誰がための道
台湾で過ごした至上の一時は、この上ない気分転換となりました。
これならば、すっかり気持ちが荒んでしまった中国の走行も
気持ちよく走ることが出来るだろう。
そう思って雲南省・昆明に戻ってきたのですが、
その期待は走り出して1時間で敢え無く砕け散りました。
市外に出て間もないにも関わらず、道路は川のように水が冠水し、
容赦なく泥水を跳ね上げていくトラック。
綺麗に洗った自転車はさっそく泥まみれに戻ってしまいました。
ただ、そんな酷い道であっても、
街に着けば大都会を連想させるビルやマンションの摩天楼が現れます。
が、実際は空室だらけで、ほとんど人が住んでいるようには見えません。
それでも隣ではまた新たなマンションを建てるべく、建設車がせっせと動いています。
遠目に見える高速道路もまた、山を貫き、川には架橋がかかり
限りなく快適な道路環境を実現しているように見えますが、
小さな街々を無視して作られている高速道路より、
街と街を繋ぐこの朽ちかけた旧道の方が交通の需要が多いように感じます。
いったい誰のために、何のために作っているのだろう。
少なくとも僕にはこのビル群や道路から
感じ取ることが出来るメッセージはありませんでした。
やがて雲南高原の端に差し掛かり、
一気に標高を落とすと、生い茂るバナナ畑を尻目にベトナムとの国境に到着しました。
中国側でさえ、南国の果実のジャックフルーツを切り売りする露天商や
ベトナム麺のフォー食堂が軒を連ねていて、
あたりの空気は既に東南アジアを醸しだしていました。
そして国境を分かつ紅河を渡りベトナムへ入国。
走り出してすぐ、明らかに人々の反応が変わったことに気付きました。
沿道の家から僕を見つけるやいなや「ハロー!」と駆けて来る子どもたち。
学校の下校時間に重なればそれはもうたくさんの子供たちの声を背に走ることになります。
民家の縁側に座っている大人たちも目が合えばニコッと手を振ってくれます。
二輪大国ベトナムでは、自転車、バイク問わず大量の二輪車が走っていますが
たまに僕の隣をずっと並走してくるバイクもいて、
これにはちょっと閉口してしまうのですが、それでも自分に興味を持ってくれている、
それだけで嬉しかったり。
中華世界という巨大ながらも完全に閉ざされた世界から、
このベトナムはちゃんと外の世界にも繋がっている、そんな風に感じました。
この時期は、ちょうど田植えのシーズンのようで道沿いには
稲苗をせっせと植える農夫たちがよく目につきました。
水牛をつかって昔ながらに畑を耕す様子も見受けられ、
あぁアジアに来たんだな、そんな実感がしみじみ湧いてきたのでした。
ヨーロッパだったら小麦畑だったり、中米やアフリカのトウモロコシ畑だったり。
その地域の街道沿いは得てしてその地域の穀物畑の道でもありました。
各国にイメージする原風景は、地域の主食とも深い関係があるのではないかと思います。
そう考えるとやっぱり道路とは単なる移動手段を超えた、
生活の根幹の一つなんじゃないかと思います。
家や集落という暮らしの基礎単位があって、
そこから狩猟や農業、あるいは交易へとよその土地へ向かうための
踏跡が踏み固められ、広がり、整備され道になる。
そういう暮らしの足跡こそが道なのではないか。
生活感のない作り物の街をアップダウンもなく最短で結ぶ中国の道作りに
親しみを感じることが出来なかったのはこういうことだったのかもしれません。
アメリカのルート66だったり、メキシコの銀の道、
スペインのカミノ・デ・サンティアゴ、それに中央アジアのシルクロードに至るまで
道に人々が暮らし、歴史を紡ぎ、生活の中から文化が生まれる様子を
各国で体感してきました。
しかし、それらは何か特別な道だったというわけではなく、
普段は何の変哲もない通学路や生活路でありました。
ただ、行き交う人々によって、ロードサイドに食堂や宿が生まれ、
他所の土地からの文化や知恵がもたらされるなどして、
いつしか信仰の道や交流の道となっていったのだと思います。
だから道は決して車のためにあるわけではなく、
バイクにも歩行者にも家畜たちに至るまで平等であるべきであって
全てが互いに影響しあっていくこと。
これが道を"踏み固める"という行為になるんじゃないかと思います。
とはいえ目下経済成長著しいベトナムにも高速化の波はやって来ていて、
昨年もこのあたりに新しく高速道路が開通しました。
僕の思いは何もモータリゼーション社会や便利になる社会を
否定するものではありません。
ただ、新しく作られる道路のその延長線上に人々の暮らしが連想出来る、
いつまでも道とはそんな存在であってほしいと思っています。