅行者に会ったときのことです。
旅行者同士の会話となると、「○○へ行った?」とか「○○がよかったよ」、
といった情報交換で盛り上がることが多いのですが、
この時、僕が一週間滞在したある宿を口に出したら
「そんなところに泊まったんですか?あそこは評判悪いですよ」
と言われてしまいました。
よくよく話を聞いてみると、僕の滞在した宿に、その彼は訪ねたわけではなく
インターネットでの評判を見て、そう言ってきたようでした。
世間の評判はそうなのかもしれませんが、
値段の割に広々とした客室、変わり者だけど面倒見の良いオーナー、
僕自身はそこを気に入ったからこそ、一週間も滞在したわけで
実際に訪ねてもいない人にそう言われて、随分寂しい気持ちになりました。

今どき、滞ることや後退すること、失敗や誤りなど、
消費社会の進化は、物事がスムーズに運ばないことに対し、
過剰反応とも言える拒絶感を生む結果となりました。
だから、失敗する可能性の少ない選択肢をインターネットで探すようになりがちです。
(少なからずお金の動きが発生しているので、当然の行為ですが)
けれどインターネットの与えてくれる情報の選択肢は、
旅に無限の広がりを与えてくれるかに見えて、
知らず知らずのうちに皆が選ぶ大動脈に誘導されがちであるということも
気に留めなくてはならない気がします。
そうなっていくと、例えバックパックを使った旅だとしても、
それはバックパッキングといえないものになってしまうのではないでしょうか。

しかしながら元々、消費活動を避けては生きていくことは不可能な世の中です。
いつまでもバックパッキング原理主義を唱えては、それではただの懐古主義とも思います。
モノの消費と目指すライフスタイルの実現、その比重をどうバランスさせていくか、
ここがバックパッキングの持つ永遠の課題としてあり続けるのではないでしょうか。

もちろん僕自身、消費社会を否定する立場ではありません。

自転車で旅をしていると、
地元民の地元民による地元民の空間しかないような場所を訪ねることもしばしばです。
そこで今夜のテントを張らせてもらうために、村の人間にお願いをし、
テントを張った後は、地元の食堂で皆と同じものを食べる。
現地のありのままの光景が目の前で展開し、自身も体感していくことは
旅において貴重なことであることは間違いないですが、
やはり時としてそればかりでは疲れてしまいます。
適度に気持ちをリセットしてくれる場として、
消費社会の提供する空間は自分にとって必要なものです。

それでも自転車は自身が推進力となって進む乗り物です。
そこにはある種の強制力が発揮され、
好むと好まざるとでどちらの空間も訪れなければ次の土地に進むことは出来ません。
そういう意味で自転車旅は、
自分にとって消費社会と現地社会との程よい距離感を線引きしてくれるものでした。

決して鞄を背負うスタイルではないけれど、
自転車旅の本質はバックパッキングの意図を汲む
旅行スタイルの一つと言えるのではないでしょうか。

次週へと続きます。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

最新の記事一覧

カテゴリー一覧