アゼルバイジャンとバクー
グルジアからアゼルバイジャンに入ると、何もかもが変わりました。
人々の顔つきがトルコ人に近いトゥルク系へと戻り、
言葉もトルコ語に似たものとなりました。
となると食事までもケバブやドルマなどのトルコ料理に戻り、
美味なるグルジア料理とは僅か10日程でのお別れとなってしまいました。
このアゼルバイジャン。
グルジアやアルメニアのコーカサス諸国と同じく旧ソ連の構成国家でありながら、
宗教はイスラム教。
コーカサス最大の都市、首都バクーは20世紀前半まで世界最大の原油産出量を誇り、
近年では新たにカスピ海の海底油田が開発され、
新たな原油バブルで経済は再び上昇の一途を辿っています。
事前の知識として、ざっくりとこのぐらいは頭に入れての入国。
ところが、いざ走り出してみると、
道路には好況に湧く国とは思えないぐらいソ連時代の古い車ばかりが目立ちます。
ガタガタと激しく軋む音を立てて走り、
マフラーからは真っ黒な黒煙がもうもうあがっています。
おかげで国中至るところが石油臭い。
一日中、この臭いを嗅いでいるとクラクラと気持ちが悪くなってしまいました。
道路の舗装もまるでなっていなく、
グルジアの首都トビリシからバクーへと向かうコーカサス地方の
一大幹線道路にも関わらず、ガタガタの路面が続きます。
そんな路面にも関わらず、車はお構いなしに狂ったように飛ばしていきます。
途中、第二の幹線道路へ進路を変えると、ついには何年も放置されているであろう
アスファルトが剥がされた朽ちた道路が延々と続きました。
路傍に並ぶ家々も決して立派な造りとは言えず、
今の暑い時期ならまだしも、どうやって厳しい冬を過ごしているのか想像がつきません。
首都バクーからのトルコへと抜ける原油パイプラインが完成した今、
アゼルバイジャンにとってバクー以外の街は、
それほど重要視されていないのではないか、そんな印象です。
コーカサス諸国の経済優等生として期待していたアゼルバイジャンの姿は
どこにもありませんでした。
また、道中酷かったことが、人々のマナーです。
一日に数百回と車からクラクションを鳴らされ、
車の窓から半身を乗り出した男が追い抜き様に大声で罵声を浴びせて去っていく。
こんなことも日に20回ほどありました。
古い車ばかりとはいえ、1リッターあたり約70円程度という
格安のガソリン代に支えられたアゼルバイジャンは曲がりなりにも車社会です。
そんなところを自転車で大粒の汗をかきながら漕いでいる姿は
彼らにとって滑稽に映ったのでしょうか。
ただ、見かけてから数秒の人間にそんなことをしようと思う発想はちょっと正気じゃない。
過ぎ去った車から聞こえてくる下卑た笑い声に、心が暗澹たる思いに沈んでいきました。
休憩時、商店の前に自転車を止めると瞬く間に人垣が出来ます。
が、彼らの視線の先は僕ではなく、
自転車や僕の持っているカメラなど金目のものに行くばかり。
目を離すと勝手に自転車に跨っていたりして、気が抜けません。
自分の興味のままに人と接する彼らの様は、
僕にとって土足で家の玄関を跨いで入ってくるような横暴さを
感じることが多くありました。
出会う人の運が悪かっただけなのだろうか?
僕が自分の常識をこの国に押し付けているのだろうか?
悶々とした思いが頭の中で渦巻くも、結論には至りません。
一度悪いことを考えだすと、それは輪をかけて悪いことを呼び寄せます。
ある時、路上で警察に呼び止められました。
その警察は僕からパスポートを取り上げ、あれこれ難癖をつけ、
最終的にヘルメットを被っていないという理由で100ユーロを払えと言います。
普段、ヘルメットを被っていない自分を棚にあげて言うのは何ですが、
それでもヘルメットを被っていないバイクが平気で横行しているこの国で、です。
僕を取り締まる前に、このガタガタの道路を、大手を振って100km超で走る車を
先に取り締まるべきではないのでしょうか?
車にしても、この警察にしても、
どうして自分より立場の弱い人間にこんなに強い態度になれるのでしょう。
こういうことが続くと、とにかく人と接することが極端に怖くなり、
いつしか誰とも目を合わせないようにすることに必死になっている自分がいます。
警察が検問をしていると、また言いがかりをつけられないように、
彼らの機嫌を損ねないよう必死に作り笑顔をして警察の機嫌を伺う自分がいました。
そんな中で、日に一度は僕の話にちゃんと耳を傾けてくれる人たちがいたことも事実。
彼らに出会っていなければこれほど精神的にツラい走行はなかったことでしょう。
暑く乾燥した砂漠地帯を走り切り、ようやくバクーの市街地に入りました。
そこには今までこの国では見たことのない高いビル群の数々と、
黒光りして走る日本車や欧州車。
久しく見かけていなかったブランドショップも多く目につきます。
想像のつかない規模のオイルマネーが流れ込んでいることは明白です。
僕が通り過ぎてきたアゼルバイジャンとはいったい何だったのでしょう。
なんとなく中米の国々を思い出しました。
あの国々でも同じように貧富の差が激しく違っていました。
首都とそれ以外の街々では家並みから服装、それに食べるものまで明確に違っていました。
アゼルバイジャンは930万人の人口を抱え、そのうちバクーには210万人、
バクー都市圏でいえば400万人を超える人口が集中しているといいます。
その多くは原油産業に関わる人たちと言われ、
この産業がアゼルバイジャンに大きな国益をもたらしていることは確かですが、
地方を走ってきた身からすると、
富の再分配が正しい方向で行われているのかが気になりました。
なにしろ地方で立派な建物といえば警察署と
国が建設したと思われるカンファレンスセンター、
そして街の入口に建てられたゲートぐらいしか見かけなかったのですから。
そんな格差社会に生きる人々の潜在意識には、
この格差の構図は簡単に変えられるものではないという意識が
根付いてしまっているのではないかと思います。
だから車という安全地帯や、
警察という立場を利用して立場の弱い僕にとってかかってきたのかもしれません。
アゼルバイジャンは2005年前後から年間20%~30%の
特に著しい経済成長を見せていて
(2005年はトルコまでの原油パイプラインが開通した年です)、
現在でこそ成長曲線は落ち着きを見せていますが、
今後も人々の格差は益々大きなものになっているでしょう。
持てるものと持たざるものに大別された社会は、
どちらも目の当たりにしてきた僕にとってはあまり気持ちの良いものではありません。
通りすがりの人間である僕が語れる部分はそう多くはありませんが、
旅行者の目線から言えば、
バクーを除いたアゼルバイジャンの街や村には圧倒的に宿がありません。
大きな街に高級ホテルが数件あるという程度で安宿がありません。
アゼルバイジャンの人々はいったいどうしているのでしょうか?
安宿は、その国にとっての商業の発展のバロメーターだと思っています。
商人やビジネスマンたちが気軽に利用できるような安宿がなく、
富裕層を対象とした宿しかないことは、
やはりこの国の商業や流通がバクーへの一方通行であり、
地方が軽んじられているからだと思います。
また、経済の中心地バクーをベースとして国が成り立っているから、
インフレによる物価高圧力に地方の人が耐え切れるのか少し心配です。
2011年のデータによると、消費者物価は前年比7.9%であがっています。
国民の40%近くが住むバクー都市圏の人々は、
経済成長の実感とともに物価上昇に耐えうる経済力を持てるとは思うのですが、
全体最適のために地方がないがしろにされることが正解なのでしょうか。
空前の好況に湧くバクー。
ここはアゼルバイジャンであってもアゼルバイジャンではない。
ビルの合間を縫って、街の中心であるカスピ海に面した旧市街に到着した時、
もうあたりには旧ソ連製の古い車は一台もいなくなっていました。