各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

交わらないダブルスタンダード

2014年12月24日

生きた心地がしないとは、この事だったのかもしれません。

新疆のハミから西安へと移動することを決め、切符を買い求めた中国横断鉄道。
ちょうどこの週から新疆地区において中国版新幹線が部分開通し、
それに伴い、ここ数年間閉鎖されていたハミ駅が営業を再開していました。
あと数年後には北京や上海などへも全面開通するのだそうで、
そうなると何十時間と時間をかけて中国を横断する列車も
過去の遺物へとなっていくそうです。
だから、乗車前の僕は時代に飲み込まれていく寝台列車の残り香を堪能しようと、
心は浮ついていました。

しかし、黒山の人だかりに揉まれながら窓口へ行くと、
希望していた寝台車はどの時間帯も残念ながら売り切れ。
そして係員に言われるがままにチケットを買ったのですが、
そこには"天座"つまり席なしと印字されていました。
ハミから西安までは約26時間の旅にも関わらずです…!

そうは言っても、僕には長いこと旅を続けている杵柄があるさ、
席がなければ車両連結部にでも座ればいいさと楽観視していたのですが
その希望的観測は後にあっさりと砕かれることとなります。

空港よりも遥かに厳重な荷物と身体検査を三重ほど受けて、
駅の待合席に行くと、農業用の肥料が入っていたのであろう頭陀袋に、
手作りで肩紐のハーネスを縫いつけたリュックを背負った人々が大挙していました。
カサカサにひび割れ、真っ黒に焼けた肌と赤くに染まった頬は一目で
農村出身の人たちだと分かります。

何をしに、どこまで行くのでしょうか。
きっと、中国における農村出身の肉体労働者である民工として
沿岸部の大都市へ職を求めに向かう人々も多くいるのでしょう。

皆、チケットは僕と同じ天座のようで、
改札が開くと、席を確保するため我先にと走ってホームへと向かっていました。

そして、ウルムチからやって来た列車を見て驚きました。
今から僕を含めたこの多人数が乗車するにも関わらず、
傍目にはもうスペースらしいスペースが見当たりません。
それでも扉が開くと、そこに雪崩れ込むように人が押し入り、
その様子に僕は萎縮してしまいましたが、切符を握り締め覚悟を決めて飛び込みました。
皆、大荷物を背負って乗り込むので、日本の満員電車ですら霞むような窮屈さです。
肩で体当りするように押し込んでくる人、
割り込もうとする乗客を容赦なく引っ叩く駅員、はっきり言って無茶苦茶です。

ぎゅうぎゅうに押し込められた車内は、直立するスペースさえ無く、
体をS字に曲げて立つしかなく、この状態で列車は走り出しました。
これで26時間…。途方も無い絶望が目の前に降りてきました。

車内では男たちが、この鼻先三寸すら隙間がない目の前でタバコに火をつけ出し、
車内には紫煙がくまなく立ち込めました。
そこに持ち込んだカップ麺や中華丼の甘い香りが混じり、異様なニオイです。
足元には、火種の残った吸い殻やひまわりの種が次々と散乱し、
ゴミ箱はとうの昔に溢れかえっています。
スペースなど存在しない通路をかき分ける車内販売は、
ものを売る気などさらさら無く「道を開けてください!」
と声を張り上げることに腐心していました。

僕の陣取った車両連結部付近では、ドアを開けろと扉を激しく叩き付ける者、
鍵のかかったトイレを無理やりこじ開けようとする者、
確保した通路に座り込んで何があっても微動だにしない者、
車内でも特に異様な雰囲気でした。
開いたトイレからは人が3人4人と出てきて、
また4人ぐらいがひとつの便器しかないトイレに入っていきます。
向かいの車両から轟く車掌の怒声や、ところ構わず吐き捨てられる痰。
子供はそのまま床に用を足していました。
発車して1時間も立たないうちに床はあらゆる液体が混ざり合いぬるぬるとしていました。

言葉が悪いことは十分に承知していますが、
しかしここは人間の常識や尊厳などまるで存在しない空間で、
自分があたかもトラックに詰め込まれた家畜か何かにでも
なってしまったのではないかと錯覚するようでした。

自分に出来る唯一の防衛策は、目を瞑って視界を遮断し、
イヤフォンを差して聴覚を塞ぐことでした。
それでも、うっかり眠気でうなだれてしまうと、
気が付くと頭にはタバコの灰が降り積もっていました。

本当に生きた心地がしなかった車内。
数時間おきの停車駅で下車するものはほとんどいなく、
次から次へと人が乗り込んできます。
やはり、みな沿岸部の大都市を目指すようです。

食事も取れず、トイレも二回行けたのみで
あとはほとんど、失神するような感覚で時が過ぎるのをただじっと待ちました。
やがて26時間の後、列車は西安に到着しました。

街はウルムチとも比較にならないような都会で
田舎町にありがちだったビルに施されたド派手なネオンも
ここではいくらか抑えられて、悠久の古都などどこ吹く風の近代都市そのものでした。
ヨーロッパの都市で見かけたようなブランドショップも大通りにはありふれていて、
ここまでやって来ると日本企業のお店も目につきます。

あの列車の空間は、もしかして嘘だったんじゃないかとさえ思いましたが、
服や髪の毛にこびりついたタバコの臭いが現実だったと物語ります。
そう、ここではないあっちの世界こそが中国における大多数の真実なのだと思います。

中国は共産主義ながら、1970年代後半から市場主義経済を取り入れ、
沿岸部の都市に経済特区を設け、外資の導入も積極的に行ってきました。
市場開放の根幹は
"豊かになれるものから豊かになれ。相乗効果で周りの人間も豊かになっていく"
という先富論に基づくものでしたが、
結果として優遇された沿岸部と内陸部の著しい地域格差を招くものとなりました。

好況に沸く中国。
2010年にはGDPが日本を抜いて世界第二位に踊り出ましたが
それを下支えするのは13億とも14億とも言われる圧倒的な数の人民たちで、
僕があの列車で出会ったような人々たちです。

しかし、中国の好況を形として示す西安の大通りに
少なくとも彼らの立ち入れる場所はないように思います。
世界第二の経済大国といえど一人あたまで見れば、
その額は途上国と変わらない金額です。
だから大通りに並ぶ綺羅びやかなショップのほとんどは
彼らにとってまるで縁のないものばかりです。

例えば、華やかな外観の茶屋では、
紅茶が一杯18元(約350円)で売られていますが、
そのお店の角を曲がった細い裏通りでは
僕がいつも食べている牛肉面が6元で食べることが出来て、
似たような露店もいくつもやっています。

一杯18元の茶屋と6元の食堂。
立地する場所は近いとしても、その隔たりは限りなく大きい。
茶屋にいる女性を覗いてみると、食堂では決して見かけないような姿格好です。
同じ国内に2つのスタンダードが存在し、両者は決して交わらないものなのです。

それは僕の乗ってきた列車も同じで、
恐らく農民の人たちに天座以外の選択肢は無いだろうし、
茶屋に入るような人たちにとっても天座の選択肢は存在せず、
寝台車、あるいは飛行機になるのでしょう。
だから冒頭の車内の振る舞いについても、彼らばかりを責めることは出来ないと思います。
きちんとした教育や常識を与えてくれる人がいないにも関わらず、
加熱する経済状況ばかりが、彼らを別なスタンダードへと
引っ張りだそうとしているのですから。

経済成長がつくり上げた歪な垣根は目に見えないとしても、
中国国内に確実に分かりやすく存在していたのでした。

大都市は彼らの元いた世界とはかけ離れたものだというのにも関わらず
職や安定という希望を持って
列車に乗り込む人々のことを思うととても痛切な気持ちになってしまいます。
そしてまた、西安の地下歩道で見かけた大量のゴミに囲まれて暮らす路上生活者に
行きがけの列車で一緒になった彼らの行く末を案じてしまったことは、
高慢な僕の思い上がりでしょうか。

西安到着から一夜明けて、
シャワーも浴びてようやく人心地がついた今もなお、
あの列車は彼らを乗せて終点の広州へと走っています。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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