各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

欠落する音環境

2015年01月14日

中国内陸部を走るということは、
国内で推し進められる西部大開発の陰で、
蹂躙される環境破壊を目の当たりにすることとイコールでした。

西安のある陝西省から四川省にかけては、険しい山脈が幾重にも連なっていて、
例えば剣門閣という場所は三国時代にはその急峻な山容が
そのまま天然の要衝として存在していたそうですが、
現代において周辺の山々は人造湖のあるダムとして作り替えられています。
山があればダムがあり、そう言っても差し支えないほどで、
果たしてこれほどの数のダムが必要なのか、
少なくとも周辺に住む住民にとっては近くて縁遠いものに思えます。

道路に関しても、土木技術の進歩は、
トンネルや橋を掛けることで自動車」による人や物の移動を便利にしていますが
それは都市と都市を結ぶ道路だけであって、
間にある村落はまるで存在しないかのように、無視されるかたちで作られています。
新しく作られた高速道路は自転車では走ることが出来ないので、
仕方なく旧道を走るのですが、基本的に中国の道は使い捨て。
全く手入れのされていない道路は、路面がガタついて所々がけ崩れで道が消失し、
時折り岩が目の前に転げ落ちてきて、
利水もうまくいっていないところでは、山水が川となり滝となって降り注いでいます。

これが高速道路を除いた、国道として存在しているのだからちょっと信じられません。
これらの道は新道のためのコンクリート材切り出し場として
使ってしまっている場合も多く、工事車両が出入りし、傷んでいく一方の、
この地に住む人々にとっての大切な生活路に未来はないように見えます。

険しい地形を無視してぶち抜かれるトンネルや複雑に交差する高架と、
土地に暮らす人々の知恵と歴史が詰まった伝統的な棚田の風景。
どちらが場違いで、どちらが美しいと感じるかは明白だというのにも関わらず、
発展の中でそれらの共存は難しいのでしょうか。

空気の汚れも思った以上に深刻で、
中国に入国して以来、抜けるような青空を拝んだ記憶はたぶんありません。
トンネルには泥の蒸気が充満していて、数十メートル先も見えないこともありました。
毎日走り終えた後、タオルで顔を拭くとタオルは真っ黒。
それほど汗もかいていないように思える日でさえ洗濯をすると
水がどんどんドス黒く濁っていく様子にはギョッとしてしまいます。
もしかして、洗剤メーカーが汚れを強調するために、
洗剤を使うと濁るように作っているのではないかと邪推してしまいますが、
見事なまでに汚れたロードサイドのkmポストは、
明らかに空気の汚れを示すバロメーターです。

だから中国道を走ることは、常に環境問題を突き付けられながらの走行となったのです。
このペースで開発が進んでいってしまったら、
暮らしは良くなっていくように見えて、
人の住めない土地になっていってしまうのではないか。
都市部の煌きは華やかに見えますが、そのしわ寄せは確実に
環境破壊という問題として表面化しています。

危機的な状況に見える中国の環境。
長い歴史に刻まれてきた文化や、世界でも類を見ない多様な食、
広大な国土に点在する美しい景勝地など
この国には素晴らしいものがたくさんあるにも関わらず、
経済がけん引するこの国の未来は、
それらを朧へと閉ざしていっているように感じます。

もちろん環境問題は、日本でも欧米でも、
アフリカや中央アジアの第三世界でも見られる事柄で、
このことは地球全体で努力していかなければいけない問題です。
ただ、この国においては、
これまで僕の訪ねた地域では体感したことのなかった
目に見えない環境問題も存在していたので、ここで少しお伝えしたいと思います。

目に見えない環境問題。
それは"音"環境です。

とにかくこの国は車のクラクションをよく鳴らします。
渋滞の時もタクシーの呼び込みも、
もちろんこれまでもクラクションが酷い土地はたくさん旅してきましたが、
それは首都クラスの大都市周辺に限ってのこと。
だからある意味どこの大都市でも抱える交通問題の一つとして割り切れたものでしたが、
ここでは国内全土でクラクション病が蔓延しているのです。

更に特徴的なことに、田舎に行けば行くほどクラクション病はひどくなっていきます。
他の国では田舎や山に行くほどに交通量も減って、聞こえるクラクションといえば、
"がんばれよ"と僕への応援の意味を込めたクラクションぐらいだったのですが、
ここではそうではありません。
どんな状況であっても、歩行者や自転車はクラクションによって
道端に追いやられる運命にあるのです。

それに山道ではこんなドライバーにクラクションを促す標識だってあるのです。

グネグネとカーブが続く細い山岳路での事故を防ぐために、
"クラクションを鳴らして存在を示ましょう"という標識の意図は分かるのですが、
この標識があるが故に、
ドライバーたちは山であっても狂気じみた運転で飛ばしていきます。

谷深い渓谷沿いに響き渡るは、川のせせらぎではなく、
けたたましいクラクションだなんてなんだかちょっと間違っていると思うのです。

だいたいにおいて、クラクションの音なんてものは
相手に注意を喚起するために作られているのだから、
決して心地良い音には作られていないはずです。
クラクションを鳴らす前に、ブレーキをかけてスピードを落とす、
クラクションに手を伸ばす前にハンドルに手をかけて安全な進路を取る、
出来る事はいくらでもあるのだから、優先順位が違っていないでしょうか。
どけどけ、ドライバー様のお通りだと鳴らされるパパーッという甲高い音は、
自分には人間の持つ身勝手さが凝縮された世界で一番醜い音に聞こえます。
クラクションは自分勝手を主張するための道具ではないと僕は声を大にして言いたい。

また、音が鳴るということだけが、破壊される音環境ではありません。
人民の生活の足といえば自転車というイメージがありましたが、
近年は充電式の電動バイクに置き換えられています。

電動バイクはガソリンエンジンを必要としない分、全く音がしないので、
街について宿探しに気を取られてキョロキョロよそ見をしていると
後ろから来るバイクに追突されそうになり冷や汗をかくシーンがしょっちゅうあります。
街には一応自転車道があるのですが、交通ルールなどあってないようなこの国でじゃ
車の幅ほどある三輪バイクの逆走はもちろん、車だって走ってきてしまうのです。
それらをかわしつつ、さらに無音バイクにも気をつけなければならないのだから
実は自転車道は車道よりも危険度が高いのです。

現代の技術をもってすれば音のない静音車を作ることも可能だけれど、
それはかえって事故を誘発するからあえて作っていないという話を
以前に聞いたことがありましたが、
いざそういう状況に置かれてみるとなるほどと深く納得したのでした。

そして、中国の人たちがところ構わず吐き捨てる痰の音も、
これだけ中国に滞在しているにも関わらず慣れることが出来ません。
壁の薄い宿の隣部屋からは宿泊客の痰を吐く音が夜遅くまで、何度も響いてくるし、
窓から見下ろす大通りでは朝からクラクションが絶えず鳴り渡っている。
頭をもたげたくなる状況でしたが、ただ、そういう自分も
最近は喉の奥に唾が絡んで不快な感じになることが増えてきました。
痰を吐く音は、単にマナーや喫煙習慣の問題だけではなくて、
先に述べた空気の汚染に由来する部分も大いにあるのです。
クラクションにしても、使い捨てされる道路の道の悪さが一層交通の流れを止めるせいで
彼らは僅かに残された通ることの出来る道の奪い合いをしてしまっています。
つまり目に見えない音環境の破壊も、
もとを辿っていけばこうして目に見える原因があるのでした。

ある日、凍りついた雪の山道を慎重に下っていると
後ろからやってきたバイクのクラクションに驚いてしまい、
転んでしまったのですが、転んだ目の前の崖から岩が
転げ落ちてきた時は心臓が止まる思いでした。
さらに後ろからやって来たトラックはそんな僕に向かって、
「どけよ」と言わんばかりのクラクション。

あぁ!!

やり場のない怒りで思わず声を張り上げてしまったのですが、
そんな抵抗は誰にも届かず、声は谷間に吸収されてしまい、
代わりにその先から別な車のクラクションが山彦のように響いてきます。
頭では分かっているつもりだけど、
どうしても気持ちが追いついてこないこの国の音環境。
本当にいったいどうなっているのでしょうか!

あぁ!!

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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