各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

退きどころのタイミング

2014年12月17日

ウルムチから東は、中国におけるシルクロードのハイライトが次々と現れます。
まずはトルファンに栄えたかつての諸王国の夢の跡。
それに乾燥したこの土地に山の恵みをもたらしたカレーズの地下水路網や
さらに歩みを進めれば、西遊記で三蔵法師が芭蕉扇を使って
燃え盛る山の炎を消したとされる火焔山があります。

そしてオアシス都市と都市の間には
荒涼とした土地の間に死の砂漠・タクラマカン砂漠が茫洋と広がっています。

目まぐるしく展開される大自然やロマンの香りは、旅情をたっぷり掻き立てるものばかり。

そのはずなのに。

そのはずなのに、やってきた僕の気持ちは一向に盛り上がらないままでした。
でも、その理由は何となく心当たりがありました。

まず、中国VISAの問題で圧倒的に時間がなく、どの街も駆け足にならざるを得ないこと。
何しろこんな大きな国にも関わらず、僕に許された時間は1ヶ月しかないのです。
1回に限って延長が認められていますがそれでも到底足りません。
そのため、元々中国はどこかで一度区切って、東南アジアを周った後に、
また来年走り直すつもりでしたが、それでも心の中は常に焦りと隣合わせでした。

もうひとつは着実に迫り来る冬の足音です。
気温に関しては、まだまだ凌げる温度で問題はなかったのですが、
高緯度帯のため夜明けは午前9時、
午後6時には真っ暗になってしまうような日の短さです。
何もない殺風景な砂漠の景色は夏でも冬でも変わり映えしないのでしょうけれど、
辺りと同じく土気色がむき出しになったぶどう棚だけは、
明らかに冬を知らせるものでした。

宿探しも切実な問題で、中国はCIS諸国の一部と同じく
外国人の宿泊できる宿が限られていて、そんな宿は田舎ではまず存在しません。
あったとしてもそれは星がいくつもついた高級ホテルだけです。
10軒20軒と断られ続けてやっと泊まることの出来る宿を探し当てた、
なんてことも珍しくなく、
そのため、日が暮れる前よりもずっと早く走行を切り上げねばなりませんでした。
キャンプにしても、目立たないように夜は明かりをつけないようにしていると、
一日の半分以上を何も出来ずに暗いテントの中で過ごさねばなりませんでした。

決して長くはなくなってきた旅の時間を惜しみなく使うために、
いったいどこで中国前半戦のキリをつけようか?
そんなことばかり考えていたのだから、
そりゃあ盛り上がる気持ちも盛り上がらないのは必然だったのでした。

もやもやと、そうこうしている間に、
やがて新疆ウイグル自治区の東外れにあるハミにやってきました。
ハミ瓜のハミで名高い街は冬も差し迫った季節にも関わらず、
ハミ瓜を売る露店が道路沿いに連なっています。
きっと暑い夏にやって来たら、
中央アジアでよく食べていたスイカのように、
たまらず駆け込んでペロリと一個食べちゃうんだろうなぁ、
そしてハミ瓜を切り分けてくれる露店のおばさんと、
この辺りは本当に暑いねぇなんて茶話ならぬ瓜話に花を咲くんだろうなぁ、
そう思ったのですが、今は全く食べる気が起きません。
それに寒さのせいか、お店はやっていても肝心のおばさんが見当たりません。
無理して食べる必要もないか。
そう思って露店の続く通りを抜けて街の中心へと向かいました。

やはりここでも宿探しに苦戦し、
大通りの安宿はどこも外国人は泊めることが出来ないよと言います。
ようやく見つけた宿は躊躇するような値段でしたが、
これ以上街を彷徨う気にもなれなかった僕は、やむを得ずそこで手を打ちました。
部屋に自転車を運び入れた後、ベッドに倒れ込むと、
一息入れた体で、この数日の走行と今後の走行について思案を巡らせました。

『唯でさえ味気のない高速道路の走行を、時間がないからといって
黙々と走り続けるだけでいいのだろうか?
せめて、もう少し日が長ければなぁ。
いやいや、あちこちでのんびりしていたのはどこのどいつだよ?』

そんな考え事をしながら、ここ数日撮りためた写真を見返していると、
二日前に撮った夕焼けの写真に目が止まりました。
そこには、ぼんやりとした空模様の向こうに
綺麗な真ん丸の夕日が収められていましたが、
シャッターを切った時は何も考えず撮っていたようで、
この夕日は全く記憶にありませんでした。
何しろこの時間帯は本日の寝床探しで頭がいっぱいだったのですから。

暑かった中央アジアでは、太陽がこのぐらいに沈んでからが一日の勝負どころで、
ここぞとばかりにペダルを力が入っていたのですが、
今のそれは南の空の低いところをちょろちょろとしているだけで、
夕方になればものすごいスピードで沈んでいってしまいます。
だから、今の僕には頃合いのいい野宿場所を見つけて安堵する余裕も、
地平線に沈む太陽を眺めるゆとりだってまるでないのです。

弱々しい光を伴って沈む真ん丸の太陽は、
何となく僕に今の季節の旅の終わりを知らせるためのサインなのかもしれません。

新疆の先は段々と人口過密地帯に入っていきます。
中国のみならず、この先の東南アジアやインドでも状況は同じでしょう。
物価の面も含めて今後はキャンプをする機会は格段に減り、
キャンプに差し迫られるような状況もなくなっていくはず。
仮にもしそうなったとしても、それは誰かの民家の軒先でだったり、
ガソリンスタンドなど人目のつく場所なのだろうと思います。

もしかして今いる誰もいない何もないような場所で、
地平に沈む太陽を明日に見送って、
翌朝、テントのメッシュの向こうに昇る太陽を迎える機会は、
今後、限りなく少なくなっていくのではないだろうか?
そう思った途端、今までぼんやりとしか感じていなかった、
あるいは全く予知していなかった旅の終わりの輪郭が
手応えのように感じ取れ、ゾッとしたのです。

それは旅の終わりが、ではありません。
こういう一日の終わらせ方が出来なくなることが、です。

振り返ってみれば、いつの日からか、
宿がなければキャンプすればいいさ、
あのだだっ広い草原にテントを張ったら気持ちいいだろうなぁ、
とやむを得ない場合も、そうでない場合でも必ず選択肢の一つとして
幕営が存在していました。
もしかしたら今後その機会がないのかもしれない、
今になってやっと、当たり前にあったその贅沢さに気付いたのでした。

旅に終わりは来るもの。
このことは頭で理解しているつもりでしたが、
日本に到着することそのものが旅を終わらせるものではなく、
こういう一日の締めくくりが出来なくなることが
旅の終わりを意味するものなのかもしれないと実感しました。
そして居ても立ってもいられず、
そうした日々に一日でも多くすがっていたいと思ったのです。

夜の食堂街に出かけた僕は、
水餃子をつまみながらカレンダーや地図と睨めっこの末、
この先のシルクロードは来季にまわすことにして、
日も多少長い西安から南下して東南アジアを先に走ることに決めました。
まだこの場所を取っておけば、
いつもの一日の終わらせ方が出来る地域が残っていることになる、
それだけで旅の息吹が吹き返すような感じでした。

旅に出る前に、会社の上司であった人からもらった言葉で
ずっと大切にしているものがあります。
『例え時間がかかったとしても、目的を見失わなければ
いつかはたどり着けるはずだから、焦らずゆっくりと進みなさい』
この言葉はまさに今この状況にこそ必要な言葉だと思いました。
夏の内陸部を走ることはきっと暑くて暑くてたまらないでしょう。
きっと涼しくて体力の低下も少ない今の時期に走った方がずっと楽だと思います。
でもやっぱり心が高揚していなければ、意味が無いのです。

だから暑いとかつらいは問題ではないのです。
最も怖いことは、淡々として何も感じ取れなくなってしまうことなのだから。
大ぶりのハミ瓜を、果汁を滴らせながらかぶりつく、
テント張ってのんびり地平に沈む太陽を眺めることが出来る、
それにこの土地に暮らす人々にまた会うことが出来る、
こう考えたほうが心が踊るのを感じているのです。
僕にとってこれが、この場を退くタイミングなのでした。
人民でごった返すハミ駅で西安行きの切符を買いに行くときの僕の心は、
この街に着いた時よりも随分晴れやかなものでした。

翌日、駅へ向かうため、宿をチェックアウトしようとすると
宿の少年が僕を引き止めて何やら言っています。
この少年は日本人である僕に興味津々で、
日本の写真やお金を見せてほしいと前日に僕の部屋を訪ねてきた少年でした。
その時、日本円の5円玉をあげると、思いがけないプレゼントに驚いて、
英語で「Thank you」と辿々しく話す、はにかみ顔が印象的な男の子でした。

その少年は携帯電話を取り出して、翻訳アプリに何か中国語で打ち込むと、
日本語に変換された言葉が携帯電話から響きました。
「マタキテネ、トモダチ」
それはコンピュータの女性の話す抑揚の無い日本語だったけれど、
じーんとなんだか妙に心を打ったのでした。

『ありがとう。また来年に、ハミ瓜の美味しい季節の頃、帰ってくるよ』

つり目がちの少年は僕が宿を出るその時まで、ずっとニコニコと笑っていました。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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