各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

居心地のよいエスニシティ

2015年04月08日

六年前、仕事の合間を縫って登りに行った東南アジア最高峰のキナバル山。
この山はマレーシア、インドネシア、ブルネイの三カ国で構成される
ボルネオ島に位置していて、そのうちのマレーシア領に属しています。
低地に広がる濃密な湿度のジャングルと
一変して心地良い風の通り渡る森林限界を越えた高地帯。
下山の際に見下ろした雲海はとても美しいものでした。

あれ以来、二度目の訪問となったマレーシア。
過去の記憶とすりあわせた僕は、
どこかこの国を知った気になって入国したのですが
実際にはマレー半島本土を旅してみると、
ボルネオ島とは全く様相が異なるマレーシアがそこにはありました。

入国早々、まずは最初の一皿をと目についた食堂に入って、
当時も山小屋で食べたその味にハマった
マレーシア風焼きそばのミーゴレンを注文したのですが、
出されたものはあの時と同じミーゴレンでも注文を運んできてくれたのは、
ボルネオでは見かけなかったインド系のウェイターです。

暗い褐色の肌に 全てを見透かされそうな大きな瞳。
アフリカで出会った人々とも雰囲気はまた違っています。
サリーを着た客の女性の額にはビンディの赤いポッチが飾られていました。
街道沿いには、ヒンドゥー寺院もたびたび見かけ、
明らかにボルネオ側とは土地の雰囲気が違っています。
そうそう、肝心のミーゴレンも食べてみると
どこかカレー風味でインドの顔を覗かせていたのでした。

後から聞いた話では、確かにボルネオには中国系住民が多く、
それも特に都市部に集中しているのだそう。
だからキナバル山と起点の都市しか訪れていなかったあの時の自分は、
見てきた人の層が圧倒的に偏っていたのかもしれません。

そういう意味で自転車は田舎も都会も万遍無く訪れることが出来るから都合がいい。
マレー半島本土を走ってみるとインド系の他にも、
ムスリム系マレー人も老若男女問わずたくさん見かけ、
六年前の印象はまるっきり覆らされたのです。
『あぁ、マレーシアは多民族国家なのだなぁ』
という実感が二度目の訪問にしてやっと持てたのでした。

この国で見かける多種多様な人々の暮らしが
決して見せかけだけのものではなく、本物だと感じるのは
ルーツを持つ祖国のニオイが彼らの生活の中から感じられることです。

チャイナタウンを歩けば八角が甘く香り、仏寺の前には線香の芳香が立ち込める。
ムスリムの男性とすれ違うと鼻につくほのかなスパイスの香りはよく知っています。
まだ訪れたことはないのですが、インド系商店に漂う度が過ぎる石鹸のにおいも
世界各地のインド人の経営する宿やお店で嗅いだものでした。

多民族国家でありながらも、生活の軸となるものは変わらずに在り続ける。
これは生活習慣だけでなく、生活する地域にも見て取れます。
各々の民族が気任せに各地に住んでいるのではなく、
一定のコミュニティ集団を形成し、小さな中国人街やインド人街を作って暮らしています。
価値観の近しい人同士で生活した方が何かと都合がよいのだから、
当たり前のことでしょう。
もっともこの現象は世界中どの地域でも見られることです。

ただし、マレーシアでは民族間の垣根は他の国よりも低く感じ、
互いに影響を与え合っている様子が顕著です。
中華系住宅に明らかにイスラムの影響を受けたと思われるタイルが用いられていたり、
最初に食べたミーゴレンも、マレー風、中華風、インド風とあって
使われる材料も味付けも少しずつ違ってくるのです。

そういう僕も、朝ごはんに中華屋台でワンタン麺を食べて、お昼にはカレーを。
午後の暑い時間にはマレーシアスイーツのチェンドルで涼を取っていると、
味を辿って過去の旅を振り返っているような、
これから行くつもりの国の予習をしているような、不思議な気分にさせられました。

見た目にはうまくやっているように見えるマレーシアも、
少なからず問題もかかえています。
先住民であるマレー系住民を優遇するブミプトラ政策を国策として掲げていて、
マレー人以外の間では不満の声もあります。

ある時、食堂で相席になった中国人からは
「政府にはマレー系しかいなくて中国人は全然いないんだ。
いたとしてもそいつは上の顔色ばっかり伺っていて、マレー系におんぶに抱っこさ。
これじゃあ全く俺達の暮らしはよくならないよ」
と聞かされました。
ところが僕が普段利用している商店や宿は、中国系やインド系による経営がほとんどで、
マレー人はそこの従業員という光景もよく見かけました。
経済は華僑、印僑によって回っているけれど、政策はマレー人を中心に、
こんな構造もあってか、民族間の間で時折り小競り合いもあるそうです。

ただこうした問題は、他者と他者が一緒に暮らしていく中で、
どこでも起こり得る問題に感じ、
生活レベルにおいてはこの国の皆はうまくやっているように思えます。
そうでなければ、インド系住民が中華系レストランに足を運ぶ姿や
またその逆の光景を見かけることはないと思います。

トルコのイスタンブール、キルギスのビシュケク。
これらの街も居心地がよくて長く滞在した街です。
今あの街々の雰囲気がなぜ良かったのか振り返ってみると、
人種も宗教も生活様式も異なる人々が一つの街に住んでいる中で、
小さないさかいはあったにせよ、
大局すればみんな上手くやっているように感じたからだと思います。
そこには、容認のような、諦観のような、
自分が自分で在り続ける、他者は他者で在り続けるための寛容さがあったと思います。
だから僕のような旅人が訪れたときも
「まぁこの街には色々な人間がいるからさ、好きなように過ごせばいいよ」
と街が語りかけてくれていて、それが街の居心地に感じたのだと思います。

アジアとヨーロッパの交差点であったイスタンブールも、
シルクロードの途上であるビシュケクも、
常に外界から人や文化が流れてきた土地柄です。
このマレーシアもまた、古くはマラッカ王国の時代から周辺国との交易で栄え、
その後もポルトガル、オランダ、イギリス、日本と
目まぐるしく統治者が移り変わり、現在の独立した国家へ至っています。
その歴史の評価はまた別の機会に語ることにしても、
この土地で起きた多様な価値観の衝突は、
長い時間をかけて、他者に対して角が取れた寛大さと、
お互いの生活文化を尊重するための角を立てない慎ましさとを
育んできたのかもしれません。

生活習慣の違い、宗教の違い、言葉の違い、肌の色の違い…、
他者との"違い"が近年、世界中で争いの種になってしまっています。
"違い"は他者を排するための恐怖の禍根なのでしょうか。
違うと思います。
僕が世界を自分の足で周り、たくさんの人と話す中で感じたことは、
"色々な人がいるから世界は面白い"
とても単純なことでした。
そして、だからこのマレーシアも走っていて楽しいのだと思います。
彼我の違いに恐怖を感じるのではなく、尊重し認めていくこと。
このアジアの一国が持つ寛容さから僕らが学ぶことは多いと思います。

国道沿いの小さな街に投宿し、さて夕ご飯は何にしようとそぞろ歩く。
すれ違う人は今日もやっぱりさまざまです。
マレー人、中国人、インド人、先住民…この国には色々な人が住んでいるけれど、
「我々は皆マレーシア人である」
そんな声にならない声が僕の耳に聞こえてくるようでした。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

最新の記事一覧

カテゴリー一覧