各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

自由の入り口

2014年11月05日

すぐに状況は理解できて、あぁやられたというかんじでした。

その日は3200mの峠を越えて、夕暮れに盆地にある小さな集落に到着しました。
そこには場違いなほどきれいなガソリンスタンドが一軒あって、
翌日も再び峠越えを控えていた僕は、
併設のショップにビスケットとチョコレートを買いに立ち寄りました。
目的の品をすぐに手に取りレジへ。
レジは2つあったのですが、店員は一人だけ。
けれど両方のレジにお客が雪崩れ込んで各自勝手な注文を四方からするものだから、
店員も対応に終われ、てんやわんやです。

アゼルバイジャンあたりから、人々の"並ぶ"行為をほとんどしません。
誰かが先にいたとしても、そんなことはお構いなし。
ランチタイムのファストフード店に行った時などはまさに地獄絵図でした。
我先にと追い抜き追い越しの嵐。
たとえ後からやってきたお客と目が合ったとしても、
そんなものお構いなしに平気で追い越してくる。
だからこちらも肚を決めて、あらゆる人を蹴落とす覚悟で注文をしないと、
ハンバーガーにはありつけないのです。

そんな"並ばない"文化が依然として存在する中央アジアなのですが、
こればかりは全く馴染むことが出来ずに、
この時も内心はかなりイライラしながら自分の番を待っていたのですが、
結局僕が会計を済ますことができたのは嵐が過ぎ去った後です。

そして取り出していた財布をしまおうとした時に、
カバンの中のいつもの場所にスマートフォンがないことに気が付きました。
入店する前に時間を確認するため、スマフォを取り出していたので
すぐに自転車のあたりも見てみましたが見当たらず、
あぁ、これは人混みに紛れて盗まれたのだなとすぐに悟りました。

こんな田舎で盗まれるとは思っていなかった。
そう思ったのですが、ここは田舎にあって外の世界との橋渡し役となるガソリンスタンド。
地元の人以外が多数利用することは当たり前のところなのでした。
すぐに近くの人が僕の携帯電話に電話をかけてくれましたが、
もう既に電源は切られているという手際の早さ。
5分にも満たない短い時間で
僕のスマフォは手の届かないところへいってしまい、
恐らく今頃高笑いが止まらないであろう犯人を恨めしく思う他にありませんでした。

とはいえ、覆水盆に返らず。
盗られたものにいつまでも執着していては仕方がないので、
無くなったら無くなったで旅を進めるしかないのです。
この辺りの気持ちの切り替えは、長い旅の間でだいぶ培われていたようです。

ただ、いざ走り出してみると
僕の旅はいつの間にかスマフォに大きく依存していたことを思い知らされるものでした。

走行中の通信環境がないようなところでも、
詳細な地図や標高を確認し、現在地を割り出す。
この先の街までの正確な距離や宿があるかどうかだって分かってしまうのです。
退屈な道では音楽を流したり、写真を撮って気を紛らわす。
普段、時計をしない僕は時計代わりにもスマフォを使っています。
現地語の辞書もすっかりスマフォに頼りっぱなしでした。

"自分の力で世界を走る"そんな風になりたくて自転車に乗っているのに
スマフォを無くした途端に、旅の舵取りに大きく影響を及ぼしてしまうなんて。
昔の旅人がこの状況を見たらきっと片腹痛いことでしょう。

ここ数年の間に旅行を取り巻く環境は、急流の如く凄まじい早さで変化をしています。
インターネットで、行き先の情報を調べ、航空券やホテルを予約するといったことは、
もう当たり前の旅行の手段となっていますが、今ではソーシャルネットサイトを通じて、
リアルタイムで旅先の様子を日本に伝えることすら可能となっています。
かくいう当ブログも各国の携帯電話回線から更新しています。

それらの受け皿となっているのが最近ではもっぱらスマートフォン。
世界中どの都市でも目貫通りには、
食堂よりも多いのではないかという数で携帯電話屋が溢れかえり、
スマフォは今や世界を席巻しています。
そしてスマフォの普及は、加速度的に旅の仕方を変えていった感があります。

8年前に旅したアメリカ旅行では、
約2ヶ月の間でインターネットに触れる機会は3度、4度。
そこで調べた情報を一生懸命メモに書き写したり、
わざわざプリントアウトしたりしていました。
持ち歩いていた分厚いガイドブックのページを、
観光地を過ぎる度に日めくりカレンダーのようにちぎり捨て、
少しでも軽量化に努めていたことも懐かしく思い出されますが、
そんなガイドブックすら現在では電子書籍化が進んでいて
スマフォの中に収まってしまっています。

おかげで身軽に海外を旅するための環境は昔に比べると遥かに進んでいて、
スマフォとパスポート、クレジットカードさえあれば
気軽に世界中を旅することが出来る、
そんな時代がもうやってきています。
ただ、スマフォの高機能化と流行が海外旅行への敷居を低く、
外に出かけてみようというきっかけになっている反面、
それと同時に、いつのまにか効率化を追い求めるスタイルに
すり替わってしまった面もあると思います。

道に迷うことを恐れ、一分一秒のロスすら許されない。
それなのに街の作りすら覚えようとせず、ダウンロードした地図頼み。
泊まる宿も夕食を採るレストランも街一番の有名店で。
スマフォに集約されるあらゆる情報がBestな選択肢を導き出してくれる一方で
いつのまにかBetterな選択肢すら許されなくなってきた感もあります。

そんなスマフォに頼り切りの自分に薄々気付いていたとしても、
便利の波に人はやはり流されやすく、
そこから一歩距離を置くことはなかなか難しいものです。
そういう意味では、今回の盗難は良い意味での強制力が発動され、
昔ながらの旅の仕方や
旅を演出する電子機器との距離の置き方を振り返るきっかけにもなりました。

スマフォなしで走った峠道は、どのくらい上りが続くか分かりませんでしたが、
目を凝らして山の連なりと道路の延び方を見ると、
だいたいどの辺りが頂上なのかは予想が出来ました。
天気予報をチェックすることも出来なかったので頂上では雪に降られましたが、
それだって防寒具と雨具を着て走ればどうってことない問題です。

峠を下った先の名前も分からない街。
そこに宿はなかったけれど、さんざん彷徨って
どうにかイスラム教のモスクに泊めてもらえることが出来ました。
道に迷った時、僕の話すロシア語が相当でたらめだったとしても
キーワードさえ間違えなければ案外意思の疎通は出来るのです。

そうだ、スマフォに頼らなくたって旅は出来るんじゃないか。
それは効率よく、要領のいい旅とは言えないのかもしれませんが、
旅の瞬間に無駄なんて一つもないのだから、
失敗や間違いだって旅の血肉として自分に還元される。
むしろそういう旅の方が "旅"からの学びはあると思います。

考えてみれば、自転車だってそう。
今ではスマフォが世界の隅々まで行き届いてるように、
人の手が入っていない場所は、この地球にはもう存在せず、
そこに効率さや快適を求めて行ったら際限がありません。
だから、そこに対する自分なりの立ち位置を明確にする必要があるのだと思います。
地球を"人力"で"一本の轍"で繋ぐ。
自転車で旅をすることは便利や効率とは縁遠いものですが、
必ずしもそれが人を幸せにするかと言えば違うわけで、
僕は自転車という乗り物が線引してくれる現代社会との自分なりの立ち位置に
納得をして旅をしているつもりです。

例え行き届いた世界だとしても自分でルールや縛りをつければ、
まだまだこの地球は僕らの抱いた好奇心に対して
大きすぎる程の見返りを与えてくれる星なのですから。

自由を謳歌するコツは不自由をあるものとして受け入れて、その状況を楽しむこと。
不自由こそが、実は自由への入り口なのかもしれません。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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