中央アジアのドライブイン
ウズベキスタン南西部ホレズム地方は、タジキスタンのパミール高原に
源流を発するアムダリヤ川の水の恵みにより緑が映えるオアシス地帯です。
川からはいくつもの運河が張り巡らされ、コットン畑が広がっています。
緑の効果は気候にも如実に現れ、空気はいくらか湿度を纏い、気温も数℃下がり、
体感的には全く違う土地に来たかのようです。
かつての隊商たちも厳しい砂漠を乗り越え、オアシスに辿り着いた時、
こんな風に胸を撫で下ろしたのでしょうか。
アムダリヤ川の恵みのもと緑の広がるホレズム地方ですが、
もともとアムダリヤ川は流れが時代とともに変化する川でした。
現代以上に水が側になくては暮らしていけない時代です。
そのため、この土地に住む人々はアムダリヤ川の気まぐれに翻弄されるように
住処を変えなくてはいけない生活を強いられました。
ホレズム州では、川の流れとともに都を遷都した旧跡が多く出土されています。
ウズベキスタン初の世界遺産となったヒヴァもアムダリヤ川の河床の変化によって
隆盛を迎えた街で、17世紀にはこの地方の中心として栄えました。
イチャン・カラと呼ばれる城壁で囲まれた旧市街内に入ると、
タイルの装飾が素晴らしいミナレットがニョキニョキと背比べをしていて、
当時にタイムスリップしてしまったかのような錯覚をさせる雰囲気のある街でした。
僕自身、厳しい砂漠を越えてやって来ただけに感動もひとしお。
初めて訪れる中央アジアのオアシス都市に、心奪われるように夢中で歩き回りました。
このヒヴァについては次回取り上げたいテーマがあるので、
また来週ご紹介したいと思います。
さて、そんなヒヴァを離れると、道は再び砂漠へと突入します。
砂漠とはいっても本当に何もなかったウズベキスタン西部の砂漠に比べれば、
まだまだ人の気配はあり、建物だって点在しています。
そんな砂漠に現れる現代のオアシスといえばチャイハナ。
チャイハナとはお茶や軽食を出してくれる軽食堂のような場所です。
この辺りでは主にトラックドライバーを目当てに営業していますが、
人家同士が離れている周辺住民の集会所であったり、
バスの発着所であったり多くの役目を兼ねています。
ここで出されるお茶は緑茶がよく飲まれ、
軽食は羊の串焼きであるシャシリクや、ウイグル風うどんのラグマン、
炊き込みご飯のプロフなどが大抵どのチャイハナでも食べることが出来ます。
これらと一緒に平焼きパンのナンを食べるのですが、
この土地では保存食としても使われるナンは乾燥させれば2年ぐらいは持つのだそう。
だから、古くなったナンはチャイにつけて柔らかくしながら食べ、
また、油っこい中央アジアの食事で口やお腹をさっぱりさせるには熱々のチャイが一番。
なるほど、チャイハナで出されるチャイの果たす役目はなかなか理にかなったものでした。
チャイハナが果たす役目は、何もこれだけではありません。
食事を摂ったお客にはしばしば休憩する権利がついてきて、
ここでは睡眠をすることも認められます。
ヒヴァからの道のりはチャイハナはあれど、やはりホテルはなかったため、
ここで仮眠を取るトラックドライバーと一緒に僕も夜を過ごさせてもらいました。
飲食の場であり、社交場であり、休憩の場であるチャイハナ。
ここが多様な役割をこなすことが出来る秘密は、
どこのチャイハナに行っても見かけるこの台座にあります。
木で組まれた台座は軽く、持ち運びが自由なので、
時間とともに位置が変わる影の位置に合わせて移動することが出来、
風のそよぐ場所でのお昼寝にも最適です。
また、靴を脱ぐという開放感は適度なリラックス効果を生み、
会話の盛り上がりに弾みをつけるでしょう。
仮眠を取りたい時は、台座にあるテーブルを端に寄せて、
敷いてある絨毯を重ねれば即席のベッドに早変わり。
枕代わりのクッションは大抵どのチャイハナでも用意されています。
日本では食べたあとすぐに寝る、寝ながら食べるは
礼儀の良くないこととして見なされていますが、
こちらの様子を見ると、どうやらそれほど礼儀の悪いことではないようで、
チャイハナの主人にも、「日中は暑いからここで寝て行きない」と
勧められることもしばしばでした。
多用途に使えるという意味では、随分アジア的な考えだと思いますし、
日本的な感覚で言うと飲食店での「今日は奥の座敷、空いてる?」のような
ちょっとした上席がこの台座であるのです。
実際、人気のあるチャイハナではこの台座が
真っ先に埋まっていく様子をよく見かけました。
かつてのラクダを牽いた隊商のキャラバンに変わって、
現代ではトラックが商輸送の中心です。
苛烈な環境のこの地を走るトラックドライバーにとってチャイハナはまさしくオアシス。
アムダリヤ川に翻弄され、遷都を続けてきたこの土地のオアシスは、
姿形を変えて今もこの砂漠に存在していたのでした。