各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

状況を楽しむ心持ち

2014年04月16日

ドイツ南部を走り抜け、再びオーストリアへ。

ジャーマンアルプスとイタリアンアルプスに挟まれた
チロル地方の中心地インスブルックは、
"イン川に掛かる橋"という意味です。

ローマの時代からドイツへ抜ける交易路の中継地点として古くから発展し、
近代においても2度の冬季オリンピックを開催した由緒ある街。
歴史を感じる街並みの中に、近代都市の機能が程よく溶け込んでいて
気持ち良く休養を取ることが出来ました。

このところ毎日、天気が優れず寒い思いをしていました。
今年のヨーロッパは記録的な暖冬だと、会う人会う人が、
口々にそう言っていましたが、
雪のないところでも、朝には霜が下りるヨーロッパの晩冬は
常夏の南アフリカから飛んで来た我が身にはだいぶ堪えます。

それに旅立ち以来、北から南へと、常に夏の太陽を追いかけていました。
こうして冬の季節を感じるのは実に3年振りのことで、
寒くないワケがありません。
しかし、この先は地中海に面するイタリアです。
イタリアに入れば、少しは天候もよくなるだろうと
そう信じてここまでやって来ました。

イタリアに入るための最後の関門はアルプス越え。
昔からローマとドイツ方面を結ぶ通商路であったブレンナー峠へと挑みました。

現在ではこの峠には高速道路と一般道である旧道の2つの道が引かれていて、
交通量もまばらな旧道の方をグネグネと上っていきました。
標高が800mを過ぎたあたりから景色に白いものが交じるようになりましたが、
走行に支障の出るような雪でもなく、道路の除雪もされていて
1375mの峠はほとんど労することなく上りきり、イタリアに入国しました。

ただ、予想外なことに地中海側の方は、どっさりと雪が積もっています。
サイクリングロードはもちろん、
それを示す看板すら雪に埋もれかけているほどの積もりっぷり。

運動量の少ない下り坂では、10分もすると指先が痛み出し、感覚が遠のいていきます。
ハンドルを叩いたり、手を振ったりして
血行をよくしようとしてもあまり効果はなく、これは堪らんと、
慌ててガソリンスタンド併設のカフェに飛び込んでコーヒーを注文しました。
出されたコーヒーの縁にしばらく指先をあてて感覚を取り戻した後に
口元へ運んだコーヒーはものの一息で全て喉の奥へと流れて行きました。

それでも標高400mほどまで下ってくると、そこは別天地のような温かさでした。
柔らかな太陽が爛々と注ぎ、ぽかぽかとした空気が春の気配を感じさせます。
このあたりもワインの産地なのでしょう。
この時期はまだ裸のブドウ畑が谷間に沿って続いています。

後はこのまま地中海側を走っていけば、寒さに悩まされることも少ないはず。

ところが、一旦安全地帯のようなところにやって来て思うのは、
少しぐらい寒くて大変でも、もう少し山の中を走ってみてもよかったのではないか、
という天邪鬼な思いです。

このまま海沿いを走れば、変わり映えのしない街々を走るだけになってしまうのは、
昨年の走行で経験済みです。
それならば、これぞヨーロッパの冬!そんな景色の中を走った方がいいのではないか?
だいたい僕はそのためにこの時期のヨーロッパに戻ってきたんだろう。
そんな自問が浮かんできます。

今いる場所は、イタリアンアルプスでも特に風光明媚で知られるドロミテ街道の入口。
ブレンナー峠よりも1000m近く高い峠道が連続する山岳路ですが、
きっとここを走れば、満足してヨーロッパの冬を締めくくれそうな気もします。
天気予報を見ると、向こう数日は絶好の晴れが続くようで、
そうなると行かない理由を探すほうが難しそうでした。

かくして走り始めたドロミテ街道。
ドロミテの名は、石灰石にも似た苦灰石のドロマイトに由来していて、
屹立した峰々の山肌は垂直にすっぱりと切れ落ち、雪すら寄せつけません。
常人が敵うような自然じゃないことは、ひと目で分かるのに、
少しでも近づきたくて、上へと上っていく自分が可笑しく感じます。
大迫力の山塊が一漕ぎごとに大きくなり、目の前に立ちはだかるのですから、
興奮しないわけがありません。

ドロミテの夏は数え切れないほどのサイクリストで溢れかえるそうですが、
冬のこの時期、僕を除けば全くみかけません。
だから周りのスキー客も、僕を追い越していく車のドライバーたちも
僕を見かけると手を振ってくれたり、拍手で応援してくれますが、
顔を見ると、みんなずいぶんニヤけた目をしています。
「本当、ドロミテはいいところだよなぁ」
そんなことを語りかけてくるようです。

標高2240mのセッラ峠から見渡すドロミテの山々は、
これぞアルプス!これぞヨーロッパ!な景色。
雪化粧したギザギザの山、黒々としたマツやトウヒの森、抜けるような青い空。
これ以上ない完璧な景色にしばし酔いしれました。

寒いとかツラいとか、そんな理由でドロミテを避けないでよかったと思いました。
確かに冬の山岳路はそれなりに難易度のあがるものかもしれません。
午前中は凍結した路面に細心の注意を払わなければならず、
午後は午後で、溶けて緩くなった雪にハマらないように気をつけなければなりません。
汗をかいて汗冷えしないように服の脱ぎ着で忙しかったり…。

テントの設営一つ取っても手間が増えます。
まず除雪された道路以外は、雪が壁のように積もっているので、
自転車を乗り入れるために、雪の低いところを探さなければなりません。
次に雪の状態を確認し、20分ほどかけて雪を踏み固めて床を作る。
こうした後にようやくいつものテント設営作業へと取り掛かります。

でも、そんなちょっとした一手間が思いのほか楽しいのです。
そりゃあ雪上キャンプは背筋が縮み上がるような寒さですが、
寒いと分かっている場所で、寒いと文句を言っても何も解決しません。
だから、そんな場所ならではの楽しみを見つけるのです。

「いっぺんやってみたかったんだよね」
と鍋を片手に雪をすくって湯を沸かします。
晩冬の雪は少し汚れていて飲用には向かなそうでしたが
作った熱湯をポリカーボネート製の水筒に注げば、簡単な湯たんぽに変身します。

あとは湯たんぽを放り込んだ寝袋に包まって、ぼんやりと向かいの山を眺めるだけ。
日が暮れたにも関わらず雪面が月明かりを反射して、ライトがいらないほど明るく、
雪があらゆる音を吸い込んで、シンとした空気だけが漂っています。
間違いなく冬にしか見ることの出来ない景色が目の前にあります。

翌朝の気温はマイナス5℃まで下がり、朝はなかなか寝袋から出ることが出来ず、
結局起きてから1時間もかかってしまいました。
凍ったテントの撤収にも手こずりつつ、出発準備を整えたら、
まずは自転車と荷物を担いで道路に復帰しなければなりません。

一見すると、修行以外の何ものでもないと思われるかもしれません。
しかし、朝焼けに染まるドロミテの山々は、冬の澄んだ空気も相まって
空とのコントラストが素晴らしく、感動的な美しさです。

多分、前夜の厳しい夜を明かしたこともあるのでしょう。
そう、やっぱりこういう状況でしか
見ることの出来ない風景というのはきっとあるのです。
だから、寒いとか大変そうだという気持ちは物事を避ける理由にはならないのだな、と。
冬の寒さもちょっとした一工夫でだいぶ軽減することが出来るし、
大変そうなら余裕を持った日程を組む。
やり方と心持ちを整えれば、大抵のことはなんとかなってしまうのです。

それにスキー場以外では、誰にも会わなかったということもよかったです。
夏のヨーロッパを走った経験がある自分には、
夏のドロミテもキャンピングカーや観光客で溢れかえっている姿が容易に想像できます。
お祭り騒ぎのような夏のヨーロッパでは、
自然と一対一で向き合うための心の準備がちょっと難しく、
そういう意味でも今回は特別な経験となりました。

自転車に乗っていると「どこが良かった?」とよく質問されますが、
これからそれを聞かれたら、間違いなく「ドロミテ街道だよ」と答えるでしょう。
そうそう、「それも冬のね」と付け加えて。

冬のドロミテ街道は僕にとってヨーロッパで一番心に響くルートとなりました。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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