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民泊のすゝめ

2014年10月08日

かれこれもう1200日以上の夜を、日本ではないどこかで過ごしてきました。
土砂降りに降られ震えながら飛び込んだ暖炉の効いた別天地のようなホテル、
蚊帳の外は蚊の住処・ベッドの上は南京虫の巣窟という思い出しただけで痒みが疼く安宿、
あるいは満点の星空に抱かれて眠る文字通り夢心地の幕営地…。
当たり前かもしれませんが、寝床に困る、ということは一度もなく、
どんなところでも最後には体を休めることの出来る場所にありつけてきました。

今いる中央アジアは、旧ソ連の閉鎖的な体制が今だに残っているせいか、
宿の数が極端に少なかったり、値段が高かったりと宿探しが難しい地域。
ウズベキスタンではレギストラツィアという滞在登録許可を
出してくれる宿に泊まることが原則だったのですが、
宿がない地域が続き、また、観光地以外の宿では
宿泊拒否をされたりと何かと困ることが多くありました。
インターネット環境も僕の旅した中では世界で一番悪く、
例えば今どきのような宿をオンラインで予約して次の街へ向かう、
なんてスマートな旅は不可能です。

しかしながら、ここはかつてラクダを牽いたキャラバン隊が
西へ東へと往来していたシルクロードの路上です。
時代は変われど、ここに住む人々の旅人に対する寛容さは世界屈指。
人々も外国人に対してもオープンマインドで臆することなく接してきます。

だから宿がなければ、誰かの家に泊めてもらう、
なんてことも思いのほかあっさりと出来てしまうのです。
そんなこともあって、この中央アジアでも
なんだかんだと寝っぱぐれることなく毎日を過ごしています。

民泊は、その国の普段の素顔に触れることの出来る最大のチャンス。
ガイドブックの観光地案内には決して載っていない人々の暮らしを
直に体験できるのだから、機会に恵まれたのならば断る手はありません。

訪ねた先のママが腕によりをかけて作ってくれる炒めご飯のプロフは、
レストランで食べるそれとはまた違った味わいがあるし、
それこそレストランやホテルでは絶対に食べることの出来ないような
本当の庶民食を食べる機会もたくさんあります。

このところよく食べさせてもらっていたのがシルチャイという料理。
これはチャイにミルクと塩、バターを溶かし
そこにナンをちぎってたっぷりと浸して食べる、中央アジアのお茶漬けのようなものです。
日が経つと固くなって食べづらくなるナンも、
こうすれば食べやすくなるのだと暮らしのアイデアに感心しました。

寝床は、長座布団のようなマットを2~3枚重ねて敷布団に。
ベッドのスプリングが壊れていて、腰が地面についてしまうんじゃないか、
というこのあたりの宿より遥かに快適です。
暑くて寝苦しい夜は、家の軒先に布団を敷いて、
家族のみんなと川の字になって寝た夜もありました。
夜半過ぎに目を覚ますと星空が零れ落ちそうなほど煌めいていました。

ただ、"体験する"ということは決してポジティブなことばかりではありません。
泊めてもらった多くが水道のない家庭で、使える水は限られていました。
そんな貴重な水を客人の僕に対し、「シャワーを浴びなさい」と使わせてくれました。
シャワーといっても木組みの掘っ立て小屋に水のタンクを乗せただけの作りです。
夏の暑い今の時期ならまだしも、冬の間彼らはどう体を洗うのでしょう。
想像しただけで厳しい冬が待ち受けていることは明白です。
トイレの紙も、使い終えたノートの切れ端であったり、
人々の衛生環境は決して良いものではありませんでした。

そんなインフラの行き届いていない地域でも、電気だけは大抵通っています。
地下資源に乏しいタジキスタンなどでは、
ガスや石油を買うよりも安くて手っ取り早いからなのでしょう。
暮らしの明かりはもちろんのこと、ナンを焼くオーブンや
湯を沸かすコンロまで電気式のものをよく見かけました。
恒常的に電力の安定しない地域で電気に頼るということは、諸刃の剣でもあります。
度々起こる停電の最中は、日常の多くのことが制限されてしまいます。

けれどそんな環境でも逞しく育つ子供たちの姿には心打たれるものがありました。
家の女の子の、せっせてきぱきとお母さんの手伝いをこなして、
夕食の準備や配膳をする姿に感心してしまうし、
男の子は男の子で、何か手伝わなくては…とキョロキョロする僕に
「まぁまぁ座ってチャイでも飲みなよ。お母さーん、チャイ沸かして!」
とお父さん顔負けのもてなしをしてくる様子にはクスリと笑ってしまいました。

でも、こうやってこれまでも親から子へ見よう見まねで
男女の役割が受け継がれてきたのでしょう。
あらゆる物事が地域社会だけが完結しづらくなってきた世の中です。
こんな姿を覗けるチャンスはこれから少なくなっていくのかもしません。
そういう意味でも民泊は見えづらくなってきた
その土地の"普通"を垣間見れる良い機会なのだと思います。

見知らぬ誰かの家に泊まる、ということは少なからず不安も付きまとうものでしょう。
言葉の問題や、安全面のこと…、考え出せばキリがありません。
けれど、それを理由にせっかくのチャンスを逃してしまうのはもったいないと思います。
言葉はおはようやおやすみなさいといった簡単な挨拶と
美味しいの現地語を覚えておけば十分です。
かくいう自分もこの辺りでは何かにつけて
『ハラショー!ハラショー!(良い、の意味)』を連発しています。
それだけで不思議とコミュニケーションは成立するし、
後の言葉は家の人に身振り手振りで教えてもらえばいいのです。

安全面に関しても、必要以上に電子機器を広げすぎない、
奥さんや子供のいる家庭を訪ねるといった簡単なことを守っていれば、
余程のことがない限り危険にさらされることはないと思います。

だから、これを読んでくださっている皆さんも旅先で
道を尋ねた誰かや食堂で知り合ったお客さんに招かれる機会があったら
思い切って訪ねてみてはいかがでしょうか。
きっとそこでは高級ホテルや名だたる観光地では知り得ない素顔の人々に
出会うことが出来るでしょう。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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