天秤に掛けるという贅沢
トルコ随一の観光地カッパドキア。
ここは、この地に降り注いだ火山灰が堆積して形成された凝灰石の大地が、
風雨により強度の弱い層が侵食されて、
現在の岩の造形美を造り上げたといいます。
奇異なる形の岩は、比較的柔らかい岩石層だったということもあり、
イスラム教徒からの迫害を逃れるためキリスト教徒が洞窟を掘って生活を送っていました。
また周辺各地では同じような理由から
地下へとその生活圏を広げ、光の届かない地底にあらゆる生活の機能を備えた
集落を形成していました。
さて、そんな自然と歴史を有するカッパドキアですが、
僕のお目当てはやはりこの摩訶不思議な自然景観の方。
もともと奇岩が大の好みということもあって、
トルコではカッパドキア一番の楽しみにしていたのです。
拠点となるギョレメ村は、さすが観光の中心とあって
多くの奇岩がホテルやレストランへと転用され、
至る所に無秩序な看板が打ち付けられている姿に、
いささかガッカリすることもありましたが、
いざ街の外に出てみれば何千万年もの地球の歴史を感じさせる岩が
今なお終わることのない風化浸食を続けながら、そこに直立しているのでした。
なぜ自分が奇岩にこれほどまでに惹かれるのか考えてみると、
奇岩は到底想像の及ばない遙かなる地球の歴史を
分かりやすい形で持って示してくれるからなのかもしれません。
岩を眺めながらこの途方もない時間に思いを馳せることは
僕に多くのイマジネーションを与えてくれます。
ただ、そんな大自然の造形美に酔いしれながらも
それでも
と思う気持ちが湧いてくるのです。
"それでも"
この言葉の先に思い浮かぶものはアメリカにあるブライスキャニオン国立公園です。
ここも奇岩で名を馳せる場所で、
周囲もグランドサークルと呼ばれる奇岩の密集地となっています。
2008年に初めてこの土地を訪れた時、松林を抜けた先の谷の縁にたった瞬間の、
眼下に突然広大なスケールの尖塔群が飛び込んできた衝撃は
今でも忘れることが出来ません。
公園に到着する直前に降り注いだ土砂降りの雨、
谷の向こうからビュウビュウと吹きすさぶ風、
日が落ちた途端に震えるほど寒くなる乾燥した厳しい大地。
この土地を取り巻くあらゆる気象環境が
気の遠くなる年月をかけて作り上げたフードゥーと呼ばれる尖塔群が
そこには存在していました。
僕は口をぽかんと開けて呆然とする他なく、
翌日、谷底にトレッキングに出かけても、
今度は見上げるフードゥーにやはり口を開けてぽかんとするしかありませんでした。
ブライスキャニオンのフードゥー群、これが僕にとっての奇岩の原風景になったのです。
以来、奇岩名所を訪れる度に、
心のどこかで"それでもブライスキャニオンには
"と比べている自分がいるのです。
形成された自然背景も、そこに刻まれてきた歴史もそれぞれ違うにも関わらず、
奇岩というファクターだけで比較してしまうことは、
ナンセンスだと僕自身思っていたのですが、
ボリビアのアルボル・デ・ピエドラ、チリのマーブルカテドラル、
ジンバブエのマトポ丘陵など、奇岩で知られる土地に行く度に、
心の隅に浮かぶのはアメリカのユタ州にあるあの国立公園なのでした。
でも僕の中で、それらの奇岩群がブライスキャニオンを超える印象を
持てなかったからといって、落胆することではありません。
知るということは、次なる期待を抱くということ。
次へ期待を抱くということは、次の土地を訪れてみようという原動力です。
僕にとってブライスキャニオンはいつだって奇岩のモノサシの尺度として存在し続ける。
それだけで価値があるように思います。
それを人間の人生など軽く一蹴してしまう悠久の歴史と、
広大無辺の規模を持った地球で、
見比べて周っているのだからとても贅沢な話です。
また、比較をしながらも各々に共通する背景をあれこれ夢想することも、
密かな楽しみだったりします。
ブライスキャニオンの名前の由来は、18世紀にこの地を開拓した
モルモン教の宣教師E・ブライスから名付けられたといいます。
ブライスキャニオンをはじめとする奇岩で名高いユタ州は、
東海岸から迫害を逃れてきたモルモン教の安住の地でした。
キリスト教宗派の一つであるモルモン教徒が
隠れキリシタンの里であったカッパドキアと
同じように奇岩のこの土地に居住していたことは
なんだか不思議な共通項を感じさせてくれるようです。
根も葉もない全くの空想にも関わらず
このような妄想に妙に納得がいくのは
やはりそれぞれの場所を訪れた者だけなのです。
さて、カッパドキアを後にし、再び進路を東へと進めると
トルコ中部に広がっていたアナトリア高原は次第に山岳地帯へと姿を変えていきます。
山岳といっても、日本で見られるような急峻な山道ではなく、
周囲は大陸ならではの壮大な広がりをもって緩やかに地形が波打っています。
どこかペルービアン・アンデスを思い出させるパノラミックな風景。
ここでも僕は、地球の裏側で見たいつかの風景がフラッシュバックしたのでした。
そして黒海方面から常時吹きつける強い北東からの向かい風は、
少しだけパタゴニアで感じた風のようで、冷たく乾いていました。
ずっと走ってきたからこその規模で、物事を天秤に掛けることが出来る贅沢。
心の中の分銅が大きく振れるその日はいつのことでしょう。