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バルカン半島を旅するにあたって

2014年04月30日

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、
三つの宗教、二つの文字、一つの国家」
これはバルカン半島にかつて存在したユーゴスラビアを表現した言葉です。

ユーゴスラビアと聞くと、戦争や紛争といった
ネガティブなイメージを連想する方も多いのではないでしょうか。
少なくとも自分自身はその一人です。
この地域を旅することは、複雑に絡み合った民族感情を基軸とした
帰属意識やアイデンティティについて考える機会が多いものとなりました。

まずは一口には語れない複雑さを持った
この地域のあらましを振り返ってみたいと思います。

このあたりは、古くはローマ帝国、近代ではオスマン帝国や
オーストリア・ハンガリー帝国などによって支配、統治された歴史を持つ土地。
強国に周囲を囲まれたこの土地は言わば緩衝帯であり、
時代と共に様々な色に染め上げられました。

そんな土地柄ゆえにバルカン半島には多様な民族が居住し、
それぞれが異なる宗教や歴史などを持ちます。
ここに18世紀頃から成立しだした単一民族国家という考え方がもたらされると、
各民族で主権を求める声が上がり、独立を巡って争いが起こります。

民族間の争いは常に戦火の火種となるものでした。
中でもサラエヴォのラテン橋のたもとで起きた
オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻暗殺は、
こうしたこの土地の複雑さを表す大きなトピックです。
事件は彼らによる統治を好ましく思わないセルビア人の青年によるものでした。
そして、この事件をきっかけとして第一次世界大戦が勃発しました。

戦後、南スラブ人による国家を目指し、ユーゴスラビアが建国されますが、
一口に南スラブ人といっても
クロアチア人やセルビア人、ボシュニャク人など多様な民族が存在します。
また彼らとは異なる出自を持つアルバニア人もコソヴォ地域に自治州を形成しており、
利害の一致は常に困難なものでした。
多民族国家の運営はセルビア人主導の下行われたために、
それに不満を覚えた民族間の衝突が度々発生し、多くの血が流れたと言います。
1953年から大統領を務めたチトーは、
民族間の利権調整に手腕を発揮し、ひと時の間平穏が訪れますが、
チトー個人の能力によって抑えこまれていた民族主義は、
1980年に彼が死去すると、再び台頭することとなります。

時の大統領ミロシェヴィッチはセルビア民族主義を強め、
構成各国から反発が強まります。
1989年にはコソヴォ自治州から自治権を剥奪。
これを受け反発したコソヴォは独立を宣言します。
独立を阻止したいユーゴスラビアは軍隊を投入し、
これがユーゴスラビア紛争の始まりとなりました。
以後、スロベニアとクロアチアも住民投票により独立を宣言。
独立の流れはマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナと波及し、
ユーゴスラビア解体へと向かいましたが、
各地で独立を認めないユーゴスラビアとの戦闘が始まり、
特にクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争は長期に及び、被害も甚大でした。
こうした独立紛争の後に多民族国家としてのユーゴスラビアは崩壊しましたが、
現在でもアルバニア系民族が多く住むコソヴォと、
コソヴォの領有権を主張するセルビアとの間では火種はくすぶっており、
また各国では、紛争時に仕掛けられた地雷が残存していて、
今でも命を落とす人が絶えません。
紛争の傷跡は未だこの地に暗い影を落としているのです。

ざっくりと近代のユーゴスラビアの変遷について振り返ってみました。
さて、ここで度々登場してきた「民族」。
これはいったい何のことなのでしょうか。
ぱっと思いつくのは、瞳や髪の色といった身体的な特徴ですが、
ここではそれを指しません。
ユーゴスラビアを構成するクロアチア人もボシュニャク人もセルビア人も皆、
大柄で目のあたりの影が深く、唇が薄いという特徴は変わりません。
混血も進んでいるため、外見で民族を判別することは難しいです。
現地の人なら判別がつくのかも知れませんが、少なくとも僕にはそう見えました。
元々、南スラブ人として同じルーツを持つので大きな違いはないのでしょう。

ここでいう民族としての違いを大きく決定づける要素とは
冒頭でも記した、宗教や文字、言語といった文化的特徴にあたります。
もちろん血筋や歴史といった先天的要素もありますが、
後天的な特徴も民族としての共同体意識を形成する
大きな要素だということに僕は驚きを隠せません。

この辺りではクロアチア語やボスニア語、セルビア語も
日本で言う方言程度の差のものですが、
我々日本人も話し言葉で九州出身だ、大阪出身だと意識するように
ほんの少しの違いでも、当事者にとっては大きな違いなのでしょう。
文字はラテン文字とキリル文字が存在していて、これは全く異なります。

そして決定的に異なるものが宗教。
クロアチア人はカトリック、ボシュニャク人はイスラム教、セルビア人はセルビア正教と、
過去に統治を受けた諸帝国の名残が色濃く残っています。
しかしながら、それまで平穏に暮らしていた近所同士が、
生まれてからの環境次第で何色にも染まりうる要素によって
民族という括りで区別され、ある日を堺に
民族浄化の名の下に殺し合いが行われるということは信じ難いものがあります。

また、最後までユーゴスラビアの枠組みの中に残っていたモンテネグロは、
過去にヴェネツィア共和国の統治下だったこともありましたが、
現在形では、言語的にも宗教的にもセルビア人とあまり変わりないと言います。
ここでセルビアからの分離を促す大きなきっかけとなったものは経済です。
国民経済を上向きにするために欧州連合への加盟を目標とし、
国民投票では圧倒的多数で独立を支持し、セルビアから離れました。
元々ユーゴスラビア時代から構成各国間での経済格差は大きく、
その格差が紛争を招いた副因でもありました。

このように民族や国といった共同体に帰属する構成要素というものは、
はっきり目に見えるものというよりは形として曖昧なものばかりです。
しかし宗教や、言語、経済といったファクターは「暮らしに欠かせないもの」であり、
「統一されればより良いもの」という観念は少なからず誰にでもあるものと思います。
そりゃあお金があれば生活も良くなるだろうし、
思想や言葉が共通していればコミュニケーションもしやすいでしょう。
だから目に見えないとはいえ、心の内でははっきりと相手との違いを意識し、
己の共同体意識と同調するものとは結びつきを強めようとする。
そして時折、行き過ぎた共同体意識は、より強い共同体の結びつきのために、
そこに属さない者を異物とみなし、排除しようという行為を共同体全体で実行してしまう。

おそらくこの共同体意識こそが、
時に虐殺すら厭わぬ排除の源となっているのではないでしょうか。
暴力を実行しているのは個人だけれど、
この行為は民族という共同体の名の下に行っているのだ、
という責任の転嫁が出来てしまう。

暴力や強盗といった行為は、あらゆる道徳観において
悪いもの、してはいけないことと見なされていますが、
それはあくまで個人単位のことであり、
一定の集団になると、その道徳観は簡単に破壊されてしまうのではないでしょうか。
まさに「青信号みんなで渡れば怖くない」の道理です。
だから、もし殺人を犯したとしても、価値観を共有する共同体があれば
時に殺人すら肯定してしまう。
恐ろしい感覚の麻痺です。

強力な共同体意識の中では排除の対象となってしまう異民族や、異教徒といった異物。
ただ、ここで僕が思うことは果たして「異物は悪」なのか? ということです。
異物無き世界は物事が滞りなく進むかもしれませんが、
かといってそれ以上の発展はなく、よくて現状維持が限度な気がします。
物事を前進させていくためには、
自分とは異なるものへの認知や融和が必要になってくると思います。

先に書いたように、どの尺度で自分の帰属意識を置くかによって、
昨日の友が今日の敵になってしまう。
だから、もし相手が自分とは違う性質を持っていたとしても、
それを拒絶するのではなく、自身との違いを知り、
認めていくことがこれから先、求められるのではないでしょうか。

少し話はそれますが、
かつてイギリスにセントサイモンという優秀なサラブレッドがいました。
競走馬として活躍したこの馬は種牡馬としても大成功し、
優秀な仔を多く輩出していました。
そのため人々はこぞってセントサイモンの血を求め、
牝馬をセントサイモンと交配させ、
「血統表にセントサイモンの名がない馬はサラブレッドではない」
そう言われるほどでした。
ところが後年、あまりにも多くのサラブレッドが
セントサイモンの血を持っていたがために
近親交配になってしまうおそれがあり、交配に行き詰まるようになります。
そして結果として、イギリスではセントサイモン直系の血は途絶え、
世界中で見ても現在はマイナーな血統となっています。
優秀とされるものだけを残そうとした先に
行き着いた場所が行き止まりとは何とも皮肉な結果でしょう。

しかしつまりこの事象は、自分たちが良いものだと思うことだけでは
物事はうまく運ばない、ということを端的に表しているように思います。

ただ民族問題は、非常にデリケートな問題で、
我々には想像の及ばない難解さが潜んでいることも事実。
この地域の民族問題はまだまだ根深く、解決には時間がかかることでしょう。
しかし紛争から20年を経て、この土地にも新たな世代が次々と育ってきています。

次世代を担う彼らに語り継がれる紛争の記憶が、
互いにいがみ合った凄惨な過去の争いとしてではなく、
互いを認め尊重し合うためのものとして残っていきますようにと願うのは、
この土地を旅した者が感じた、この土地への率直な願いであります。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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