各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

この土地の名は

2014年03月12日

あれはキリマンジャロの麓、タンザニアのモシの街でのこと。
時計塔のあるロータリーを回って、街の中心へと自転車を走らせている時、
ゆるい下り坂の途中で一つの看板に目が留まりました。
そこにはアフリカ最高峰の山容とともに
「They call it Africa ,We call it Home」
と書かれていて、僕はへぇぇと何の気なしに写真に収めたのでした。

かれこれアフリカに来て半年近い時を過ごし、8000㎞以上この大地を走りました。
この大陸は想像以上に僕のモノサシでは測りきれないことの毎日でした。
水一つ手に入れるために村を走り回り、いちいち誤魔化される食堂での昼食。
訳もなく僕について来る自転車の男、交通ルールなどありもしないトラックの運転。
遥か300mは離れているであろう距離から
Give me money!!を叫び全力で走り来る子供たち。

気を抜くと、途端に畳み込まれてしまうような
熱気ごもったエネルギーが渦巻いているようでした。
時に自分と彼らの尺度のあまりの違いに苛立ちを隠せないことも。

それでも彼らとの関わりなしに、この大陸を走ることは不可能でした。
暑さでバテバテの時に手渡されたマンゴーの柔らかい甘みに驚き、
訝しげな表情など一切出さずに庭にテントを張らせてくれた家族に感謝する。
踊らせたら老若男女、誰もが見事なステップを刻み、
スピーカーの大音量がこもる空間で男がご馳走してくれたビールをあおると
彼らは欠けた前歯を隠すことなく大きな口で笑います。

なんとも形容しがたい、プリミティブな世界にいたような気がします。

バオバブの下、煌めくような星を見ました。
蚊の羽音と野生動物への恐怖で眠れぬ夜がありました。
ヘトヘトで辿り着いた小さな商店でジンジャービールを、喉を鳴らして飲み干しました。
思い出す一つ一つが鮮明に思い出すことが出来るアフリカの手応えです。

よくアフリカの男たちは何か驚いたことがあると「ハァ?」と声の調子を
ワントーンあげて、それはそれは間の抜けた声を発します。
僕との会話の中で、『自転車で旅している』と言うと決まってこの声が聞こえます。
それが『ウガンダから』なんて聞けばより一層トーンが上がるのです。
話をする僕の方からすると、なんだか嬉しくなってしまうぐらい素直な反応でした。

そんな驚嘆の声を聞く機会も南アフリカに入るとめっきりなくなりました。
南アフリカの南部海岸沿いは噂に違わず、ほとんどヨーロッパのようで、
それこそ年中穏やかな気候な分、
むしろヨーロッパよりも過ごしやすいのではと思う程です。

ただここにはあの時当たり前にいた、頭にトマトのバスケットを載せたおばさんや
好奇心むき出しの子供たち、やかましいクラクションのミニバスも、
道端で草食むロバたちも居ません。
ひとつ、ひとつと朧へ消え行き、気がつけば誰も居なくなっていました。
いつの間にか僕にとってのアフリカは終わっていたのかもしれません。

それでもたまに街のスーパーの警備員やトラックの運転手が、
ナミビアやジンバブエなどの周辺国の出身だったりすることがあり、
彼らと話すと、あの「ハァ?」の声が聞こえ、とても懐かしい気持ちが蘇ります。
するといつの間にか僕と彼の周りには、
なんだなんだと周辺国出身の出稼ぎ労働者が集まってきます。
「俺はカプリビの出身だ」
『知ってるよ、行ってないけど近くは通ったよ』
別の方からは、
「ザンビアも行ったのか?」
『行ったよ、ルサカとはチパタの間は何にもないし、暑いし参ったよ』
ザンビア出身の彼はウンウン、そうだろうとうなずきます。
僕と彼らの輪を、通り行く白人の人たちが何だか怪訝そうな顔で見ていますが、
僕にとってはちょっぴりいつものアフリカが帰ってきたようで嬉しくなりました。

ウガンダからアフリカ諸国を走っている間は、
常に南アフリカが頭にチラつきながらの旅でした。
購入する質の良い食料品の多くは南アフリカのメーカーのものであり、
それらを買う場所もまた南アフリカ資本の大型スーパーです。
旅が進むほどに白人の顔を見る機会も増え、
観光地で出会う観光客も南アフリカを起点に車で周る人たちでした。
会う人会う人が、「南アフリカは綺麗でいいところだぞ」と口を揃えるので、
僕も密かに期待をしていたのでした。

ところがその南アフリカに入ると、
この土地にアフリカらしさを見いだせなくなることはなんとも不思議なものです。
南アフリカもアフリカにおける一つの真実であることは間違いありません。
この国の海岸線は噂に違わず美しく、あらゆるものが整っています。
けれど僕の心は、過ぎ去った土地の方に傾いている、というのが本音です。

また、僕が懐かしさを覚えて振り返るアフリカは、
この土地で暮らす人々の暮らしの移ろいを、身をもって感じることが出来たと思う一方、
大なり小なり後悔の念が付きまとうものでもあります。

あの時、水がないだの、食事が口に合わないだので、
ただ通り過ぎるだけのように去った集落に、落ち着いて腰を据える事が出来れば、
彼らともっと話せたのではないか、
その土地のことをもっと知れたのではないか、そんな思いです。
でもそれは、今のような安全地帯ともいえる場所にいるから思うことであって、
あの時自分に出来たことはやっぱりあれが限度だった気もします。
物事は去ってから気付かされることの方が多いのかもしれません。

そんな想いもあって、いつになるか分かりませんが
またこの土地に帰ってきたいと思っています。
後悔は何も悪いことばかりではなく、次の道を切り開く原動力でもあるのです。

それに南アフリカなくしてアフリカが成り立っていないように、
アフリカ諸国なくして南アフリカもありません。
だから、今ここで南アフリカの世界観を体感し、
その上で、もう一度アフリカ諸国を見て歩きたいと思っています。
まだ訪ねていない国や場所もたくさんこの大陸にはあるのですから。

僕にとっての「Africa」はまだまだ知らないことだらけで
この土地を「Home」と呼ぶ彼らの気持ちを深く知りたいと思うのです。
「アフリカの水を飲んだものはアフリカにまた帰ってくる」という言葉がありますが、
僕もアフリカにほだされた一人なのです。

ウガンダに降り立って155日目。
8744㎞の向こうには喜望峰がありました。

最初のアフリカが終わろうとしています。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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