各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

食の記憶

2014年11月19日

キルギスの首都ビシュケクは、殺風景なコンクリートマンションが
碁盤状の通りに立ち並ぶ、いかにもソビエト風の街並みです。
中秋の街道沿いの街路樹は葉が落ちて、益々さみしげな雰囲気。

この街自体に何か特別な見所があるわけではないのですが、
よく晴れた日には、僕が越えてきた天山山脈の眺めが素晴らしく、
それだけでここに滞在する理由があるように思えました。

また、ここはキルギスの首都だけあって
贅沢を言わなければ必要なものは街やバザールに行けば全て揃い、
それにシルクロードに位置する街らしく各国料理が手軽に食べられることも
この街が気に入った理由の一つでした。

この街で見つけたグルジア料理は本国のそれと同じくらい美味しく、
久しぶりの豚肉に舌鼓を打ちました。
グルジア料理はロシア圏では、僕らの国でいう中華料理のようなもので
絶対に外れのない料理としてあるそうです。

もちろん中華料理も中国が近いだけあって街には何件もあって、
ある一軒のお店では顔馴染みになるほどに通いつめました。

中国系ムスリムであるドゥンガン族の料理を出すお店のラグマンは
焼きうどんのようでこれまた美味!
お好み焼きのようなブリゾールも大いに気に入りました。

旧ソ連圏とあってロシア料理もしっかりあって、
定番だけれどボルシチやビーフストロガノフを楽しんだのでした。

他にも日本料理も韓国料理ももちろんあり、
ヨーロピアンスタイルのカフェだってあります。
それに地元キルギス料理だって各国料理に負けないぐらいの美味しさです。

毎日、今日はどの国の料理を食べようかと
あれこれ思案出来ることがどんなに幸せなことか。
各国料理を食べ比べて、その繋がりを
自分なりに考えてみることも自転車旅の振り返りのようで面白いです。

例えば、ロシア料理には小麦粉と卵で作った薄皮で
挽き肉の餡を包んだペリメニという料理がありますが、
中央アジアではチュチュワラという料理になり、
中国ではお馴染みワンタンに変わっていきます。

グルジアのヒンカリも中央アジアではマンティと呼ばれ定番料理になっていて、
中国では小籠包が確固たる立ち位置で存在しています。

ラグマンなど、中央アジアでは共通して見られる料理も
スープベースのもの、スープなしで具をかけたもの、醤油で焼いたものなど
土地ごとに様々なバリエーションがあるのです。

こんなにも多くの種類の食事が1か所で楽しめる場所ってこれまであっただろうか。
もしかして東西の食のシルクロードの交差点はここじゃないか、
そんな風にさえ思いました。

こうやって旅で訪れた国の味の記憶を辿りながらメシを食うことは本当に楽しい。
少し言葉を砕きましたが、僕が食べてきたものはその国の大衆食ばかりです。
だからここでは何となくメシという表現がしっくりくると気がしますし、
それにメシをエネルギーにしてここまで走ってきたのだから、
食べるという表現より、食うという言い回しがピッタリだと思っています。

ある日のランチには、ウズベキスタン風プロフを出すお店に行きました。

プロフとは油で炒めた具材を主に羊肉の出汁汁で炊き上げた米料理で、
中央アジアでも地域によってはポロなどと名前が変わり、
かくいう僕らにも馴染みのあるインドのピラフもここから伝わったと言われています。

青の模様の美しいウズベキスタンのお皿で出されたプロフは、
あの国で食べていたプロフよりも遥かに洗練された味でしたが、
そこに散りばめられたエッセンス 
――歯ごたえよく炊かれたお米によく染み込んだ羊の香り、
ひたひたになるくらい柔らかなニンジン、優しいレーズンの甘酸っぱさ――
は、ウズベキスタンで過ごした情景を思い出させる味でした。

どこまでも続く無窮の地平線と燃えるように昇る朝日。
カラカラになって到着した村で僕を招き入れてくれた家族。
ママと娘が大鍋にこしらえてくれた、とっておきご馳走プロフを
大皿に盛ってみんなでそのお皿を囲んだ晩餐。
ご飯の上に乗った骨付きの羊肉を『これも食べなさい』と勧めてくれたお父さん。
そして食後に出されるスイカの豊潤で瑞々しい甘さ。

味を辿っていくとこんなにもたくさんの記憶が次々と、
強烈にフラッシュバックしてきました。
プロフを味わいながら、そんな過去の旅を反芻していると、
どういうわけか涙が浮かんでくるのでした。

旅に出て、世界各国色々な料理を食べ歩いてきました。
現地で食べられているものには、その土地に適った理由があって、
どれも美味しく食べることができ、旨かったものはここには挙げきれません。

けれど、ウマかったものと言うと実は限られてくると思います。
"ウマかったもの"これを説明すると、
今回のプロフのように、その瞬間の記憶や空気が刻み込まれたものです。
それは食うという行為は単に味覚だけじゃなく、
五感を使って体に刻んでいく行為が食うということだからです。

屋台のモウモウと立ち上る煙の匂いにつられ、
豪快に切り出された串焼き肉は見た目にも食欲をそそる。
金網からこぼれ落ちた油が炭火に垂れるジュワッとした音に味の想像を深める。
拙い現地の言葉で注文する店のおじさんとのやり取りから、
料理待ちの間、物珍しさで話しかけてくる現地人との会話も含めて
その一皿にありつくまでの過程がすべて食うことなのです。

だから僕にとってのウマかった一皿とは、
吹雪にまみれたペルーの山中に現れた寒村で
震えながら食べたトゥルーチャ(鱒)のソテーの熱そのものを食べる感覚や、
寒風が吹きすさぶアルゼンチン国境で国境職員が
僕を事務所に招いてくれて、一緒に回し飲みをしたマテ茶のほろ苦さ、など、
そういうものなのです。

そんな状況を演出するにあたって、自転車は案外都合がいいと思います。
ただでさえ、いつもペコペコにお腹を空かしているのだから、
基本的には何でも美味しく感じることができるし、
例え大雨にうたれたり、退屈な一本道がひたすら続いたとしても、
一日を締めくくる寝床が見つかって、食堂で現地メシをかきこめば、
もうそれだけで一日が幸せに感じるのだから、単純なものです。

でもそうやって全身でウマさを感じていたから、
あの時の味を口にした瞬間に、そこに広がる景色や人々の顔、
その時の自分の気持ちが鮮明に思い出されるのだと思います。

中央アジアも残り僅か。
この先カザフスタンをかすめるように走った先は、いよいよ中国です。
かの食の大国には、いったいどんな記憶に残る一皿が待ち受けているのでしょうか。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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