各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

旅道具の相馬眼

2014年12月03日

中央アジアを抜けて以来、張り詰めていた糸がプツリと切れたように、
大事な旅の道具たちが次々と壊れ出しました。
元々調子の悪かったカメラが本格的に動かなくなり、自転車カバンがバックリと裂け、
とあるキャンプの朝にはフロントの荷台が折れていることに気づきました。

着の身着のままのウェアはところどころ穴が空いて、
毎晩の裁縫が日課のようになっていましたが、生地自体が弱っていて限界も近そうです。

2011年の出発時から使っているものもあり、経年劣化が進んでいたことと、
止めを刺すように中央アジアで過ごした3ヶ月間は
60℃近い気温差の苛烈な環境下だったのだから無理もありません。
それに、「中国までくれば後は何とでもなるだろう?」
そんな風に道具たちが言っているようにも聞こえ、
中国に入るまでは最後の力で耐え忍んでくれていたのかもしれません。

また、宿で部屋に自転車を持ち込めず、
受付の前に自転車を置かざるを得ないようなところでは、
ミラーやライトといった小物が夜の間に盗まれてしまうこともありました。

そのため、中国に入って最初の大都市である新疆地区の区都ウルムチでは、
着いて早々、修理工場や自転車屋探しに東奔西走し旅の体裁を整えることとなりました。

旅において、それまで使っていたものが使えなくなる、
無くなるということは大変なストレスを孕むものです。
何しろ同じものが手に入る可能性も低く、
もし見つけたとしても余計な出費が懐を痛めます。
旅にもリズムというものがあって、いったん調子が崩れると今回のように
立て続けに重なることも多く、立て直すにも時間がかかってしまいます。

ただしかし、何もネガティヴなことばかりではないことだと
僕は付け足しておきたいと思います。
なぜなら、ものが使えなくなる、無くなるということは、
果たしてそれが必要なものだったのかどうか、
改めて検討するきっかけになると思うからです。

バックパックや自転車カバンといった限られたスペースと重量の制限の中で、
あれやこれやと家で使うようないつもの生活用品を詰め込んでいったら
あっという間にカバンはパンパンに膨れ上がってしまうことでしょう。
だから、本当に必要なものは何か、残すべきものは何かを
吟味するという意味で、こうした状況は憂うべき側面だけではないのです。

使えなくなった環境で数日生活してみて、もしかすると
「あ、なくても平気だったんだ」
と思いがけず気付くこともあるでしょうし、
「やっぱりあれがないとどうしてもダメだ」
そう思ったのなら、同じものではないとしても代替品を見つければいいのです。

あれもこれもという発想で最初から荷造りをしてしまうと
全て持っていかなくては!という錯覚に陥ってしまうことも多々あると思います。
でも、どれを持っていくべきか迷った時は、一呼吸置いて考えてみましょう。
「便利」の対義語は決して、「不便」ではありません。
「便利ではない」それだけのことなのだから、
無いということが、すぐさま不便不満に繋がるわけではないと思います。
だから、旅を身軽にするパッキングのコツは「あったらいいは、なくてもいい」なのです。

さて、このような発想で僕も荷物の断捨離を実行し、
その中でこの先も不可欠な荷台の溶接とカメラの修理、
自転車グローブの買い替えはこの街ですることにして、
その他の壊れたりしたものは思い切って持っていかないことにしました。

溶接工場はすぐに見つかりました。
前日、街に到着した時に、
それらしい町工場の並ぶ通りにアタリをつけて宿を取っていたので、
僅か5分で溶接が完了しました。
カメラの修理も携帯電話ショップがひしめく電気屋街の一角で
やってもらうことが出来ました。

ところで、今や世界第2位のGDPを誇る中国ですが、
個人レベルで見ればその規模はまだまだ小さく、
カザフスタンやマレーシアといった中進国よりも下回ります。
体感的に言えば、途上国ほど修理屋が多い傾向がありますが、
こうした観点で見ると中国も車を中心に修理や部品屋が目立ちます。
質の良い製品の流通が限られ、
新しいものを買うための金銭的余裕が無いことが大きな理由と思われます。
しかし彼らは修理の技術に長けていて、一見すると、
精密機械を預けるには、はばかられるような薄暗い店構えだったとしても
きっちり仕事をこなしてくれます。
揃う工具も限られている中で、見事に修理修繕をしてくれる彼らに、
僕はいつも『はぁぁ~』と間の抜けた声を出すばかり。

日本にいた頃の感覚で言えば、修理というものは即日で出来るものではない、
いったん専門のところに送らなくては原因も、かかる費用も分からない、
とにかく手間のかかるものというイメージでした。
作る・売るの徹底的な分業体制がそうさせているのですが、
そのため売り手も買い手も、ものの根本的な構造や仕組みを
よく分からないまま使うという状況に陥りがちです。
そして果てには直すよりも新しいものを買った方が安く、
機能も優れていることも多いため壊れたら、
新しいものを買えばいいや、という行動に誘導されがちです。
たしかに新製品が機能に優れていることは分かるけれど、
ただ果たしてその機能を必要として、使いこなせているのでしょうか。
より良いものと言われるものに変えていった結果、手に余るものになって、
いつの間にか道具に振り回されている状況に陥ってしまっていないでしょうか。
旅先の各地で、一つのものを直しては大切に使い続ける彼らを見かける度に
ドキリとさせられます。

ここで、旅において理想の道具とは一体何なのか考えてみたいと思います。
パンクのしないタイヤ、一絞りで乾いてしまう下着、
500m先も鮮明に映し出すカメラ、
あるいは十徳ナイフ以上に三十も四十も多くの機能を一つに備えたナイフ…
想像を巡らせてみると、尽きないほどです。

ただ、例えばパンクのしないタイヤがあったとしても、
その耐久性を得るために重く機動力に欠けるものになってしまったり、
カメラにしてもその望遠性能のために巨大になってしまい、
肝心なシャッターチャンスにカメラを出すことがはばかられるようでは、
意味がありません。
多機能ナイフもそこに収められている機能が使わない機能だらけだったとしたら、
それにどれほどの価値があるのでしょうか。

何が言いたいかというと、理想的な道具があったとしても、
実際は現実とのトレードオフ関係になっていて、
これぞ究極!というものは存在しないのです。
だからこそ道具の使いどころや使い勝手を知ることは重要になってくるのです。
機動性はあるけどたまにパンクしてしまうようなタイヤなら、
それを修理する術を身に付ければいいし、
遠く離れた被写体を撮りたければ、その足で近づけばいい。
自分の手や足、頭を使う道具の延長線上として位置づければ、
理想の道具と現実との落としどころのつけ方も容易になると思います。

新しいものに次から次へと手を出していくのではなく、
一つのものを見極め徹底的に使い込んでいくこと。
それこそが実は理想の道具へ近づく一歩なのだと思います。
必要なものは理想的な道具そのものよりも、
使い方や使いどころを見極める相馬眼や審美眼なのです。

自分の旅に必要なものは何か。
それが少しでもクリアになればなるほど、旅の荷物は減り、
減った荷物の分だけ、旅はもっと身軽に自由になれる。
そんな風に思います。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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