旅人のハブ
タイに入ると、カンボジアから全てが一変しました。
土埃がたたず、タイヤの転がりがスムースなアスファルトはいったいいつ振りでしょうか。
ドッドッドッと唸りをあげて進むトラクターのような乗り物はもう見かけなくなり、
小学生にも満たないくらいの子供がバイクを運転している、なんてこともなくなりました。
多くの人が絶賛していたタイ料理。
これはラオスやカンボジア料理でも十分に美味しく感じ、
タイ料理なんて
と斜に構えていった僕も参りましたと言わざるを得ない美味しさです。
噂通り辛いのですが、暑さで食欲が無くなりそうな時に、
激辛の炒めものを頬張ると、大量の汗と一緒に悪いものが排出されていくようで
気力がみなぎってくるようです。
路上では日本のコンビニエンスストアもしょっちゅう見かけ、
お弁当や日本製のお菓子も手軽に買えてしまいます。
何よりエアコンが強烈に効いているので、
何はなくとも見かけるとつい店内へと引き寄せられる自分がいました。
ただハイウェイ沿いの風景は、掲げられている看板の文字こそ違えど、
台湾や日本のそれとも何となく似ている気がします。
ましてや日本と同じ、左側通行だから景色的には尚更新鮮味は感じません。
僕なりの類推ですが、台湾も日本もタイもベトナム戦争の特需の恩恵を受けた国々です。
台湾は軍需物資の下請けや中継基地として、タイは米軍兵の補給・休息地として、
戦争と関わることで現在につながる大きな経済発展を遂げました。
これらの国々がどこも似たような郊外風景だと感じてしまうのは
取引先であるアメリカの影響が大きいのではないかと思います。
首都に近づくにつれて、ショッピングモールや大型のガソリンスタンドといった
商業施設は一層アメリカで見かけたものに近くなっていった気がしました。
アジアにおける経済発展を遂げた国々にはベトナム戦争が大きく関わっていて、
ロードサイドの景色からもその様子が垣間見える一例だと思います。
さて、国境から3日をかけてバンコクに到着しました。
見上げるほどのビルディングと建物の間をくぐり抜けてくる熱風は、
チャオプラヤ川の湿気を含んでいてまとわりつくようです。
通りには西洋人、タイ人、日本人、アラブ人、中国人
色々な顔立ちが闊歩し、
様々な言葉が耳に届いてきます。
それに呼応するかのように、目にする食堂も雑貨店も多岐に渡っていて
もはやここがどこなのか見当がつきません。
夜になると怪しげなネオンが煌々と灯り、歩道沿いには屋台が延々と連なっています。
雑多、洗練、混沌、近代的
様々な言葉が当てはまる東南アジア随一の大都市でした。
この街では連日連夜、嬉しい再会が続きました。
東南アジアで度々再会していた友人はもとより
キルギス以来半年ぶりの自転車仲間、
パラグアイ以来2年ぶりの知人、
そしてメキシコから実に3年半振りの旅の先輩まで
世界各地で出会った人たちとこの街で再会を果たし、
まるで盆と正月が一挙にやって来たような賑やかさで毎日を過ごすことが出来ました。
まだ旅を続けている人、たまたま休暇で遊びに来ていた人、
旅を終えて仕事で駐在している人、この街にいる理由は様々なのに
こうして海外でまた再び出会うことが出来るのだから、
旅の巡り合わせというものはすごい。
ひと度顔を合わせれば、時間は一瞬で引き戻され、
別れたあの日から今日に至るまでの互いの身の上話を肴にビールをあおる。
夜になってもまだ蒸し暑い南国の湿気と酒の酔いが
僕らを心地良いまどろみの中へと誘ってくれるのです。
再会は旅の中でも一際特別なシーンなのです。
タイはもともと持っていたビーチや離島のリゾート、北部に住む少数民族、
決して外れのないタイ料理など観光資源が豊富です。
そこに物価の安さや年中過ごしやすい気候、問題の少ない穏やかな治安とが
相まって僕たち旅行者が訪れやすい国の一つです。
また、タイ発着の航空路線の豊富さや安さもあり、
ただ一つの訪問国としてだけでなく、
旅を始める起点国にも成り得るのです。
バンコクにはバックパッカーの聖地と呼ばれるカオサン通りという有名な通りがあり、
年中大きなバックパックを背負った旅行者で賑わっています。
カオ=タイ語で米を意味するように元々は米問屋が集う地域だったそうですが、
1980年台ぐらいから格安のゲストハウスを求めて旅行者が訪れるようになり、
合わせて旅行会社も増えだし、インターネットカフェや激安の屋台、
土産物からマッサージ店、雑貨店まで旅に関わる全てのものが集結する、
世界に名だたるバックパッカーストリートへと成長していったそうです。
カオサン通りと聞いて、様々な思い出や甘酸っぱい青春が蘇る人も
少なくはないのではないでしょうか。
現在でこそ、市内各地に快適な安宿が次々にオープンし、
インターネットで航空券やツアーが手配出来てしまうため、
昔に比べてカオサンにこだわる必要性は減りました。
訪れてみて初めて知ったのですが、カオサンの立地は思いのほか悪い。
これだけのツーリストがやってくるにも関わらず、
地下鉄や電車から取り残されたエリアで、
蒸し暑いバスやタクシーで長い長―い渋滞を潜り抜けなければそこへは辿り着けません。
それでも依然としてまずはカオサンを目指す旅人は未だ多いのは
インターネット上にあがっていない生の情報や、
同じ行き先の仲間を見つけるため、
何よりも旅の雰囲気が色濃く残った
あの空気を求めてやってくる人が多いからだと思います。
地理的には説明できない、不思議な引力がここにはある。
だからこの街で、多くの再会を果たしたことは、ある種の必然だったのかもしれません。
ところで、今回たくさんの友人とバンコクで再会することが出来たにも関わらず、
みんなで一緒に撮った写真が一枚もありません。
本当はいつも一緒に写真を撮りたいなと思うのですが、
それを口に出してしまうとせっかくの再会に水を差してしまう気がしてしまって、
なかなか言い出せません。
旅の最中、これだけたくさん写真を撮ってきて、
一番基本の記念写真が苦手だなんて自分でも呆れてしまいます。
だから、サッとカメラを取り出して、ごく自然に集合写真を撮れる人がいると
ちょっとだけ羨ましくなってしまいます。
でも、いいのです。
バンコクは多くの旅人にとって始まりの地。
ここを起点に旅人たちが放射状に散り散りになっていきます。
そして僕にとってバンコクは、放射状に散った旅人たちが再び集う再会の地。
前もっての約束をしなくても、写真に切り取ることをしなくても
ここに来ればどこかで再会を誓った誰かに会えるような気がしているから、
写真はまた次の機会にと思っておくのがちょうどいいのです。
東南アジアの旅もまもなく後半戦。
ここからマレー半島の先端シンガポールへと向かった後は、
ミャンマーへ向かうためにまたタイへ戻ってくる予定です。
バンコクに戻ってくる頃はちょうどタイのお正月ソンクラーンの時期。
きっとまたどこかから旅の仲間がふらりとバンコクへやってきて、
思いがけない再会が待っているんじゃないかと予感しています。
確信はないけれど、
そんな期待を持って旅を進めていくのもなかなか良いものです。