バスでの戻り道
今度こそ。
そんなことを言っても、ちっとも信用してもらえなさそうですが、
今度こそイスタンブールを後にするつもりです。
パムッカレから戻ってきたその足でバスチケットを買いに行き、
またイスタンブールに根が生えてしまわないうちにバスへと乗り込みました。
カウンターでは約16時間の予定と言われたバス旅ですが、
所々で休憩を繰り返し、結局のところ18時間かかって
前回走った1100km先のエルズィンジャンの街へと戻ることとなりました。
普段、長距離バスには乗らないので、この所要時間はもちろん人生で最長。
それでもサービスに定評のあるトルコのバスは快適そのものでした。
飛行機のように各席にモニターが付いて映画や音楽が楽しめ、
車内では軽食や飲み物もサーブされ、
果てにはインターネットの電波まで飛んでいたのです。
道中退屈することなく、快調にバスは進んで行ったのですが、
滑らかに変わってゆく車窓からの景色には強い違和感を感じました。
僕が自転車で走ったこの辺りはお昼前から強い東風が吹き始め、
走ることに苦労したのですが、バスはそんなことお構いなしに進んで行きます。
アスファルトの微妙ながたつきもバスで通るとまるでなかった事のようです。
見た目には燦燦と照っているように見える太陽も、分厚いガラスに遮られ、
空調の効いた車内は暑くも寒くもなく。
風にそよぐたおやかな草原が美しくて何枚もシャッターを切った
アナトリア高原の景色もここから見渡すとまるで感慨がありません。
自転車から肌で感じる景色と、車窓から視覚だけで感じる景色に
これほど大きな隔たりがあるとは思ってもみませんでした。
やがて高原の地平に闇のとばりが垂れてきて、夜が支配する時間になりました。
普段なら寝る場所を見つけることが出来た安心感でホッとしている時間帯です。
それでもバスのヘッドライトは暗闇を裂いてぐんぐんと進んでいきます。
遠くにうっすら街明かりが見えても立ち寄ることなく、
たまに乗客の乗り降りで郊外のバス停に止まるだけ。
夜明け前、バスが休憩で停まったガソリンスタンドは、
前回自転車でも立ち寄った場所でした。
こんな時間帯だから、あの時、チャイをご馳走してくれた事務所の扉は閉まっていて、
小さな売店だけがひっそりと営業しているだけでした。
あの従業員は今頃家に帰って寝ているのでしょうか。
チャイを飲み交わして確かに同じ時間を過ごしたのに、
バスで訪ねたここはまるで別の場所のようでした。
飛行機やバス、列車など数ある交通機関の中で、自転車でよかったなと思うことの一つは、
色々な物事や事象の連綿とした繋がりを確実に感じられることです。
例えば、ヨーロッパからずっと走ってくると人々の顔つきや肌の色、
食事などが少しずつアジアのエッセンスを含むようになっていること分かります。
南米にいた頃は少しずつ最南端という極点に近づくにつれ、
日に日に日照時間が伸びてくのが分かりました。
一瞬で劇的に変わる世界も刺激的ですが、
徐々に変わってゆく世界を発見することもまた面白いのです。
これはアフリカからヨーロッパに戻ってきた時、強く感じたことですが、
アフリカを訪ねる前は、この大陸が頭の中では同じ地球上に存在していると
分かっているつもりでもどこか遠い星のことのように思えていました。
それが実際に行った後だと、まるでリアリティが違ってきました。
ヨーロッパとはほとんど同じ時間帯であるから、
朝方には毎朝出発前に食べたタンザニアのチャパティとチャイを、
お昼過ぎには通りのフルーツ屋からもらって食べたマンゴーの味を、
夕暮れ時には水汲みに出掛ける子供たちのバケツを頭に載せた姿を思い出すのです。
彼らは今も同じようにあの土地で暮らしている。
同じ地球に生きているのだから、また会いたくなったら、
このまま南へ自転車のハンドルを切ればまた会いにいくことだって出来るじゃないか。
地を這って旅をするということは断片的に散らばっていた頭の中の世界を
確かな線で繋いでくれるものでした。
ずっと自転車に乗っていると、乗ることが嫌になることは無いとしても、
飽きがくることはたまにあります。
そんな時には冗談で『寝て目が覚めたら次の街にいることが夢』
なんて言っていたのですが、実際に今回バスに乗ってみて、
今の自分にとってバスのスピードで進む時間軸は、急過ぎて、
色々な感覚が追い付かないことを痛感しました。
だからバスがエルズィンジャンの街に着いて、宿に預けてあった自転車を確認した時は、
どっとこみ上げる安心感と自分の居場所に帰ってきた気持ちでいっぱいでした。
早いや、快適、楽や安全
時々、色々な誘惑に駆られることもありますが、
どこにでも行ける、会いたい人に会いに行ける自由を持った
乗り物がせっかく身近にあるのだから。
さて、そろそろ自転車に乗るとしましょうか。