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自転車というバックパッキング 後編

2014年01月15日

さて、無印良品は1980年に西友のプライベートブランドとして誕生したことは、
当連載をご覧頂いてくださっている皆様には周知の事実かもしれません。
ここでは簡単にその時代背景や契機についてお話したいと思います。

日本は戦後復興期を経て1954~1973年まで
世界でも類を見ない高度経済成長期を経験しました。
1968年にはGDPが世界第二位に踊り出て、
70年代前半には第二次ベビーブームが訪れました。
どこまでも広がる未来に沸き上がっていた時代です。

この常春に句読点を打ったのは1973年の第一次オイルショックです。
中東戦争をきっかけとして引き上げられた石油価格の上昇は、
工業立国として立場を確かにしつつあった日本経済を襲います。
狂乱物価とも言われたインフレの波に日本は大きく混乱をします。
そして混乱冷めやらぬ1979年に再び第二次オイルショックが起こりました。

この二度の混乱は、日本の消費者の心の隅に
「もしかして消費を続けていくと、資源はなくなってしまう?
消費活動には限界があるのではないだろうか?」
という疑問符を抱かせることになりました。

それまでモノを消費していくことこそが美徳であり、
消費していくことで経済はより良くなっていました。
百貨店が大きな力を持っていた時代で、安い大衆品は見過ごされ、
高いものほど良い、そんな考えがまかり通っていました。

その後立ち直って安定成長を続ける日本経済でしたが、
この時つきつけられた疑問符こそが、
賢い消費、安くてもよい商品を標榜とした
無印良品誕生のきっかけの一つとなったのでした。

消費者から実質本位の生活者へ。
慈善や施しではなく、商行為を通じて価値観を変えていこう。
無印良品は、新しいライフスタイルの提案として1980年に
生活基礎品目40アイテムから始まりました。

日本がモノからコトの消費へと転換していったのは、
前回、日本におけるバックパッキングブームの項で述べたように
1960年代末期から1970年代であり、
そうした時代の流れの中で、
ひとつのライフスタイルとして無印良品が誕生したことは
ある意味必然であったように思います。
そしてバックパッキングと同じく無印良品は、
時代に対するカウンターカルチャーとしての
意味合いを包有するものでもありました。

しかし皮肉なことに無印良品も拡大していくに従って、
同じく消費社会と迎合していかなければならない立場に陥りつつあります。

昨今の都市郊外には大型資本のショッピングモールが次々に建ち、
全国を同じ顔に染め上げようとしていますが、
皮肉なことにこれに無印良品も加担してしまっています。
知っている、馴染みのあるものが全国各地にある安心感は、
計り知れないものがありますが、これも行き過ぎると無個性の始まりとなってしまいます。

お店に行き「へぇぇ、こんなものがあるんだ」と商品に興味を持つことや、
「この値段で、こんなものが」という風に、
思いがけず自分の予想を上回るモノに出会うこと、
「この人から買ってよかった」と思える販売員に出会う瞬間などに
買い物の楽しみがあると思います。
そういう意味で既に予想できるモノを買いに行く買い物は
少し楽しみが削がれている気もするのです。

また、無印良品は誕生当初から三つの商品コンセプトがあり、
① 素材の選択
② 工程の点検
③ 包装の簡略化
この三つをベースとして商品を作っています。

これらを基軸とした商品作りは、商品の価格に対する正当性をもたらすものでした。
それは圧倒的な安さではなく、モノ自身に対し納得の行く適正価格という意味です。
最初から100円のモノを出すために身を削るようなコスト削減をするのではなく、
実用強度のある素材を用い、生活に余分な装飾を省いていったら
結果として100円になりました、という過程に比重を置いた商品作りです。

しかし現代において、
(特に90年代末期のデフレーション経済下をくぐり抜けた)同業他社からの
価格圧力は抗い難く、当時に比べ明確な差別化は、近年し難くなっています。

商売の基本はPlace、Product、Price、Promotionの4Pだといいますが、
同じように郊外のショッピングモールに出店(Place)する他社の
低価格(Price)を前面に打ち出した広告戦略(Promotion)に対して、
お客様の反応は非常に敏感です。
商売の4Pのうち、独自性を打ち出せる部分がProduct(商品)しかなくなってしまうと、
たとえ良い製品といえども、他社との競合は熾烈なものになっていってしまいます。
結果、根拠なき価格競争やセールが繰り広げられ、
理念なき商品が店頭に並んでしまうこともあったように感じます。

このように理念と現実の矛盾に苦しむという点において、
無印良品とバックパッキングには似た部分がありました。

僕が好きな商品に「再生紙メモパッド」があります。
この商品は、メモというのは大事にとっておいたりるものではないから
わざわざ上質な紙を求める必要はない。
真っ白でなくても文字は読める。
書き損じや、気軽にメモとして残せるようにと紙の品質を抑えて、
大容量・低価格を実現した商品です。
僕の記憶が確かならば、この商品は発売されて30年以上のロングセラーです。
つまりこの商品は、かつて無印良品が今よりも現実とのしがらみが少ない頃の
瑞々しい感覚が宿った商品だと思うのです。

無印良品は、その名の通りノーブランドでも良い商品を目指しています。
しかし、目指す先は究極のベストクオリティ、ではありません。
例えば、東京の冬を過ごすために、防寒着に-10℃でも温かい上質な羽毛を
大量に封入する必要はありません。
0℃前後に対応できる量と品質で、その分お手頃価格にすれば、
一人でも多くの人に使ってもらえる。
そんな バランスクオリティなのです。

人々の暮らしを見つめて作りあげるという点においてもまた、
無印良品はバックパッキングの求める先と目線が近しいところに置かれています。

少し長くなりましたが、このようにも無印良品もバックパッキングも
理念と現実の矛盾に苦しみながらも、
コトの表現や、新しいライフスタイルの一つの形を示すという思いがあります。
そして、その底流には時代に対する反体制といった共通点を持っているのです。
少し付け足すと、それは決して闇雲に世間に反旗を翻すものではなく、
きちんと物事の実質を見極めるという意味で、です。

このことはバックパッキングと無印良品どちらにも近い立場にいる自分が
改めて皆さんに伝えておきたいことです。

理念に対する矛盾を抱えていたとしても、
きちんと自分の立ち位置を見極め、拠り所とすることが出来れば、
その本質を見間違うことなく、現実との落とし所を見つけていけるのだと思います。

そうしてそれは自分に対する自戒の意味も含むものです。
長く旅をしていると、物事に対して新鮮さや興味を失っていくことがあります。
現地の人の声掛けや、やり取りを面倒に感じてしまう、
新しい土地に辿り着いても、疲れ果てて街歩きもせず宿に閉じこもる。
僕自身の旅の意義が埋没しかけているときこそ、
再び言葉にしなければならないと思ったからです。

思いがけない偶然と発見の中から物事の普遍を見つめ、
本質や本物に近いところを探っていく。
掲げる理念はバックパッキングや無印良品と同じ所に心が置かれているのですから。

旅は順調ならば、1年と半年を残す所までやってきました。
折り返し地点を過ぎて、体が旅に馴染んだ反面、
出発当初の新鮮さや情熱は、どうしても丸くなりがちです。
けれど、少なくとも短くはない二年半の年月をかけて築いた勘や経験が
導くものもきっとあるはずです。

人の親切を当たり前に受けてばかりではないか、
異文化に対し自分の価値観の尺度だけで見ていないか
その土地の歴史を知ろうとする努力を怠っていないか、

改めて自身に問いただし、新年の目標としたいと思います。
今年も一年、僕の旅路にどうぞお付き合い下さいませ。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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