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不思議の国のアルバニア

2014年05月14日

ボスニア・ヘルツェゴビナの後はクロアチアへ戻り、
アドリア海に沿って南下すると、
10㎞だけ海に面したボスニア・ヘルツェゴビナを通過し、
再びクロアチアへ入国することとなります。

その先にある世界的観光地ドゥブロヴニクは、
どうしてもこのボスニア・ヘルツェゴビナの10kmを通らなければ辿りつくことが出来ず、
クロアチアにとって陸の孤島のような場所に位置しています。
地図で見てみると随分とクロアチアの領土は歪な形をしていることが分かります。

しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナ側にとっては僅か10kmといえど、唯一の海。
きっと、そこにはさぞ大きな港がひらかれ、
船来品を荷揚げしているのだろうと思っていたのですが、
そこはクロアチア側と変わらぬリゾート地になっていて港は見当たりませんでした。

あとで分かったことですが、この10km区間にあるネウムという街は
かつてこの地域を統治していたヴェネツィア共和国と、
バルカン半島へ勢力を伸ばしてきたオスマン帝国との間で
制定された国境線に位置していて、
その時ひかれた線が現在でもそのまま使われているそうです。
その後ドゥブロヴニクはクロアチア領となり、
ネウムはボスニア・ヘルツェゴビナ領として残っています。

そしてさらに南に進むとモンテネグロです。
イタリア語で黒い山の意味のモンテネグロも
同様にヴェネツィア共和国の支配下にありました。
その名前とは裏腹に、灰色の山肌がむき出しになって海岸沿いに構えていて、
入り組んだ海岸線の入江にはいくつかの城塞都市が築かれていました。

複雑なリアス式海岸は、かつてこの地域にも氷河があった証。
この辺りは世界で最も赤道に近いフィヨルドなんだとか。

そしてアルバニア国境に着きました。
このアルバニアという国名。
聞き慣れない人も多いのではないでしょうか。
アルバニアは旧ユーゴスラビア圏ではありませんが、
この国も同様にオスマン帝国や列強諸国、
旧ソ連などに左右されてきた歴史を持ちます。
共産主義からの転換を謀った1990年代には、政府がネズミ講を奨励、
経済に無知だった国民はこぞってネズミ講に投資。
ネズミ講で得た資金を元手に、ユーゴスラビア紛争に武器を輸出していましたが、
ユーゴスラビア紛争の終結とともに、アルバニア経済は破綻しました。

またアルバニア人は隣国コソヴォにも多く生活し、
90年代後半のコソヴォの独立紛争時には、
コソヴォ解放軍がアルバニアのアルバニア人を兵隊としてリクルートしていたりと、
旧ユーゴスラビアとは切っても切れない関係にあります。

さて、そんなアルバニアを訪ねてみた印象は、人も国も不思議の一言。

まず、入国時にパスポートへのスタンプがありません。
いくら確認しても係員は、「モンテネグロの出国スタンプがあるから大丈夫」の一点張り。
いざ走りだすと、路上には車のかわりにロバが曳く馬車。

子供たちもアフリカの時のように珍しがって僕に寄ってきます。
言語的にも、これまでとは全く違っていて、
英語を話す人も少ないのでコミュニケーションも大分苦労しました。
それでも、カメラを取り出すと「撮って、撮って」と
どこからともなく人が集まりだすのもやっぱりアフリカのようです。

ある街で取った宿は、翌日になるとオーナーが何故か居なくなっていたので、
雨で出発を延期した僕が宿にやってきた宿泊客の対応をするようになっていました。
1時間だけオーナーに頼まれたという若者が集金にやってきたのですが、
あとは「コーヒーを飲みに行ってくる」と言って帰って来ないところなんかは、
南米に似たいい加減さです。
けれど、これに腹を立てるというよりも、
こんな状況に置かれた自分が可笑しく感じてくるのだから、
この国と僕との相性は案外良いのかもしれません。
オーナーは2日後に「ごめんね~」とあっけらかんと帰ってきました。

そんな人懐こいお国柄だから、街を歩けば色々なところから声がかかります。
通りの向こうから「俺だよ、俺!」といきなり握手してきた男は、
そういえば昨日行ったレストランの主人でした。
(ちなみに彼のレストランでは、トルコ風ハンバーグとも言えるキョフテを
80円の安さで食べることが出来ます)
アルバニアは山の多い土地柄ですが、山を必死になって上っている時も、
行き交う車はクラクションを鳴らしていったり、
わざわざ「乗っていくかい?」と誘ってくれたり。
受け答えで自転車を止めるほうがよっぽど大変なぐらいたくさんの声をかけてもらいました。

世俗的と言われるアルバニアの主宗教はイスラム教ですが、
こと旅人に対しては、しっかりアッラーの教えが根付いています。
商店でお菓子を買おうとすると、店主の老婆は決してお金を受け取ってくれませんでした。
また、両替を間違えたおかげで、宿代が足りなかったのですが、
手持ちのお金を見せると、「この値段でいいよ」と泊めてくれた宿もありました。

他の宿でも、値段交渉に応じてくれるところが多く、
街一番のホテルのようなところでも
空き部屋があればアッサリと半額近くまで値下げしてくれます。
アルバニア人はもともと中東方面から北上して定着した民族と言われますが、
アラブ人に似て商売上手でもあるようです。
けれど、商売上手は決して良いことばかりではありません。
とあるパン屋の店番は珍しく英語が通じたので、英語で会話を楽しんだのですが、
一つ十円ぐらいだろうと思って買ったパンのお釣りをあとで確認してみると、
ぼったくられていたようで随分足りませんでした。

ざっとアルバニアでの出来事を挙げてみましたがいかがでしたでしょうか。
古くから多くの大国によって
入れ替わり立ち代り影響を受け続けてきたアルバニアだけあって
異国情調たっぷりの国になっているようです。
アルバニア史で見ればそれはあまりポジティヴに受け入れることが
出来ないことなのかもしれませんが、
傍から見ると、なかなか興味深い国になっていて楽しいものです。

さて、そんな不思議の国のアルバニアの極めつけは、
この国を出国する国境事務所で起こりました。
「おぉ、どこから来たんだ?」
『日本からです』
「日本人か、この国はどうだった?」
『とっても親切にしてもらって、大好きな国です』
「いつでも歓迎するから、また来てくれよ」
こんなフレンドリーなやり取りの間に、パスポートの受け渡しはなく、
気が付くとそのままアルバニアの出国ゲートを越えていました。
あれっ? なにか忘れてないかと思い出し、
慌ててパスポートチェックは? と引き返すと
『日本から来たんだろう?確認する必要ないよ』
とパスポートを確認することすらしませんでした。

こんないい加減さに思わずこの国の行く末を心配してしまいますが、
これまでもそうだったようにきっとアルバニアは
他でもないアルバニアとしていつまでも存在していくのでしょう。

たくさんの国々のスタンプが押されている僕のパスポートには、
アルバニアにいたという記録が一切ありませんが、
この国は僕にとってとても印象深い国となりました。
世界には200近い国々が存在していますが、
個人的には1つぐらいこんな国があってもいいのではないかなと思います。

ヨーロッパだけれど、ヨーロッパじゃない異国体験をしたい方、
普通の観光旅行にはもう満足出来なくなってしまった方は
ぜひ不思議の国のアルバニアの旅行をオススメします。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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