自転車乗りのシルクロード
僕のように衣食住一式を詰め込んだカバンを自転車にくくりつけ、
世界中を走り回る人たちを通称"チャリダー"と呼びます。
サイクリストではなくチャリダー。
これはもちろん、自転車の俗称"チャリ"に由来する日本語なのですが、
自動車や飛行機では感じきれないスロウな速度感で
世界を旅する自転車乗りには、
チャリダーという少し間の抜けた響きの肩書が
ぴったりでないかと思っています。
夏の中央アジアでは、それはもうとにかくたくさんのチャリダーに出会いました。
ドイツやフランス出身の世界中で最もよく出会う国のチャリダーたちもいれば、
ボスニアや南アフリカといった今まで出会ったことのない国の人々も。
もちろん日本を始め、中国、韓国の我らがアジア勢も忘れてはいけません。
それに女性のチャリダーだって少なくありません。
どうやってそんなにたくさんのチャリダーと出会っているの?
と思う方もいるかもしれません。
中央アジアを走る、といってもそれは広大な大地を
縦横無尽に駆け巡るというわけではなく、
広々とした土地にたった一本しかない国道に沿って走るのが常であるから、
僕らは案外よく道端でばったり出会うことが多いのです。
見つけ合うと、どちらともなくお互いに歩み寄って、握手と一緒に簡単な自己紹介。
そして、これまでの道はどうだったとか、
この先はどこに水場があるのかといった即席の情報交換会が開かれます。
そんなやり取りの後に、お互いの連絡先を交換して互いの旅の無事を願いつつ、
別れる、というのがよくあるチャリダーとの出会いの形なのですが、
ここ中央アジアでは、それに加えて、
「パミールはどうだった?」の言葉が差し込まれます。
長いようで短い中央アジアの夏を求めて、毎年チャリダーが世界中から集まります。
僕たちのキーワードは"パミール高原"。
チャリダーにとって、この世界の屋根を走ることが
この地域における最大のハイライトなのです。
僕のようにカスピ海を越えてきた者、
あるいはラマダーン中の灼熱のイランを走り抜けてきた者、
中国・タクラマカンの砂塵に揉まれながら西進してきた者など、
パミールへと至るルートは各人様々であっても、
この場所で一本の道に集約されるといっても過言ではありません。
言ってみれば僕らは渡り鳥のように、
旬の短いパミールの夏を求めてここに集い、交錯するのです。
だから東からやってきたチャリダーに会えば、
必ず「パミールはどうだった?」と尋ねるのが、
この辺りでの挨拶の決まり文句になっているのです。
ところが、パミールを走り抜けてきたチャリダーからは
思いがけない返事を毎度のように聞かされるではないですか。
「道が悪すぎてほとんど乗れない区間がある。」
「高地はもう雪が降っていたぞ。」
「最高点の峠は空気が薄すぎて5㎞を走るのに2時間もかかるんだ。」
と、何やらチャリダーの聖地には似つかわしくない話が次から次へと出て来ます。
でも、これを真に受けてはいけません。
彼らの話は大方真実ではありますが、
"便利"が地球を覆い尽くしている今の時代に
敢えて汗水を垂らして旅している人たちです。
そんな状況に置かれた自分を、楽しむ術を彼らは知っています。
だから、文句を垂れながらもパミール走り切った彼らの表情はどこか満足感に溢れていて、
パミールに悪態を口元だって少しニヤついているのです。
話を聞く側だった僕も、『うわぁ、大変なんだね
』と相槌を打ちつつ、
心ではやっぱりそんなパミールへの期待感でいっぱいでした。
そう、自転車を捨てたくなるような悪路も、凍てつくような朝晩の寒さも、
ビスケットとナンしか食べ物がないような状況だって、
チャリダーにとっては"最高!!"なのです。
チャリダー同士の会話はお互いにマゾヒスティックな前置きを
暗黙の了解として成り立っているといっても過言ではないでしょう。
だから、もしあなたが旅先のどこかでチャリダーに出会ったら、
間違っても「すごい荷物の量ですね」とか
「こんな暑い中よく走れますね」なんて言ってはいけません。
それはチャリダーにとって極上の褒め言葉なのですから!
嬉々とした表情で1時間2時間と、
チャリダーよもやま話に付き合わされることになってしまいますよ。
さて、ここで話に水を注すようですが、チャリダーが集結するパミール高原にあって
ここが世界で無二の独特の風景を持っているかといえば、
必ずしもそうではないと思います。
もちろん美しい景色にしばし呆け、ここで暮らす人々に心打たれるものがあることは
これまでの記事でもお伝えしてきたつもりです。
でも、ここにチャリダーが集う理由は他にもあると僕は思うのです。
この近辺でチャリダーに有名な他のルートとして、
同じ世界の屋根と呼ばれるチベット高原を走って、
チベットのラサ、そしてネパールのカトマンドゥへと抜ける道が存在していました。
また、中国・インド・パキスタンの国境未確定地域カシミールを貫く
カラコルムハイウェイという選択肢もありました。
過去形で書いたのには理由があって、
これらの道は決して消失してしまったわけではなく、
今もパミールからそう遠くない数百㎞圏内に位置しています。
けれど、今日の国際情勢や国内政治、治安といった要因が
この地域を完走させることを不可能としています。
それにパキスタンを走っていたチャリダーが
テロリストに殺害されたという物騒な話も耳にしました。
つまり穿った見方をすれば、ユーラシアを横断するにあたって、
まともに走れるような状況にあるのは
パミールしか道が今や残されていないという一面もあるのではないか、と思います。
どんな苦労も厭わず世界を自在に駆けるチャリダーにとって、
最大の障害となるのは動物や暴漢、大自然でもなく、こうした情勢の変化なのです。
だからパミールにチャリダーが集結する現状を手放しで喜べるものでありません。
(誤解のないように書いておくとVISAや許可証を取得し、
バスなどの交通機関を使えば、問題なく旅の出来る地域です。)
ただ、元々、このパミールだって一昔前は訪問することが困難な幻の土地でした。
それがアフガニスタンのタリバーン政権の崩壊によって、
国境沿いの緊張がいくらか緩み、ロシア軍が撤退したことで、
現在のように許可証さえ取得してしまえば
旅行者も訪ねることが出来る地域になったのです。
だから今の状況を悲観することなく、
今は今走れる道を精一杯走りたいと思っています。
道は生き物です。
シルクロードも中央アジアを横断する陸路の道から、
海路の発見によってインド、東南アジアを経由した
海のシルクロードに変遷していったように
時代が変われば道も変わってゆくのです。
いつの日かパミールハイウェイからカラコルムハイウェイへ、
そしてチベット高原を走破してカトマンドゥへ。
世界の屋根を大横断するチャリダーにとっての
夢のルートを走れる日を心待ちにしながら、
今はこの地に轍を刻んでいきたいと思っています。
パミール走行も終盤戦、ようやく件の「5km走るのに2時間かかる」
という峠道に差し掛かりました。
なるほど、この辺りはゴロゴロした岩が剥き出しで道も悪く、
空気も薄くて確かに大変な道です。
一歩、二歩と自転車を押しては、天を仰いで懸命に息を吸う。
また一歩進むと整えたはずの呼吸がすぐに乱れる。
そんな道をよく見れば、ここを通ったチャリダーのタイヤの轍があるではないですか。
どこの誰のものかは分からない、もしかしたら今まで会った誰かの轍かも、
実際のところは分かりませんが、そんな轍に随分と励まされたことも真実です。
やっとの思いで峠を越え、急激な坂を降りきったところで、テントが一張見えました。
車なんてほとんど通らない場所だからコソコソ隠れてキャンプ、
なんて必要はないのでしょう。
羨ましいぐらい素敵な場所にテントを張っていました。
『やあ、ここにキャンプするんだね?』
「あぁそうだよ。明日の峠越えに備えてね。
ところで頂上まではどのくらいかかった?」
『うーん、最後の5㎞は2時間は見たほうがいいんじゃないかな。
道が悪いし、空気も薄いから。』
「そうか、ありがとう。大変そうだねぇ。」
傍から見たら、ただの情報交換にしか見えないことでしょう。
けれどこんな会話のなかで、僕らの口元はたまらずニヤついていたのでした。