箱庭の地球
「アツシさん、久しぶり!」
ブルガリアの首都ソフィアにある安宿にその声が響きます。
声の向こうに視線を移すと、そこには懐かしい二人の顔。
ススムさんとリンさんカップルがブルガリアの首都ソフィアにやって来ました。
この再会は実に1年半振り、チリのプエルトモンという港町以来です。
二人は僕の旅の中で、最も再会を繰り返している旅人であり、
改めて数え上げてみるとなんと8回目。
今回は事前に連絡を取り合っての待ち合わせでしたが、
他の再会の半分は、とある街のバスターミナルだったり、
二人がとある宿に滞在している噂を聞きつけて訪ねたりと
偶然が重なったものも多いので、喜びもひとしお。
そもそも僕たちの初めての出会いは、
中米ニカラグアに浮かぶ火山島を走っていた時。
そこで僕が道を間違えた先で、
彼らがたまたま道路を歩いていたところから始まりました。
迷子から始まったひょんな出会いが、
後にずっと続く友人関係になるなんて、
やっぱり人生はどう転ぶか分からないものです。
だから僕たちは生き別れになった戦友に再会したかのように、
手を取り合って喜びました。
そして互いの空白の時間を埋めるように、矢継ぎ早に会話が行き交います。
今どきインターネットを使って、お互いの近況は簡単に知ることが出来るけれど、
やはり、二人の生の声でこれまでの事件簿を聞くことはリアリティがあって面白いもので。
それに二人も僕と同じく三年近く旅をしていて、
これまでに訪ねた地域も近いので会話が盛り上がらないわけがありません。
僕のような通過型の自転車旅と違って
バックパックのスタイルで一国や一都市に対して長い時間をかけているので、
僕も知らないマニアックな場所に訪れていて、
ローカルマーケットに精通していたりと
二人からは情報交換という域を越えて、羨望すら感じる素敵な旅を続けています。
そして話題が次第に昔話へと変わると、
あの時はこうだった、あぁそういえばそうだったねぇと
懐かしい気持ちでこれまでの旅を振り返り合う僕らの心の情景は
匂いや音、味を帯びた手応えのある景色として描かれていたはずです。
きっとこの感覚ばかりは、時間をかけて旅してきたものだけの特権であり、
それを共有できる仲間が目の前にいることはなんと幸せなことか、
ワインをグラスに注ぐ回数も自然と増えます。
旅をしていると、なかば信じられないような出会いや偶然に
しばしば驚かされることがあります。
それが旅の面白さであり、旅を旅たらしめるものだと思うのですが、
よくよく考えてみると、その土地のハイライトとなる場所や、旅の予算といった因子で
僕たち旅行者の行動範囲はある程度限定的になってきます。
そう考えると街角でばったりというのは、思いのほか必然だったりするのかもしれません。
けれど、決してそれが再会の喜びを逓減させるものではなく、
「またどこかで会える」そんな前向きな気持ちにさせてくれるものなのだと思います。
出発から3年という月日をかけても僕たちは地球を回りきれていない、
でも僕たちの心の中に感覚としてある世界は、
出発前と比べて随分と身近なものに思えてきます。
「地球は広くとも、世界は狭い」
一見するとトンチのような言い回しですが、
二人と繰り返してきた再会は強くそう感じさせます。
ソフィアでは僕たち三人と、毎日日替わりでやってくる旅人を交えて、
近郊の修道院に出かけたり、お互いに晩ご飯を作りあったりしてのんびり過ごしました。
二人と過ごす空間は心地よく、いつまでもここで一緒にいたいと思うほど。
そんな僕の心境に合わせて、空はずっとぐずついていて、
雨を理由にいくらでもここにいることは出来ました。
「今日も天気が悪いし、連泊かなぁ」
そう思っていた矢先、一瞬だけ空に晴れ間が差し込みました。
もし、僕たちの度重なる再会は神様の心遣いだったとすれば、
この晴れ間は旅の道祖神が「もう出発しなさい」と言っているように思いました。
だから僕は慌てて散らかった荷物を鞄に詰め込んで、宿をチェックアウトしました。
当然、今日も連泊するものだと思っていた二人には申し訳なかったのですが
『私たちもよく気分が変わったりするから気にしないで』
と言ってもらいました。
自転車を押して、大通りまで出たところまで見送りに来てくれ、
「次はアジアですかね、また会いましょう」そう言って握手して別れました。
よく旅人の別れの言葉として使われる「またどこかで」。
この言葉にはある種社交辞令のような響きが少なからず含まれていますが、
僕らにとっての「またどこかで」は必ずどこかで再会をする約束の言葉なのです。
それがどこになるか、今はまだ分かりませんが、旅を続けている限り、
きっといつか地球のどこかで僕らはまた必ず会える。