オフロードの引力
ナミビア南部カラス州の州都ケートマンスフープに到着しました。
このまま南へあと2日も走れば南アフリカに入ることでしょう。
しかし、ここで自転車を西へと進めたいと思います。
少し遠回りをしてフィッシュリバーキャニオンという
大峡谷に寄って行くことにしたのです。
州都から40㎞ほど走ると、まもなく道は未舗装へと変わりました。
ナミビアでは頭文字に『B』のつく数本の幹線道路以外は
ほとんど舗装がなされていません。
それはアメリカのグランドキャニオンに次ぐ規模を持つ
このフィッシュリバーキャニオンに向かう道でさえも
この国ではオフロードです。
もっとも人口密度が極めて低く、ただでさえ広い国土を持つこの国では
舗装を進めていく方が非効率で、
それに定期的なメンテナンスやヒビ割れた路面の修復には
多額の費用を要することから、
未舗装のまま時折ローラー車で土を均した方が安上がりなのです。
少し赤みを帯びた砂の道に入ると途端にペダルが重くなります。
高速走行する車が作り出した波状のコルゲーションは、
自転車にとって天敵で、越える度にグワングワンと体を揺らします。
たまに砂の多いところに入ってしまうと、
タイヤが砂に埋もれ進まなくなる場合もあったり。
未舗装の走行はそれなりに難易度が上がるのです。
それでも周囲に人の気配はおろか、
人工物さえ並走する線路を除けばほとんどないので
これまでのアフリカ走行に付きものだった
『轢かれてしまうんじゃないか』
そんな恐怖から離れて走れるので心持ちはずいぶん気楽になりました。
1時間に数台、車とすれ違うことはありますが、
どの車も土埃がなるべく立たないよう遠くを走ってくれたり、
一度減速して『水、足りてるか?』と声をかけてくれます。
車線も標識もないようなところだから、自分や車も
なんとなく対等な立場でこの道を走っているような感じがします。
昨夏走ったドイツでのことです。
ヨーロッパというと自転車先進国、そんなイメージも強く
実際に各国サイクリングロードが設定されていました。
ただ、ドイツにおいてそれは基本的に町内単位で完結する道であり、
僕のような長距離移動のための道としては作られていませんでした。
かつての旧道を標識でサイクリングロードとしてつなげていることも多く、
階段を越えなくてはいけなかったり住宅地を縫うように走ったり。
目の前に川が差し掛かったり、
街の外に出ると突然道がプツリと切れてしまうことも多くありました。
やむを得ず一般道に出て走りだしたのですが、
すると車は『自転車は自転車道を走れ!!』と言わんばかりのクラクションの嵐。
運転席から険しい表情のおばさんの顔も見えます。
けれど、そうは言っても道がないのです!
たまたま同じように現地のサイクリストにも出会ったのですが、
彼らもどうしたらいいのかほとほと困り果てている様子でした。
こうしたヨーロッパでの経験と今回のナミビアでの経験を対比させて見ると、
道路の舗装率やルールが整っていくほどに道路上に
見えない、けれど強固なヒエラルキーが生まれていってしまう気がします。
自転車は専用道を、歩行者は道の端っこを、そして車は大手を切って車道を走る。
そうやってセパレートしていくことが互いの安全や利益に繋がっていく。
そう思えて実はそれは例外が許されなくなったり、
不便な迂回を余儀なくされたり、どんどん息苦しくなってしまいます。
とても合理的に見えて、融通が利かず、どこか寂しくもあります。
ちなみにフィッシュリバーキャニオンの最奥部には、
温泉が湧き出ていて、ひどいダートを駆け下りた谷底は
目を疑うような立派な温泉リゾートになっています。
こんなものを作る労力があるのだったら
愚痴のひとつぐらい溢れそうでしたが、
人間現金なもので
品揃えの充実したキオスクでアイスクリームを食べたり
空調の効いた室内の温泉に浸かったりと堪能してしまうのでした。
温泉地で疲れを癒やしたらまた再び悪路に突入です。
後半戦の悪路は美しい砂の地平が広がる世界でした。
砂漠と空の強烈なコントラスト。
行く手を遮る強い西風。
砂が風に流されているのか、今まで以上に走りづらい道となりました。
壮大に広がる荒野とは裏腹に視線を足下に落とし、
なるべくフラットで砂の少ない道を選びつつ、
腰を浮かせ腕と膝を使って衝撃を和らげます。
一見すると、大変以外の何ものでもないのですが
そんな悪路の走行が楽しくて仕方がないのです。
灼熱の砂漠はやがて、南アフリカとの国境線になっている
オレンジ川へとぶつかりました。
川沿いは、灌漑によるぶどう畑の緑が広がっています。
ここで道は再び、きつく太陽を照り返す舗装路に戻りました。
綺麗に砕石が敷き詰められた道路にタイヤを転がすと、
するりと自転車が進んでいきます。
思わず『おぉぉぉ!』と唸り声が上がってしまいます。
このオフからオンに変わる瞬間は、
何度経験しても筆舌に尽くしがたいものがあります。
ほんの数日間だけれど、忘れていたこの感覚。
逆説的ですが、普段の当たり前がいかに有り難いことなのか、
当たり前だから気づきにくいものなので、
気づくために敢えて悪路を走っているような気がしてきます。
そうそう、フィッシュリバーキャニオンでは
僕が生まれる前からずっと世界中を
バイクで駆け巡っている日本人の方に出会いました。
日本にいた頃、その方の著書を読んでいた僕は、
こんなところで会えるとは思わず、ただただ唖然。
よく飲み、よく笑うその方と過ごす時間はとても有意義なものでした。
そんな思わぬ出会いを引き寄せてくれることも
オフロードの魔力であり魅力かもしれませんね。