各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

知ってるようで知らない中国

2014年11月26日

ビシュケクはキルギスの北端に位置していて、
一時間も走ればカザフスタンとの国境に到着します。
世界で9番目の面積を持つこの大きな国は、
僕にとって中央アジアの始まりの国であり、終わりの国でもありました。

ただ、突き刺すような暑さのあの時とは違って、今では寒風が吹き付け、
初夏の時期にはさぞかし緑が映えたのであろう
ステップ地帯はすっかり枯草色に変わっています。

追い打ちをかけるようにかつての首都アルマティでは雪に降られ、
いよいよ完全に冬に追い付かれてしまったようです。

そして数日間、雪解けを待って350km先の中国との国境へとやって来ました。

ここで大きく驚いたのは、数km向こうの、
地図には小さな印でしか記されていない中国側の街にビルが何棟も見えたことでした。
カザフスタン側の街も、中央アジアという括りで見れば随分と栄えていたのですが、
遠目から見ても中国側のそれは桁違いに映ります。

閑散とした出国ゲートで手続きを済ましていると、
背の高い柵で仕切られた反対側のカザフスタン入国ゲートの方からは、
中国語のけたたましい声がそこら中から響いていました。
いよいよ中国が始まるのです。

国境は全長7kmに及ぶ緩衝帯で区切られていて、
50mおきに監視カメラが設置され、つまり合計すると
140台以上の監視カメラの出迎えを受けながら中国側国境に到着しました。
カザフ人よりも一層僕達と似た顔つきの警備や国境職員が
「你是哪里的人呀?(何人ですか?)」と尋ねてきますが、
生憎中国語の持ち合わせはほとんどありません。
『我是日本人』と答えても、発音が難しく全く伝わらず、
『ヤポー二ア、ヤポンスキー』だとロシア語で言っても当然伝わりません。

まるで空港のように大仰な国境で入国手続きを済ませ建物の外へ出ようとすると、
両替商の手が僕めがけて無数に伸びていて、一見するとそれは魑魅魍魎の世界。
覚悟を決めてそこへ飛び込むと、待ってましたとばかりに彼らは瞬時に僕を取り囲み、
その中の一人が強引に僕のお金をむしり取ります。
レートはあまり良くなかったのですが、彼は握りしめた僕のお金を返そうとしないので、
仕方なく彼の示した額で手を打ちました。

荒波が去り、ようやく気持ちを落ち着けて街の中心部へと走りだすと、
男性だけでなく、女性までもが勢いのいい音を立てて痰を吐いている様子を見かけました。
僕が、中国語が分からないとなると、
声を荒らげて出てけ! と怒鳴りつけるお店のおばさん。
食堂の暖簾の餃子や炒飯といった見慣れた漢字や、寒空の下の焼き芋屋台の甘い匂い。
こんな中国の果てといえどもここはthat's中国でした。
僕もここでは中国人の一人と思われているのか、
こんな大荷物の自転車で走っていてもまるで誰も興味を示しません。
つい30分前までいた世界は幻だったのだろうか、
自分が今、中国にいるという事実を飲み込めない倒錯感に
思わず一人で苦笑してしまいました。

これほどまでに文化や価値観の変化する国境ってあったでしょうか?
すぐに思い出せるのは、アメリカからメキシコに渡った時のことですが、
あそこでさえ、国境付近では既にメキシコの空気感が漏れだしていて、
アメリカ側にもメキシカンのお店や食堂を数多く見かけ、
国境は両国の人間が頻繁に出入りしていました。

ところがここではこれまでの世界観が
山や川といった地理的要因もなくぶった切られ、突如として中華世界が始まるわけです。
この変化をカルチャーショックと言わずしてなんと言えばいいのでしょう。

宿の相場も分からなかったので、大通りに適当な宿を取って街を歩いてみることに。
よく見ると、林立するマンションやビルは真新しく、
ほとんど人が住んでいるようには見えません。
こうやって先に箱を用意することで漢族の移住を進めているのでしょうか。

それにしても中国の街並みはハリボテのような作りもの感が満載で、
それでいてお世辞にもセンスがいいとは言えないネオンが灯って
まるで情緒が感じられません。

ところで、今日は中国初日。
ということで本場の中華料理を楽しみに朝も昼も抜いてきたのでお腹はペコペコです。
絶対に一食目は外せない、そう思ってあれこれ食堂街を覗いて渾身の一皿目を探しました。そしてこれだ!と『麻辣肉拌麺』をオーダーしました。
ところが出てきたものを見てビックリ。
肉拌麺は、中央アジアでもよく食べていたラグマンだったのです。

思わぬ肩透かしを食らった感はあるものの、
よくよく考えてみればここは中国の西外れの新疆ウイグル自治区です。
僕らのイメージする麻婆豆腐や水餃子のような中華料理は東の地域の料理であって、
中央アジア諸民族と出自を同じくするテュルク系民族のウイグル人が
多く住むこの地域でラグマンが食べられていることは至極当たり前なのでした。
よく見るとお店のおばさんもウイグル系のような顔立ちであったし、
街の一角にはバザールもあり、
そこでは明らかに中国語ではない呼び込みの掛け声が響いていました。
また、見た目は漢族でもイスラム帽を被った回族の姿も見かけます。

初見の圧倒するようなビル群や典型的な中国人の振る舞いに、
あぁここは中国だと意識させられながらも、視線を落としてみれば
現在の中国が成立する以前から存在していた人々の世界もちゃんと残っているのでした。

8年前に北京を2日間だけ訪れたことがありました。
たった2日間ではあるけれど、場末のうらぶれた食堂の青菜炒めのウマさに感動し、
王府井通りでは黒山の人だかりに揉まれ、
視界の陰る大気の汚さに閉口した覚えがあります。
だから、再び中国にやってくるにあたって、
どこかこの国を知った気になっていたのかもしれません。

当たり前なことですが、中国は広大で、
それにあれから時間も経ち物事は常に変化しています。
一括りに『中国は○○だから』と知った口を利けるわけがありません。
聞いたことだけで物事を語ってもいけないし、記憶だけで語ってもいけない。
実際に行ってみないと分からないから、そこに行く価値があるのです。
頭に刷り込まれた凝り固まった固定観念を、
これでもかと打ちのめしてくれるからやっぱり旅は痛快なのです。

知っているようでまるで知らない中国。
面白そうな国が始まりました。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

最新の記事一覧

カテゴリー一覧