193分の107の独立国家
193分の107。
これが何を表す数字か分かりますか?
この数字は2014年現在、国連加盟国の間で
コソヴォ共和国を国家として承認している国の数です。
日本は加盟国中27番目の比較的早い段階でコソヴォを国家として承認しました。
コソヴォは元々ユーゴスラビアの国家に組み込まれていましたが、
この地域はアルバニア人が多く住む地域。
そんな地域特性から、ユーゴスラビア時代にはコソヴォには自治権が認められ、
自治州として存在していました。
しかし、ユーゴスラビアにおいてセルビア人主義が強まると、
徐々にコソヴォにおけるアルバニア人の地位が揺らぎだし、
1989年には自治権を剥奪されます。
それに対し起きたコソヴォに住むアルバニア人の反発は、
ユーゴスラビア国内での民族意識を刺激し、
各地で起こった独立紛争のきっかけとなったと言われます。
紛争が終結し、ユーゴスラビアが解体され、
2008年にコソヴォが独立を宣言した後もセルビアはコソヴォを国家として認めず、
自国領であるという認識です。
そのためセルビアを含めた非承認国ではコソヴォ・メトヒア自治州と呼ばれています。
さて、コソヴォを承認している国と非承認国。
それぞれの立場の国は分かりやすいぐらいはっきりと二つに分かれています。
下記の画像の青が承認国家、赤寄りの色が非承認国家です(Wikipediaより引用)
この二極化を簡単に説明してしまうとすれば、
自国内において民族問題を抱えているか、否か、です。
そのためEU域内でも、例えばバスクやカタルーニャ地方の独立運動が
盛んなスペインは独立を認めておらず、
コソヴォの独立を軍事的にも政治的にも後押しした西側国家でも
一枚になりきれていません。
コソヴォの独立を承認してしまうと、
自国での独立勢力に立ち入る隙を見せることになるからです。
チベットや新疆ウイグル地区で民族問題を抱える中国も同様です。
大国ロシアも民族的ルーツの近いセルビアを支持し、
また、カスピ海にほど近い連邦構成国である
チェチェン共和国の独立問題を抱えているためコソヴォの独立を認めていません。
それだけにコソヴォの独立承認は、こうした国々にとって頭の痛い問題なのです。
ちなみにロシアと言えば、黒海のクリミア併合が記憶に新しいですが、
クリミアを承認している国をみると、
コソヴォの承認国家とはまるで反対であったりしてなかなか興味深いです。
コソヴォは認めず、クリミアは認める。
歴史的な背景の違いはあるにせよ矛盾を抱えたダブルスタンダードの背景には、
小国が強国の外交カードの一つとして利用されている部分が
少なからずあるように思います。
さて、話をコソヴォに戻しましょう。
この国に入国してみて初めに感じたことが、
長い紛争を経て手に入れた国土への強烈な執着です。
一番分かりやすいものが国旗。
青を基調とした国旗の中心にはコソヴォの領土が描かれ、
ヨーロッパのシンボルカラーでもある青はつまり
「ヨーロッパの独立国家コソヴォ」を強烈に主張しています。
こうしたデザインはガソリンスタンドや車のナンバープレートなど多く見て取れます。
国旗に記されている星は民族の共生を意味するものですが、
アルバニア人国家を意味するアルバニアの国旗もよく見かけ、
また、独立を支援した西側国家のアメリカやヨーロッパの国旗も見かけるので、
何となく僕には、この星の意味する民族の共生は建前にも見えます。
ちなみに街なかで見かけるこのような落書き。
Communism Revival(共産主義の復活)や
セルビアやコソヴォの文字がお互いに消されていたりするものを見かけるので
ますますあの星印は建前じゃないかと思うのです。
アルバニア人による主権国家を目指したコソヴォのため、
少なからずアルバニアと似た国だろうという気持ちを当初は持っていたのですが、
実際は随所でアルバニアとの違いを見て取れました。
まず綺麗な片側二車線の高速道路が整備されています。
恐らく各国の援助で建設されたものでしょうが、
丘が削岩され平坦に作られた高速道路には驚かされました。
街にも新しいビルや建築物が次々に建設され、
郊外に延びる道路沿いには商業施設が続々と並んでいます。
一方で紛争時に破壊されたセルビア人の住まいと思われる住宅やセルビア正教の教会が
無残に破壊されたまま放置されていて、
コソヴォの人々はこれをどう感じているのか気になりました。
また、道に捨てられているゴミもアルバニアに比べて格段に減り、
朝方の街は開店前に掃き掃除や窓ふきをする光景がたくさん見られました。
こうした衛生観念は一朝一夕で身につくものではなく、
恐らくユーゴスラビア時代から身についたものと思われるだけに、
ユーゴスラビア時代を否定することは出来ません。
一方で、小学一年生ぐらいの少年が大人顔負けの仕草でタバコを吸っている姿を
度々見かけるなど、常識的な生活習慣への知識がちぐはぐな印象を受けました。
街の人と話す機会があると、
「アルバニアは嫌いだ」「アルバニアには山しかないじゃないか」
といったことを聞く機会があり、
コソヴォの人はどこかアルバニアのアルバニア人とは
違うんだと思っているフシもあるようです。
民族的に同じルーツを持っていたとしても、
属する国によっての感情がこうも違うとは思ってもみませんでした。
もちろんたまたまそういう人としか話せなかったのかもしれませんが、
少なからずコソヴォにもこういう層がいることは事実です。
(実際にコソヴォ住民のほとんどがアルバニアとの併合には反対をしています)
ちなみにアルバニアはコソヴォが独立宣言をした際は
真っ先に独立を承認した国の一つというのですから、
ますますこのあたりの地域を理解することは難解な話でしょう。
日本が独立を支持したからか、
僕が日本人だと分かるとみんな嬉しそうに歓迎してくれます。
その笑顔はこれまで旅したバルカンの国々と同じに見えます。
この笑顔の裏に潜む敵対民族への感情は未だにはっきり理解は出来ませんでした。
先に書いた通りセルビアはコソヴォの独立を認めていないため、
自転車で走る場合は、コソヴォからセルビアに抜けることは出来ないというのが通説です。
(セルビアからコソヴォへ抜けることは可能)
そのため僕はコソヴォの後は、マケドニアへと抜けましたが、
後で聞いた話だと、
コソヴォからセルビアへ抜けると、国境でコソヴォの入国スタンプには、
コソヴォなんて国は存在しないよとばかりに"☓"印が押され、
新たにセルビアのスタンプが押されると聞きました。
誰かが認めて、誰かが認めない独立国家の行く末はどうなってゆくのでしょう。
少なくとも、今後もセルビアとコソヴォだけの問題ではなく、世界中の国々が
ステークホルダー(利害関係者)として思惑が交錯していくことでしょう。
193分の107という数字の向こう側に
複雑に絡み合う世界中の国々が透けて見えてきます。