頼りに足るニッポン旅券
"日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、
かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する"
日本のパスポートの1ページ目の序文にはこう記されてます。
世界で最も信用度の高いパスポートの一つと言われる日本のパスポートは、
序文に記されている通り、通路故障なく僕を現在まで50もの国々へと導いてくれました。
日本パスポートの何がすごいところかと言えば、
ほとんどの国々でその国の通行手形となるVISA(査証)の取得が必要ありません。
例えば僕の旅した北南米の国々ではブラジル以外VISAは求められず、
驚くほど簡単に大陸を渡り歩くことが出来ました。
また、仮にVISAが必要な国であったとしても、
国境で経費を支払うことで即時発行してもらえたり、
支払う金額についても日本は優遇されている場合が多くあります。
ここ、アゼルバイジャンはVISAが必要な国の一つですが、
隣国グルジアで申請するアゼルバイジャンVISAは
各国の申請者それぞれ100$前後の手数料が求められる中、
日本人とトルコ人だけは費用がかかりません。
民族的に繋がりの深いトルコはともかく、日本については、調べてみると、
アゼルバイジャンへのODAの額がここ数年世界一だったりと、
この国への貢献度がどうやら影響がありそうでした。
日本では、もともと1964年に観光旅行に対して
パスポートの発給が受けられるようになるまで、
商業や学業目的の一部の人にのみ付与されたものでした。
それが今では国民のほとんどがパスポートを取得し海外へ出掛ける権利を有し、
多くの国々に複雑な条件なく入国できることは、
近代日本が国際社会に対しポジティブな影響を与えてきた結果だと思います。
南米からアフリカに至るまで日本の自動車や電化製品メーカーのロゴを
見かけない日はありませんが、それと同じぐらい日本のパスポートの
菊花紋章は世界中で信頼されているのです。
さて、バクーからは港から出ている貨物船に乗ってカスピ海の対岸、
カザフスタンのアクタウに渡ることにしました。
このカザフスタン、従来はVISAの取得が必要な国だったのですが、
ちょうど今年の夏から日本人はVISAなしの渡航が認められるようになり、
ここでも日本パスポートが威力を発揮してくれそうです。
そしてカザフスタンの次はウズベキスタンの予定。
ウズベキスタン入国にはVISAが必要で、
東南アフリカのそれと違って国境で簡単に発行してもらえるものではなく、
大使館に出向いて申請をしなければなりません。
バクーのウズベキスタン大使館でのVISAの取得は結論から言うと、
12日もかかってしまいました。
当初「発行には7日程かかる」と言われてしまい、
それだけでも長いと思ったのですが、交渉の余地はなく、渋々待つことにしました。
あまり観光的な見所の少ないバクー。
城壁に囲まれたシルクロード時代の面影を残す旧市街は
やたらと綺麗に修復の手が入っていて味気なく、
郊外には地表から漏れたガスが自然発火して燃えている山があったり、
炎を信仰の対象とした拝火教の寺院があるのですが、
どれも半日で済んでしまうものばかりで、期日の一週間はとても長いものでした。
他はと言えば、世界中の木々を植林したカスピ海に面した海岸公園や、
その通りに面したブランドショップが軒を連ねる通りは
今の自分にとっては全く縁遠い場所で、無意な時間をただただ浪費していました。
物価だけはヨーロッパ並に跳ね上がっているバクーでの日々はVISA発給まで
いかに出費を抑えて過ごすか、この一点だけに絞って過ごしていたように思います。
そんな中で心の拠り所になったのは滞在先のオーナーのミカエルです。
英語も通じる人がほとんどいない中、愚痴をこぼせる唯一の人で、
何かと僕に気を使ってくれました。
時間を持て余す僕を出先に連れ出してくれたり、
他の宿泊客の出掛ける先に僕も連れて行ってくれるように口を利いてくれたり。
アゼルバイジャンの国教はイスラム教ですが、
アザーンも聞こえず、人々の服装もまるでイスラムを感じさせません。
バクーの繁華街を歩いていて感じるものは、とにかくカネのニオイ。
オイルリッチというものは、
時に人の心の拠り所となる宗教すら凌駕するものなのかと、愕然としたものです。
そんな折、ミカエルが僕を連れて行ってくれたところは、バクーにあるモスク。
集団礼拝の日である金曜日の礼拝を、水場での手足の洗い方から教えてくれました。
礼拝所にはイスラム帽を被った男性たちがぎっしり。
みんな地面に頭をつけて熱心にコーランを唱えていました。
宗教色なんてまるで感じないそんな風に思っていたこの国で、
初めてイスラム教の礼拝を見ることが出来たことは少し皮肉ですが、
それ以上に何故か安堵した記憶があります。
そんなミカエルも毎日の礼拝を欠かさず、
ラマダン中は水の一滴も飲まない敬虔なムスリムでした。
そして、7日間をようやく過ごし、再び大使館を訪ねると、
「まだ出来ていない、明後日にまた来て」と大使は言うではないですか。
苦虫を噛み潰ぶすような気持ちで二日間を過ごし、
三度大使館を訪ねると、今度は大使館が休業に入っていました。
(アゼルバイジャンの祝日でもウズベキスタンの祝日でもないにも関わらず、です。)
そのまま週末に入ってしまったので、どうすることも出来ず、
ただ時間が過ぎるのを待ち、翌週の月曜日になってようやくVISAが発行されました。
付け加えておくとその月曜日も大使が外出中で
午前中はひたすら門の外で待つという時間を過ごした後にです。
もちろん大使の業務が忙しいのかもしれませんが、
ウズベキスタン大使館は一週間に三日しか営業していないにも関わらず、
予告もなしにこうも待たされてしまうとなかなかのストレスでした。
ただ、いざVISAが発給されてみて思ったことは、
これまでほとんどの国々で滞り無く出入国を繰り返して来られたことへの有り難さ。
日本のパスポートだったからこそ、今回のようなストレスを今まで知らずにいました。
僕の台湾の友人からは、国籍だけで訪問できる国の制限があったり、
VISAの発給ルールにも制約が設けられたりと色々な苦労話を聞いたことがあったので、
国籍によっては毎回このような苦労をしている人たちもいると思うと、
自分は世間知らずもいいところでした。
その人自身のパーソナリティは全く関係なく、
大きな意味での国際政治によって渡航出来る国が制限されてしまう。
そういう意味で、今回は自由に行きたいところへ旅行が出来るという
当たり前と思っていたことが、
実は当たり前ではなかったことを存分に思い知らされることとなりました。
さて、VISAを手に入れたその足で港へ向かうと、
カザフスタン行きの貨物船は今夜出発するようでした。
もともと不定期の便なので、この船を逃すとまたバクーに缶詰にされてしまうと、
急いで宿に戻って荷造りをし、ミカエルに別れを済ませました。
久々に自転車に跨り、港で出国手続きを行ったのですが、
またここで足止めとなるアクシデントが起こりました。
国境職員がカザフスタン行きの船には
カザフスタンVISAがないから出国を認めないと言うのです。
この間からVISAなし渡航が許可された、と言っても認めてもらえず、
たまたま持っていたカザフスタン外務省のウェブサイトのコピーを見せても、
「公式の文章じゃない」と一蹴。
それならばカザフスタンの国境に電話して確認してくれと言うと
「それは我々の仕事じゃない」と言うばかり。
じゃあどうしたらいいのですかと訪ねると、VISAを取ってこいと言うのです。
他の旅行者のカザフスタンVISAのページを僕に見せつけて、
「いいか、これがVISAだ。VISAのない者は出国を認めるわけにはいかない!」
と決め台詞のように言ってのけ、他の職員たちは大笑い。
VISAが必要なくなったのにVISAを取るという矛盾した難題を突き付けて
この職員たちはいったい何がしたいのだろう。
仮に今からVISAを申請したとしても恐らく
また一週間はこの街に閉じ込められることになる。
そんなことは本当に本当にまっぴら御免だと、結局、
職員と思われる人間一人一人を捕まえてはVISAなし渡航を説明し、
最後は呆れられるように出国が認められました。
それでも、手荷物検査場を抜けて船に向かうという時に、再び職員が現れ
「お前はVISAなしでいいけれど、自転車はVISAが必要だぞ」
とニヤついた顔で言ってきます。
こみ上げる激情のようなものを必死で抑え、
船に乗り込んで船室に荷物を運び入れると、
どうしようもない惨めな気持ちに襲われ涙が流れました。
たまたま運が悪かったと思いたいところですが、
走行中からVISA取得、出国まであまり相性のよくなかったこの国。
また次回訪れる機会があった時こそは、
"日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、
かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請したい"ところです。