狂乱怒濤の水かけ祭り
ユーラシアの南の果てにやってきた僕の旅路ですが、あともう少し続きます。
近年、民主化が進み外国人旅行者にも開放されつつあるミャンマー、
今も昔も旅人を惹きつけてやまない仏教発祥の地インド、
そしてヒマラヤ山脈直下のネパールを目指すことにしました。
まずは夜行バスを乗り継いで走ってきた道を引き返し、一路バンコクへ。
一ヶ月かけて走った道のりもバスでは僅か二日。
毎度のことながら、そのスピード感の差に驚かされてしまいます。
暑さにまみれて汗だくで走ったマレー半島、
バスの車窓から覗く風景のほとんどは夜の帳に包まれていて、
感慨に浸ることもなく淡々と過ぎて行きました。
そして夜の空がインディゴ色に変わり始めた頃にバンコク到着し、
バスから外へ出ると、ねっとりとした湿度が素早く全身にまとわりつきました。
四月のバンコクは、南のシンガポールよりも暑く、
三月に訪れた時よりも湿気の密度が高く息を吸う行為でさえも重く、
体力を奪われるようでした。
着いたその足で、すぐさまインドビザの申請に向かいました。
ただでさえ提出書類が多く、発行までも時間のかかると言われるインドビザ。
それにも関わらず、
加えてタイの祝日連休にあたるソンクラーンが数日後に控えていたので
一刻も早く申請をしておかなければならなかったのです。
往復航空券に二週間分の宿の予約証明という
自転車旅行者にとってまるで必要のない書類を要求され、
細かな質問項目が大量に並ぶ申請書類を埋める作業は煩雑で、
それでいて少しでも不備があると無表情で作り直しを命じる眼鏡の女性職員。
インターネットカフェとビザセンターの往復を強いられ、
三度目の申請にしてやっと書類は受理されました。
まだインドは始まってもいないにも関わらず、
多くの旅人から耳にしていた"面倒くさい"インドの一端が垣間見えたようで、
少し辟易としましたが、ともあれあとはビザ発行のされる一週間後を待つのみです。
さて、ビザ発行待ちの間にバンコクで迎えることとなったソンクラーン。
ソンクラーンとはタイ旧暦にかける正月のことであり、
新年の始まりに水をかけ合うのがタイの正月の過ごし方です。
もともとはこの時期に年長者の手にお清めのための水をかけていたそうですが、
今日ではそれが拡大解釈されて、期間中は見知らぬ相手にも手だけに留まらず
全身に水を浴びせる祭事へと変化してきました。
それにこの時期は雨季直前の一番暑い時期であるため、水をかけ合うことで涼を取り、
また、雨乞いの意味を含むものでもあると言われています。
タイの伝統行事の中でも最も熱狂的な行事として知られるソンクラーンは
前日あたりから、当日を待ちきれない人や、イベント好きの西洋人旅行者が
通り行く通行人に水をかけている姿が散見され、盛り上がりを見せ始めます。
宿の掃除のおじさんもモップを水鉄砲に持ち替えて、
なんだかそわそわ落ち着きがありません。
四月十三日から三日間のソンクラーンを迎えれば、
ついに街中から悲鳴とも歓声ともとれる声が響き、
至るところで四方八方から水攻撃を文字通り浴びせられるようになるのです。
それに合わせて露店や商店の店先では水濡れ対策のゴーグルや防水カバンに、
はたまた、大小さまざまな水鉄砲や補充用の水タンクまで、
ソンクラーン専門の品揃えに様変わりするのだから、
この国におけるこの期間の力の入れようが伝わってきます。
バンコクでも最も人が集まるシーロム地域のストリートは、
隙間なく黒山の人だかりができ、凄まじい盛り上がりをみせていました。
超高圧の水鉄砲で遠くから狙ってくる人、
露店のお兄さんはキンキンに冷えた氷水をバケツ一杯頭から被せてくる。
向こうの方では放水車が勢い良く水を噴射しています。
何でも有りの無礼講は、この期間中しか見ることの出来ないもう一つのタイの横顔。
これが三日間もタイ全土で行われているのだから恐れ入ります。
不意に水をかけられても怒り出す人はいなくて、みんないい笑顔です。
目と目が合ったらとりあえず放水、やられたらやり返す。
こんな不躾な行為が許されて、そして一つのコミュニケーションとして成り立つのは
今までにない感覚の面白さでした。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々とばかりに
国中がオバカサンになってしまうソンクラーンは僕は有りだと思いました。
仮に日本でこんな行事が行われたとしたら、どうでしょう。
きっとたちまち規制や禁止事項だらけになってしまうだろうな、と思います。
僕たちは何かを統制したり、組織したりすることは得意かもしれないけれど、
こんな風に突き抜けることは少し苦手かもしれない。
そこには和を以て貴しと為す古くからの日本の風潮があって、
それはそれでとても素晴らしいとは思うのだけど、
その張り詰めた社会の空気に時々何とも言えない息苦しさを感じていました。
伝統も風土も違う海外の祭事をまるまる賛美するわけではないのですが、
一年の中で馬鹿騒ぎが許される日が少しでもあるかないかで、
いつもの日常にも張りが出てくると思います。
ソンクラーンという非日常が突き抜けていれば突き抜けている程に。
それがとある地域や街という単位ではなく、
国中という潔さだから尚更良いと思いました。
四六時中完璧に振る舞える人間なんていなくって、
人間なんて実のところ単純で馬鹿なのである。
日常では抑えているもう一方の自分たちを、さぁ解き放とうと認めてしまう
南国の器量はとことん広く大らかだと感じました。
日本でも"一年の計は元旦にあり"と言いますが、
このタイでも新年であるソンクラーンに目一杯馬鹿騒ぎをして、
悪いことは水に流して、新しい一年をまた楽しく過ごしていこう、
そんな心意気を感じたのです。
狂乱怒濤の三日間が過ぎると、バンコクの街は
ソンクラーンとも違う賑やかな日常を再び取り戻し、
通りに連なる屋台も元通りで、まさに台風一過のごとしです。
いつものタイ風チキンライスのカオマンガイ屋に顔を出すと、
連休が明けて久しぶりに会ったお店のおばさんが笑顔で出迎えてくれました。
その表情からはソンクラーンを目一杯満喫した様子がうかがい知れます。
きっとこうやって日常とのバランスを取っているのでしょう。
だからやっぱり僕は国中がオバカサンになれるソンクラーンを羨ましいと思いました。
そして待望のビザもようやく発行がされて、無事インドへの道が開けました。
僕にとってもソンクラーンは東南アジアを締めくくる良い契機となりました。
次は南アジアの旅が始まります。