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完全な白、不完全な白

2014年07月23日

イスタンブールに戻ってきた行き掛けに、
前々から気になっていたパムッカレに行ってきました。

石灰岩で形成された白亜の棚田に地熱で温められた温泉が流れるこの場所は
世界中を見渡しても一際異彩を放つ光景が広がっています。
古くローマの時代から温泉保養地として栄えたこの地は1354年の大地震で崩壊。
近辺には当時の都市の面影が遺跡として残っています。

いくつも連なる白い棚田は、人工的に作られたものかと思っていましたが、
流れ出た温水に含まれる炭酸カルシウムが沈殿して出来たものだと知り、
自然のもたらす芸術に改めて感心したものでした。

これまでも白色が印象的な土地をいくつか訪ねてきました。

アメリカのホワイトサンズ国定公園、ペルーのマラスの塩田、ボリビアのウユニ塩湖、
イタリアンアルプスの冬のドロミテ街道などが思い起こされます。
どれも全て世界で類を見ない鮮烈な美しさを持った場所でした。

白を演出するものは、それぞれ石膏や塩だったり、雪だったり。

エクアドル第二の高峰コトパクシ山の頂から見下ろした雲海は
今回の旅の中でも最も忘れることの出来ない思い出の一つです。

どうしてこれほどに白い景色に惹かれるのだろう。
これらの土地を追い求めた根源的な理由について、少し考えてみると
白は色として完全であるからかな、と思いました。
これ以上色として取り去ることの出来ない色。
この世界で唯一混じり気のない色。
他のどの色にも寄り付かない孤高の色であるから、
その近づき難さが強い興味を引くのかもしれません。
また色としての完成形というと完全性と、
自然の中で白色はそう多くないという希少性とが
相まって見るものを惹きつけて離さないのかもしれません。

人の暮らしに目を向けてみると、家具やベッドリネン、
日常で着るシャツやワンピースなど数多くの人工的な白に囲まれていますが、
これは知らず知らずのうちに
僕たちは白を憧憬の的として捉えているからなのかもしれないなと、
そんな思いを逡巡しながら石灰棚の上を歩いていました。

ところが夕暮れの到来を知らせる肌寒い風が強まってきた頃です。
大挙して訪れていたツアー客も去り、園内は日中よりもだいぶ静かになりました。
眺めのよいビューポイントに移動して、一日の終わりを告げる夕日を眺めていました。
陽の出ている間は、直視し続けることも大変な程に照り返しの強い白の石灰棚は
西日を受けて黄色になり、黄金に染まり、オレンジ色へと刻々と色を変えていきます。
やがて太陽が沈むと、一瞬だけ全体が青になり徐々に闇夜が落ちてきて、
石灰棚は薄暗いグレーへと変化していきました。

目の前に繰り広がる色彩の変化を見ていると、
今度は、白は色として不完全だから心惹かれるのかもしれないと思えてきます。
ほんの少し、例えば影一つ差し込んだだけで、白としての色を失ってしまう儚さ。
すぐに何色にでも染まってしまったり、汚れてしまう無常さ。
白は物質が色の可視光線が全て乱反射した時に見える色とされていますが、
そのバランスが少しでも狂うとあっという間に別な色に変わってしまう不安定さ。
しかし、全ての色を均質に混じ合わせると再び色は白へと収束します。
孤高の色だから見るものを惹きつけるはずだった白は、
実際は白を取り巻く環境下で美しくも汚くもいかようにでも変化するのです。
常に何かに影響され続ける色だから、
そこに永遠を求めるような叶わぬ願いを求めるのかも知れません。

白は不思議な色です。
完全のようであり不完全。
不完全のようで完全。
うまく言えないのですが、対極にある黒や、赤や青といった他の色、
あるいは無色透明といったものとは全く違う
色彩感覚を越えた次元で白は存在しているように思います。

最後に、今やトルコ随一の観光地として、連日観光客で溢れかえるパムッカレは、
周辺の温泉ホテル開発により、温水が枯れかけています。
そのため現在は、温水はパムッカレの開園中のみ流されるよう人工的に調節され、
かつてのように棚田全体に淡いエメラルド色のプールが
満ちることはなくなってしまいました。
一部分だけ残ったエメラルドのプールを見ながら、
純白の石灰棚に温水が満ちていた往時に想いを馳せると、
どんなに美しい景色だったのだろうと思います。
干上がり雨風に晒されるだけとなった部分の棚田は、土が溜まり汚れてしまっています。
美しいはずだった白の景観も、
人の手によって見るに堪えない景色へと変わってしまった姿に、
僕たちの欲望が招いてしまった行為を省みなければなりません。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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